出会いそして別れ
寒さのあまり、明け方頃目が覚める。くもりガラスを拭い外を見れば真っ白で、育ての親のマレージ奥様が寒いわと言った。
いつまでも寒さに震えていたら、マレージ奥様にどやされるからさっさと朝の仕事をしなくちゃ。
水を汲むために外へ出れば寒くて痛くてブルブルした。こんなに寒いなんて思わなかった。サクサクとした雪の上を歩くと足が痛い。そんな時はどこかの誰かが呟いていた歌を鼻歌に痛みをごまかすしかない。震えながら歌い井戸の水を汲む。
歌えば体がポカポカするから気持ちまで温かくなる。
久し振りに声を出した。足も手も寒さで感覚が分からない。やっぱり裸足で素手で雪の中に居るからだよね。着ている物といったら長ったらしくてだぼだぼのローブ、ただの一つ。それも雑巾みたいだとマレージ奥様の子供のジョージに言われたっけ。
ジョージは私の二つ上の男の子、男爵家の後取りなんだって。だからいつも偉そう。男爵っていうのは貴族で偉い人で、私みたいなみすぼらしい人間が近づいちゃいけない人なんだって。だからなるべく視界に入らないように過ごしている。
だってジョージに近づけばマレージ奥様が怒る。呪われてるから近寄るなって……
私のお母さんは私が生まれてすぐ死んじゃった。お父さんは戦争で死んで、お兄ちゃんは流行り病にかかって、おじいちゃんとおばあちゃんは盗賊に襲われ死んだってマレージ奥様に言われた。
私は平穏に過ごしていきたい。だからジョージに近づいてちゃいけない。でも無視してもジョージの方からやってくるけどね。そういうときが一番困るんだけど、仕方ないからこっそり隠れたりしてる。
「ロッテぐずぐずしてないで早く暖炉の火をおこしなさい」
マレージ奥様の怒鳴り声に私は井戸から汲んだ水を手に家に入る。「早くして」と言われ、慌てて薪に火をつける。火打石を持つ手は震えていたけど何とか火をつけられた。よかったこれで怒られない。
急いで水を手に厨房に持って行くと、水瓶に水を入れる。恰幅のいいコックのリヒャルトさんがリンゴを一つくれてそれが今日の朝ごはん。
リンゴを食べたら、ジョージやマレージ奥様が来ないうちに玄関口の掃除をして、私はなるべく人目に触れずに館の中を掃除していく。使用人のクロスさんが私を呼びにくるまでそれは続き、クロスさんとリヒャルトさんの話を黙って聞きながら昼食をとる。
今日の昼ごはんは残り物のパンとスープでごちそうだ。やった。
「リヒャルト、あまりロッテを甘やかすと奥様に咎められるぞ」
「クロス、ロッテは育ち盛りだ。こんなにひょろひょろで、いつおっちぬか分からねぇ子を放ってはおけねぇだろう」
今日は私のことで喧嘩になる。やっぱり贅沢なんかしないでリンゴをかじっていれば良かったんだ。リヒャルトさんの裾を掴みごめんなさいと頭を下げ、昼食をかっこむように食べると私は厨房を抜け出した。
今日は雪だからもうやることがない。屋敷の屋根裏にある自分の部屋に戻る。部屋の中は物置になっていて、私の少しの荷物と書庫に入りきれない本が置いてある。文字が読めない私でも本の中の絵は楽しめる。
これはなんて書いてあるのだろうと気になることは沢山ある。けれどそれを家の者に聞けば、この本達はきっと取り上げられちゃう。本の中身は隅から隅まで覚えている。変な形の文字も全部だ。
「ロッテ、出てきなさい」
マレージ奥様の声に私は慌てて部屋を飛び出す。
「ロッテ、お前に学園への入学案内が届いたわ」
学園って何だろう。マレージ奥様は分からない私を置いて、早口で何事か呟くとこちらを睨む。
「お前は荷物をまとめて応接室に来なさい」
「はい」
どうして荷物をまとめなくちゃならないのか、なんで応接室に呼び出されるのか、一体何が起きているか分からない。
ただ分かるのは追い出されそうだってこと。
こんな寒い日に放り出されたら私は死んじゃう。
部屋に戻ると、恐怖で体が震えた。マレージ奥様はどんくさい子が大嫌い。怖くても急がなくては何をされるか分からない。
手元にある物は小さな果物ナイフに火打石、それから親の形見のくすんだ指環が一つ、あとは何もない。それらの入ったぼろぼろの布の袋を手にする。
本は流石に持ってはいけない。
私の唯一の楽しみは失われた。
けれど中身は何回も何回も読み返してきたから忘れてはいない。大丈夫、分からない文字の羅列すら覚えてしまったのだから本など無くても大丈夫、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。
応接室に行くと知らない男の人が待ってた。黒髪を油で後ろに撫で固め、アイスブルーの瞳は冷たそうだけど眼鏡をかけているからか優しげだ。ぱりっとしたスーツを着ている。その様子は何も分からない私にも優雅に見えた。
「マダムマレージ、彼女がロッテ嬢かな」
「そうです」
男の人は皮でできた鞄から袋を取り出すとマレージ奥様に渡す。
「お金は確かに貰いました。あとはお好きにしてください」
私もしかして売られるのと、不安げな顔でマレージ奥様を見れば、面倒くさそうに言われた。
「ロッテ、お前はこの方に買われたんだ。だからもうこの家に戻ってくるんじゃないよ」
しっしと手を振り追い出そうとするマレージ奥様に、男の人は厳しい目を向ける。すると、マレージ奥様はため息をついて「早くお行き」と、私を追い出した。
門の前には馬車が止まっていて、男の人は私の手を掴むと「さあ、おいで」と馬車の中へと導く。馬車の中は暖かく、私はフカフカの椅子に座らせられる。何もかもが初めてで、きょろきょろと馬車の中を見回し、私は男の人と目があう。
「ミスロッテ、私の名はレイス。ルビウス魔法学園学長で今日から君の師となるものだ」
よろしくと握手をされたが私の頭はちんぷんかんぷんだ。魔法って何だろう。学園というのは確かジョージが習い事をしに通っているところだ。
マレージ奥様が私に習い事をさせる筈がない。習い事をするにはとてもお金がかかるものだと私でも知ってる。この人レイスさんは私の師って言ったけど師ってなんだろう。マレージ奥様が意地悪なことをレイスさんに言わないから、もしかしてマレージ奥様より偉い人なのかも。
お金を何も持っていない私は、レイスさんに見放されたら外に放り出されてしまうかもしれない。私はひょろひょろの体をこれでもかって位ちぢこませて、そっとレイスさんに視線を向ける。するとレイスさんは優しい笑みを浮かべて私の手を取った。
「ミスロッテ震えていますが大丈夫ですか」
「はい」
そう言えばレイスさんはニッコリと笑いかけてくれる。突然の優しさに驚いた。私はどうしていいかも分からず目が游ぐ。こんなことは初めてで、レイスさんはそんな私の頭をそっと撫でてくれた。大丈夫大丈夫と言い聞かせられ私が大丈夫なんだと思うまでレイスさんは優しくしてくれた。