なんて罪深いんでしょう!!!
俺が近くの教会へ通いはじめて半年が過ぎた。
とは言っても別に怪しい勧誘を受けて洗脳されたわけでも、実家にやってくる坊主が嫌いすぎてキリスト教へ鞍替えしたわけでもない。
ちょっとした事で教会のシスターと知り合った俺は、彼女の主催している「早朝聖書勉強会」なるものに参加し続けているのだ。
なんと朝5時半という素晴らしいゴールデンタイムに開始されるため、平均参加人数1.2人という日本の出生率のような地面スレスレアベレージを叩き出し続けている。
要するに参加者はほとんど俺しかおらず、シスターと二人で不毛な勉強会を半年間続けているという事だ。
半年続けて俺が覚えたことといえば「アーメン」の意味が「その通りです!」だという事だけである。
では何故俺が半分眠りながら通い続けているかといえば、そのシスターこと黒木さんが、とてもいい女だからだ。
***
いつものように朝のランニングを終えた俺は教会の敷地をまたいだ。1月の早朝であるため辺りはまだ真っ暗である。
庭に立つ街灯を頼りに礼拝堂の方へ歩いて行くと、ステンドグラスから色づく明かりが漏れてきている。
もう黒木さんは来ているようだ。
軋む木製のドアを開けて入ると、礼拝堂の中央通路に仁王立ちでこちらを睨む女性の姿があった。色白の肌に赤縁のメガネ、そして繊細な顔立ちの彼女はこの教会のシスター、黒木さんである。
ぱっと見、黒い修道服を着て頭にはベールをつけたシスターだが、誰もが1秒経ったところで彼女のおかしさに気付くだろう。
先ず履いているスカートの丈が異様に短いということ。少しかがんだだけで色んなものが見えそうだ。
これだけでも大分おかしいが、身を隠すためにある筈の修道服の胸元がぱっくり割れていて、白く深い谷間がハッキリと見えている。
だが一番おかしいのは彼女にエロい格好をしているという自覚がないことだ。おかげで俺はいい思いをしているわけだが。
「星くん、昨日はどうして休んだのかしら?」
黒木さんの透き通るような声が俺を現実に引き戻した。俺が昨日ここに来なかったことを咎めているようだ。
「いや、昨日はちょっと嫌なことがあって」
俺は黒木さんからバツ悪く目をそらした。
「まぁ座って、何があったか話してちょうだい」
いくらか優しい声になった黒木さんは教会のシックな色合いの木製ベンチに座るよう促した。
俺が座ると黒木さんはすぐ横に密着する形で腰を下ろしてくる。
最初はこの距離の近さにビックリしたが、半年経った今は落ち着いて谷間を観察する術を身につけた。
「それで何があったの?」
「実は空手の試合で負けちゃって」
「でも星くんは強いんでしょう?」
そうだ、俺は今年の春まで地元では無類の強さを誇る大学生だった。
ところが春先の大会で無名の高校生に一本負けしてから俺のプライドは地に堕ちる。
その後、夏、秋といずれも決勝戦で当たってはボコられ、満を辞して臨んだ一昨日の冬季大会では、一切何も見えない速さと軌道で飛んできた「後ろ回し蹴り」で顎を撃ち抜かれ、KOされた。
「分かったわ、星くんはその子のことが好きなのね」
ここでとんでもない勘違いを始める黒木さん。
「いや、あの黒木さん。俺が負けた相手は男ですよ」
「ええ、分かっていますわ」
「ええ?!」
「カトリック的には認められていないけれど、私個人的には星くんを応援しているわ!」
そう言って親指を立てる黒木さん。なんだ、頭腐ってんのか。
「違いますよ! 俺はただ単純に負けて凹んでるんですよ!」
「でも星くんが勝てないんなら、どうしようもなく強い相手なんでしょう?」
「バケモノですよ……」
その時黒木さんのメガネがギラリと光るのが分かった。
「その子、大きいの!?」
俺の両肩を掴んで揺する。その動きに伴って黒木さんの胸も揺れている。何がそんなにこの人を駆り立てるのか。
「まぁ、春先に会った時は180そこそこでしたけど、昨日見たときは190センチ近かったですね」
「なんだ、身長の話ですの……」
黒木さんは急に興味を失ったかのように俺から手を離す。
いや当たり前だろ。なんで空手の大会でアレの大きさを競わないといけないんだよ。
「でも星くんはずっと誰よりも練習しているじゃない。毎日4時半に起きてランニングをしているし、夜も誰より遅く道場に残って練習しているんでしょう?」
俺は唇を噛み締めた。そうだ。俺は誰よりも練習してきた。全てはあの高校生、神本に勝つために……。だが、勝てなかった。
「まぁしょせんは俺に格闘技の才能なんて無かったって事ですよ。いくら努力してもセンスと体格だけはどうにもならない。その高校生、すごい筋肉のつき方してますし」
「なるほど、ということは星くんが『受け』ですわね」
「何の話をしてるんだ黒木さんや……」
「それで、星くんはどんな屈服のさせられ方をしましたの!?」
眼鏡の奥で瞳をキラキラ輝かせて聞いてくる黒木さん。
「どんなって……、俺も前の大会よりは健闘したんですけどね」
「なるほど、形上は嫌がっていたのね」
「……、そ、それで俺はインファイターですから先ず自分の間合いに入りたかったんです」
「密着したかったのね!!!」
「……それで! 距離を詰めようとしたんですけど、うまい具合に逃げられるんですよ! 相手の手足が長くて懐が深いんです」
「そんな懐に飛び込みたくなったのね!!」
「で! それで! なんとかコーナーに追い詰めたところで」
「唇を奪われたのね!!」
「違うわ!!!」
「なんて罪深いんでしょう!!!」
「アンタだよ! ずっと突っ込もうと思ってたけどアンタの脳みそだよ罪深いのは!!」
「それでキスをした後で何をしたの!!?」
「やってねーよ!! 俺が踏み込んだところでカウンターの後ろ回し蹴りを食らったんです!」
「まぁ、それは大丈夫だったの!?」
ここで初めて真面目に俺の心配をする黒木さん。
「ええ、まぁ。追い詰めたと思っていたのは俺だけ。まんまと奴の罠にハマったってわけですよ」
「『誘われ攻め』ね!!」
「なにテンション上げてんだよ!」
と、ここで黒木さんは俺から目をそらし、一度メガネの位置を直してから落ち着いた口調で喋り始めた。
「そうなの……、空手って壮絶な男同士の絡み合いなのね……」
「言い方どうにかしてくんねーかなぁ!」
「それで、その後その子とはどこまでヤったの?」
「何もヤってないわ!!」
「でも一度喧嘩した相手と行くとこまで行っちゃうって話はよくあるでしょう?」
「無ぇよ!!! アンタ頭にBL本でも詰まってんじゃねぇのか!!」
散々叫んで虚しくなってきた俺の目には涙が込み上げてきた。
今まで何度負けようが骨が折れようが泣いたことなどなかったのだが、同じ相手への4度目の敗北、そして意味のわからない黒木さんの言動に涙を止められなくなった。
俺は顔を隠すようにうつむき、袖で涙を拭った。すると黒木さんが俺の上体を起こし、自分の胸に抱くように俺を抱き寄せた。
胸の柔らかい感触が俺の顔を包み込む。
「星くん、負けても良いのよ」
「いいわけないでしょう。俺は大学の空手部のメンツと、俺自身のプライドを掛けて戦った。そして負けたんです」
黒木さんはより一層強く俺を抱きしめる。
「それでも良いの。星くんはそのままで良いの。神様は、そのままの星くんを『愛された存在』として造ってくださったのだから」
「そんなこと、信じられるわけ……」
「信じられなくても良いのですわ。誰からも認められなくたって、神様、それから私が星くんの価値を認めているから。勝てなくったって、誰が否定したって良いの。あなたはそのままで価値のある存在なのよ」
俺は何というか、今まで感じたことのない気持ちの穏やかさに包まれていた。これは決して黒木さんの胸の感触を感じているからではない。「勝てなくても良い」と言われた瞬間、両肩の重荷が一気に降りる気がしたからだ。ありがとう黒木さん。キリスト教がこんな良い教えなら、改宗しても良いかも……。
「それで星くん、空手の男同士の絡み合いについてもう少し教えて欲しいのだけれど」
黒木さんの声と共に聞こえてくる荒い息遣い。
うん、やっぱりもうちょっと考えよう。柔らかい感触を感じながら俺はそう思った。
おわり
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