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第9話『もう一度頑張ってみたいんだ』

放課後になった。終礼を終えると張り詰めた空気は一気に緩み、みんなが思うままに、これから先の行動を起こしていた。


「よいしょっと……」


数分後、極端に人が少なくなったのを見計らって、席から立ち上がる。


「また、あそこに行くのか?」


教室のドアを潜ると、孝昌が待ってくれていた。


「行くって言ったら?」


「帰るよ。待つ理由も無いしな」


「即答かよ。まぁ、行くんだけどね」


「よくやるぜ。文化祭まで一月と少し、無謀だからやめとけって言いたいけどな……」


「僕のやりたいこと、頑張ってみたいこと。ようやく見つけたんだ。だから、もう一度、頑張ってみたいんだ」


孝昌は僕の顔を見つめる。腹の中を探るように。


「そっか。じゃ、また明日な」


「うん」


「……俺は応援してっから、頑張ってな」


何もないと分かると途端に興味を無くしたのか、手を振って帰って行った。


「あ、ありがとう……」


僕はその背中を見送りつつ、予想外の励ましに狼狽するのだった。


***


僕は2週間前から、音楽室を借りてピアノの練習をしている。


きっかけは、とあるピアニストの活動休止宣言だった。


その人はメジャーというほど広く知られていたわけでは無かったけど、コンクールで何度も優勝を掻っ攫うほどの実力者だった。


その人が、活動を休止する。そのきっかけは分からなくて、ネット上では様々な憶測が飛び交っていた。


あまり公には言えないようなものも多数あって、大した理由も無かったけど僕は内心腹立たしくて。


単なる自己満足だし、絶対に届かないだろうけど。


ありがとうって、その想いを込めて、ピアノを弾きたいと思ったんだ。


ヘタクソでもいい。だって自己満足なんだから。大勢の前で恥をかくことも、構わずに。


選曲はもちろん、『BRILLIANT WINTER』。


その人が出した、たった一枚のカバーアルバム。その最初の曲が、これだった。


最初に見たとき、ビビッと来た。シンパシーを感じた。


その人もきっと、この曲が好きなんだろうなって。


なんとなくだけど、そう思ったんだ。


***


「……ん?」


第二音楽室は普段僕らが使う校舎とは別の校舎の三階に位置している。


そこまでの階段を登っている最中に、音が聞こえた。


「すごい……!」


微塵の狂いもなく、高速で奏でられるその旋律。ピアノの、それも恐らくエチュード集、第5番『黒鍵』。


通称・黒鍵のエチュードと呼ばれるそれが、一階下のこの踊り場まで聞こえてきていた。


気がついたら足取りは軽くて、心を年甲斐もなくときめかせながら、僕はその音の出所へ向かった。



「……」


音は先ほどよりも大きく、鮮明に聞こえる。


少し開いたドアから覗く。


「……っ」


細くて白い指が鍵盤の上を流れるように、滑らかに踊っている。


指先から二の腕、肩、首、そして顔へと視線を移して……。


「え、ーーーーーー瀬海、さん?」


彼女が、どうして……。


無意識のうちに呟いたその瞬間に、音楽がピタリと止んだ。


***


Another point of view:瀬海


指が軽い。


こんなにちゃんと弾いたのはあの日以来だと言うのに、私の指はまだちゃんと動いてくれていた。


指が踊る、というのは少し違う。


指が走る、疾走するという感覚の方が、私には近いように感じる。


「……ふぅ」


溜息を吐いている間も、一瞬も速度を落とすことはなく、指の動きは止まらない。


私の得意なことは、これだ。


ピアノを弾くということ。これが私の存在証明。


鍵盤の上で疾走する指を、夕焼けは優しく照らしてくれる。


こんな静かで、穏やかな環境なら、弾き続けるのも悪くない。




『え、ーーーーーー瀬海、さん?』





「……っ!?」


突然の異常事態に、手が止まる。心臓が痛いくらいに拍動する。バクバクする。


何、が? 何が起きているの?


まさか、見られた?


声、あれは男の人の声だった。


迂闊だった。もっと、こうなる事を予期しておくべきだった。


「……」


焦って白熱する思考をなんとか抑えつけて、必死に考えを巡らせる。


***


Basic point of view.


「あ、ヤベッ……!!」


演奏が止まった。まさか、こっちに気づいたのか?


ちょっと耳が良すぎるんじゃないか!?


とりあえず、ここから逃げーーーーーー



『動かないで』


「え……?」


後ろへ下がろうとスライドさせた足が止まる。


『……中に、入ってください』


「な、ん……?」


入って来いって? もし入ったとして、僕は無事に帰れるだろうか?


僕、日課をこなしに来ただけなんだけどな……。


恨み言というか、言い訳が次々と頭の中へ湧いて出てくる。


とにかくそれらを一旦すべて振り払って、言われた通りにしてみよう。


なるべく相手の方を見なくて良いように、俯きながら中に入る。


「し、失礼しま……」


「あ、あなたはっ!!」


僕の声は、驚愕の声に遮られた。


その声につられて、思わず顔を上げてしまった。


黒い長髪にメガネ。椅子に座って、姿勢を正していることが珍しいこと以外は変わらない。


彼女が、瀬海琴が、そこにいた。





その時、僕は思いもしなかったんだ。


まさか、あんな好機が訪れるなんて。

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