巽と沙耶
「着きました。この家です」
警察本部から十分程歩いたところで、アリスの家に到着した。
立派な一軒家である。夢のマイホームなんて言葉がよく似あっている、庭付き一戸建てだ。
ただ一つ気になるところがあるとすれば、庭が少々荒れていること位か。
「どうぞお入りください」
「それじゃ、おじゃまします」
俺は家の人にも分かるくらい声を出したつもりだが、返事は返ってこなかった。
どうやらご両親は不在のようだ。
「アリスちゃん、お父さんとお母さんはいつ頃帰ってくるのかな?」
沙耶のその何気ない質問で、アリスの表情は固まった
その瞬間、俺達誰もが事情を察した。
沙耶は自分の軽率な質問を悔いているようだったが、一度口にしてしまった言葉はひっこめられない。
アリスは悲しそうに口を開いた。
「お父さんもお母さんも警察に捕まっちゃったから、もう帰ってこないかも......」
アリスに家を借りるお礼として、俺達は夜まで家事に明け暮れた。
みんな居住区を脱走した疲れも忘れ、洗濯や掃除、料理などに没頭した。
おそらくそうすることが、今日見た処刑の光景や、アリスの家庭事情などの様々な憂鬱な出来事を考えずにすむ方法であったからだろう。
アリスはとりわけ料理に大喜びであった。
「このサラダ美味しい! それとこのマリネ? も凄く美味しい! こんな美味しいお料理久しぶりだ!」
「そう。それはなによりだわ」
麻子部長はクールに受け答えて見せたが、笑みは隠しきれていなかった。
まだ会って数時間だというのにこのアリスという少女、我がサバイバル部全員を既に虜にしていた。
雄二でさえもデレている。
きっかけは装備していたメリケンサックを褒められたことらしい。
このセンスが分かるとは見る目がある娘だ、とは雄二談。
ともかくも、俺たち全員はアリスと順調に仲良くなっていた。
同時に、そんな少女の身の上に降りかかった悲劇に同情していた。
「アリスちゃん、ホントに良い子だね」
夜、縁側に座っていると、隣に沙耶が腰を下ろした。
「そうだな。明るくて礼儀もしっかりしてるし、こんな大変な状況なのに、ホントに一人で頑張ってるよな」
食事の時、アリスはよくしゃべり、よく笑った。根は明るい子なのだろう。
しかし、警察本部前で見た時の彼女は暗く、悲壮感で満ち溢れていた。
ただでさえ魔獣が出現して世の中が不安になっているところに、あのような腐った警察が支配を始めたのだ。
そしてアリスの両親が逮捕されてしまった。
このような悲劇が彼女を負のオーラで塗りつぶしてしまったのだろう。
「アリスちゃんの事情も知らずに親のこと聞いちゃうなんて、私、ホントバカだなぁ......」
「気にすんなって」
どうやら沙耶は夕方の一件をまだ気にしているようだ。
以前、俺が沙耶の親のことを聞いた時と逆の立場になっていた。
「このご時世、皆色々な事情を抱えてるってことだよな。人に言いにくいような辛いことをいっぱいさ」
隣にいる沙耶の顔を見ながら言う。
「だから、人の事情に深入りはしないことも時には大切だと思うんだ。結局他人同士だから、他人の辛さまで抱え込むことは簡単じゃない。その覚悟も無しに深入りしたら、お互いが傷つくだけだし」
辛さを吐き出すということは勇気のいる行動だ。
相手が共感してくれなければ、相手から途中で拒絶されれば、自分がより傷つくのだから。
だから人は他人との間に線を引いている。
他人に依存し、裏切られて苦しまないように。
信頼できる人間だけがその線の内側に入ることを許される。
多分アリスが俺達に親のことを打ち明けたのは、俺達を信頼し、線の内側に招き入れてくれたからであろう。
いや、もしかしたら親がいなくなった辛さに耐えかねて、裏切られ、もっと辛くなるとしても、吐き出さなければやっていけないと思ったからかもしれないが。
だが、沙耶はあの日、俺を内側に入れなかった。
いや、俺が内側に入ることを躊躇ったのかもしれない。
内側に入ることを拒まれるのも傷つくからだ。
だけど俺は、魔獣が現れて以来、何か辛いことを一人で抱え込んでいる沙耶をこれ以上見ていられなかった。
そしてその内容に、俺は心当たりがあった。それが正しければ、中々重い事情である。
半端な覚悟では聞けない事情、だが、覚悟は決まった。
沙耶には過去に大きな恩もある。だから今度は俺が助ける番だ。
俺は沙耶に問いかける。
「でも、一人でずっと抱え込んでいるのも辛いと思うんだ。誰かに話しちゃえれば楽になれると思うから、だから」
一度、大きく息を吸った。
「だから沙耶、俺にお前の事情を打ち明けてくれないか」
沙耶は驚いたように目を瞬かせた。
「魔獣が現れてから、沙耶はずっと辛いのを隠して、今までと変わらないように振る舞ってただろ? 隠さなくていいから、俺は受け止めるから、だから、何があったのか、聞かせてくれ」
俺は沙耶との間にこれまであった、関係性のラインを踏み越えようとしている。
彼女はそれを受け入れてくれるのか。
拒絶されるのかもしれない。
それは当然ショックだ、信頼されていないということだから。
だが、傷つくことのリスクなしに人との間の関係性は変えられない物である。
こんなことを考えられるようになったのも彼女のおかげである。
だから、たとえ傷つくリスクを負おうとも、彼女を助けたかった。
沙耶は俺の目をじっと見つめていた。
俺も見つめ返していた。
長い時が流れる。
いや、俺がそう感じているだけで、ほんの一瞬だったのかもしれない。
遂に沙耶が口を開いた。
「......あのね、私もアリスちゃんと同じなんだ。アリスちゃんと同じで、お父さんもお母さんも、帰ってこないんだ」
「それって......」
「つまり......」
沙耶は目を潤ましながらも、懸命に言葉を振り絞った。
「......私の親二人がいる部隊、魔獣討伐に行ったっきり、連絡が取れないの」




