[chapter:1]
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なぜこんなことに。
シンは憂鬱になりながら、羽柴について浮かんで移動する。
結局、猫にさらわれた亀を探すのを手伝ってという羽柴のお願いを、断ることができなかった。
優柔不断そうな優男、そんな弱々しげなイメージは早々にひっくり返る。
担当との初日を、亀探しから始めるという、過去ない出来事に、頭が痛くなりつつあった。
楽にいきそうで、楽にいきそうにない。経験と直観はそう告げていた。
「ジョセフィーヌー!!」
羽柴は近所をあちこち見て回り、猫の姿を探す。
亀の名前を呼んでも返事をするはずもない。けれども羽柴はそんなこと関係がないといった様子で名前を呼びかけながら自動販売機の裏を見た。
猫の行動範囲はそう広くないだろうが、道にいるとは限らない。
植え込みの影や、建物の裏なども見ながら歩いて行く。
数分が数十分に、やがて一時間を越えてゆく。
じわじわと照りつける太陽は気温を上げて、羽柴はひたいに浮いた汗を腕でぬぐった。
そして困ったように、近くに浮かぶシンを見た。
「手分けして探せないの?」
「無理です。離れられなくもないですが、その間に予定外にあなたが死んだら、私の存在が消えてしまいます」
人間の生命には、終わりを約束された日がある。
破れば、その反動は死神に返る。
「なにそのルール」
「決まりです」
羽柴は目を丸くして、それから眉をひそめる。
「そんな簡単に死なないよ?」
「死神にとりつかれてる人間が何を言ってるんです?」
シンは呆れながら言えば、困ったように羽柴は視線を動かす。
「でも、これだけ探して見つからないとなると……」
その言葉の続きを止めて、羽柴が肩を落とした。
目に見えて落ち込んだ様子の羽柴を、シンは空中から見下ろしながら、はて? と首をかしげ、首から下げた銀のネックレストップを爪で軽くはじきながら考える。
あの亀から、死の気配は感じなかったが。
死神の予測しえない不慮の事故や事件もあるが、回数としては稀だ。死への親和性が高まり、魔が差したり、事故や事件を引き寄せることはあれど、死神が注意すれば予防も阻止もできなくはない。
「どうしよう、このまま帰ってこなかったら……」
シンは沈黙を守る。
恐らく、あの亀は死なない。
だが、もどってくる保証はない。
やれやれ、と内心ため息をつきそうになりながら、教えてやろうかどうか悩む。
仕方なく、シンは片手をあげて提案する。
「……とりあえず、食事にしましょう。休憩もした方がいいですね」
近くの公園にある大きな時計を見れば、時間はお昼に近かった。
午前中からほぼ休憩もなしに、どこにいるとも分からない猫を探しているのだ、そろそろ休ませた方がいい。
「でも」
食い下がる羽柴に、とうとうシンはため息をついた。
「……あの亀は死にません」
え、と羽柴は目を丸くした。
「なんで? ほんとに?」
戸惑いの眼差しを向けてくる羽柴に、シンはうなずいてやる。
「死神の名に懸けて」
その言葉で、羽柴は目の前にいるのが死神だと思い出したようだった。
「そっか、そっか……!!」
途端に希望がわいたのか、ぱあっと顔を明るくする羽柴に、シンは説明を続ける。
「ですが、どこにいるかまでは分かりません。ですから、一旦休憩して、また探しましょう」
「うん!」
やたらと素直にうなずいた。分かりやすい人間だ、と思いながら来た道を戻ろうとするシンの横、羽柴が小走りにやってきて肩をならべた。
「ありがとう!」
礼を言われる筋合いの話ではない。さっさと見つからないものか。
シンは羽柴の言葉を無視して、言いたいことをつっけんどんに伝える。
「食事ぐらいきちんと摂りなさい」
人間はすぐに死ぬのだから。特にこの人間は目を離したら車にでもはねられかねない。
「シンは優しいね」
明るくなった羽柴の言葉に、シンは口を閉ざす。
およそ死神を形容する言葉ではない。
過去に、消えろ、いなくなれ、などと口汚く散々言われたが、全く気になる事などなかった。
シンがいてもいなくても、その人間が死ぬことは決まっているのだ。死にゆく者に何を言われようと、いずれ言った者ごと消えてしまう。
けれども、その言葉のこそばゆさは気持ちが悪い。
どうにも、調子が狂う。
「お昼は何食べたい?」
シンのリクエストに応えるよ。と、元気を取り戻した羽柴に言われて口ごもる。
「……別に、なんでも」
そもそも、食べなくても。
「その答えは嫌われるよー?」
「食べたいものがないだけです」
「じゃあ、朝パンだったからご飯にしようかな」
好きにすればいい、とそっけなく返事をしながら部屋へと戻る。
「でも、どこの猫なんだろ。よく見るから近所の子だと思うんだけど」
近所の人に聞けば分かるかなあ。と、羽柴は独り言のようにつぶやくが、シンが見る限りでは平日の日中で道行く人も少なかった。手掛かりが色ぐらいしかない猫を聞いて探すのは無理を感じつつ、その言葉を聞き流す。
「連れて帰ってきてくれないかな」
「無理でしょうね」
玄関のカギを開けながら、羽柴がつぶやく。
「それか自分で戻ってこないかな」
「それはもっと無理でしょう」
だよねえ。と羽柴が先に部屋の中に入る。それに続いてシンも部屋の中に入る。
「簡単なの作っちゃうから、テレビでも見ててよ」
「……ですから、食べなくても問題ありません」
「気分の問題。いいからほら」
リモコンを渡され、シンは思わず受け取ってしまう。
「使い方分かるよね」
そのぐらい知っている。と電源ボタンを押せば、画面のスイッチが入り、お昼のニュースを読み上げるアナウンサーが出てきた。
羽柴は台所へ向かい、その横に置いてある小さな冷蔵庫を開けた。
「なんか面白いのやってる?」
「いえ、この人間はまだ死なないことぐらいしか」
シンがアナウンサーを指差して言えば、羽柴は笑顔と困惑の中間ぐらいの表情を浮かべながら、冷蔵庫から顔を上げる。
「……そういう意味じゃないんだけど」
「それ以外に何の意味が?」
「えっと、うーん」
「情報番組の判断基準は有益か無益か、でしょう。遠く離れた場所の事件や事故を知ったところで、世間話以外に役立つとは思えませんが」
冷蔵庫から野菜を取り出して、羽柴は「そう言われると、うーん」とうなりながら立ち上がる。
「死神って、そういう娯楽ないの?」
まな板を取り出して置くと、シンクで野菜を洗いながら羽柴がシンに問いかけてきた。問われたシンも「なくはないですよ」と答える。
「人間の嗜好娯楽を楽しむ死神もいます」
「へー。煙草とか、お酒とか?」
「ええ、まあ、作用があるわけではないので、疑似体験というやつでしょうか」
キャベツに刃物を入れて、ざくざくと切りながら羽柴は「へえ」と相づちをうつ。
「それって面白いからやってるんじゃないの?」
「否定はしませんが、私には理解不能です」
手を動かしながら羽柴は苦笑した。
「……だろうね」
白いボウルに切った野菜を入れてゆく。意外に器用に手を動かす羽柴がテレビより気になって、シンは立ち上がって台所近くに立つ。
長ネギを切っているその手先の動きを何となく眺めていると、背後のテレビから笑い声が聞こえてきた。情報番組は終わったらしい。
ふと意識を羽柴へと戻せば、逆に不思議そうに羽柴がシンを見上げていた。
「なに? 珍しい?」
「意外に器用そうですね」
正直に言うシンに、羽柴は苦笑する。
「意外っていうのが気になるけど、ウサちゃんりんごぐらいは作れるよ」
「……ウサちゃんりんご」
何だそれは。初めて聞く単語を繰り返す。口にしてもやっぱりよく分からなかった。
「シンもなんか器用そうだよね」
問われたので当たり前です。とうなずいた。
「刃物の扱いには自信があります」
「いや、鎌じゃなくてね」
他に何が。
真剣に考えるシンの横で、切った野菜とウインナーをフライパンへと入れてゆく。
じゅう、とフライパンから水分が蒸発する音が響いた。
「あ」
羽柴の声にシンが意識を戻せば、真剣な表情でシンを見上げてきた。
「お米たいてない」
今手が離せないから、ちょっとお米といで、やり方分んなかったら教えるから。
そう真顔で言われて、シンは指示された通りに炊飯器から内釜を取り出しながら、
「……これは、一番最初にする作業ではないんですかね?」
当たり前の作業を忘れたんです?
ふと疑問に思った事を遠まわしに問えば、そうかもしれない、と羽柴はごまかすように言いながら、消極的に同意した。