終わりなき逃避行へ
事件の翌日、これからの生活に備えて口座から金を引き下ろし、必要になりそうな物を買いそろえた。
俺の口座には莫大な金がある。
働かなくても十年は生活できそうな位。
両親が居ない俺を憐れんだのか、叔父が口座に一括で大金を振り込んでくれたそうな。
ありがたや、ありがたや。
ただし高校入学前後に振り込まれて以降、一切音沙汰がないことを考えると、あとは自分で生きろということなのだろう。
だからこれから毎日遊んで暮らすということは出来ない。
残念。
だが、今暮らしているこの部屋から学校から、全て叔父が選んだものだ。
感謝している。
顔を見たことも、口をきいたことすら一切ないが。
何はともあれ、そのお金がこういう形で役に立ったわけだ。
一通り必要な物を買い、また手元に一年くらいは生活できそうな程の金を財布に入れて自宅へと戻る途中、何者かの視線を感じた。
それも複数。
悪意も感じる。
視線の方を振り向きたい欲求に駆られたが、ひとまず抑え、状況の分析にあたった。
使うのは主に聴覚。
相手にこちらが注意を向けていることを悟られずに情報を入手できる、極めて優秀なツールである。
耳を澄ますと、誰かが話す声が聞こえた。
「えぇ、あの子が例の......」
「魔法を使うっていう......」
「警察に通報しないとダメかしら......」
「警察なんてあてにならないわ。私たちの手で......」
「あんなやつら、さっさと消えればいいのに......」
「よく平気なツラして町歩けるわね......」
他のサバイバル部のメンバーにはあまり外に出歩かないよう言っておかなきゃな。
帰宅し、ベッドに横になる。
どうやら状況は予想通り(悪い予想だが)俺達を魔法使いグループと断定したらしい。
いや、目に見えて分かりやすいのは女子三人の魔法だから魔女三人とそのしもべ、って感じか。
昨日の校庭での説明で誤魔化せないのは分かっていたが、これほどまで簡単に人が魔法の存在を信じるとは。
科学文明とは何だったのか。
異世界と言う非科学的事象一つでこうもあっさり壊れてしまうんだな。
それに厄介なことに、どうも俺達は異世界側の勢力とみなされている節がある。
まぁ非科学的な領分は異世界サイドのもの→あいつらも異世界側の連中。
っていう短絡的思考なのだろうが、もう居住区内全体がそういう風潮になってしまった。
悲しいことだ。
学校を魔獣の脅威から救ったというのに。
あのままなら犠牲者の数は間違いなく増えていた。
だから、俺達の行動が間違っていたとは今でも思っていない。
ああする以外は無かった。
そしてその行動がこの現状を産み出した。
ならばこれは必然だったのかもしれない。
俺が魔獣退治をしようといったその日から決まっていたのかも。
「......止めよう。大事なのは未来だ」
現在の思考を強制シャットダウンし、強引に切り替える。
これからどうするか。
パソコンを開き、昨日部長からもらった地図データを開く。
俺達がいる居住区、ナンバー36の北東に位置するナンバー33。
とりあえずはこの居住区を目指すことにした。
この居住区はここから約30キロ先。
これを徒歩に換算すると大体6時間かかる距離と言うことになる。
6時間の散歩。
途中休憩を入れると考えると、もっとかかると見積もった方がいいだろう。
本当は車が使えると楽なのだが、それは叶わなそうだ。
別に車が用意出来ない訳ではない。その程度、部長の財力があれば多分可能だ。
運転も、俺はゲームセンターで好スコアを叩きだしている男、その位は出来る。
だが問題は居住区外の道路状況だ。
居住区外に脱走した経験をもつ雄二の情報によれば、外は建物が崩れ落ち、道路には魔獣の死体。あちこちに穴が開いており、時折車より大型の魔獣が徘徊しているという。
これではちょっと車を走らせられそうにない。
無念だ。車が使えれば犬の一頭や二頭、ひき殺してくれたのに。
いや、キマイラの炎がガソリンに引火したらジ・エンドか? どうなんだろ。
ともかくも車計画は断念。
徒歩での旅となる。
具体的な計画はこうだ。
明日の午前4時、町の北のはずれにある公園で俺達五人は落ち合う。
経験者の雄二の話によれば、居住区外を見張っている軍の方々(ここの担当は自衛隊。日本の軍だ)は4時半に見張りを交代するようだ。
その隙を狙い、脱出する。
あとは地図を読みながらそのまま北東に進み、日が暮れるころには居住区33に到着。
移民として当面は生活する。
こんなプラン。
全く穴が無い。我ながら完璧だ。
ただ問題は、現時点でこの居住区内の情報が一切手に入らないこと。
軍(ここの担当も自衛隊。良かった話通じそう)は駐在しているらしいので、まだ魔獣たちの手には落ちていないようなのだが、平和な居住区かそうでないかは行ってみないことには分からない。
この点に不安は残るが、この居住区に留まるよりはましだろう。
......魔女狩りが行われてもおかしくないような状況なのだから。
人間は不幸が起こるとその原因を何かに求めたくなるものだ。
出来れば運命とか魔王とかそういったものではなく近くにいるものに。
そこに魔法を使う俺達が登場。
ちょうどいいところに現れてしまったものだ。
この異質なものに不幸の責任をかぶせ、復讐しようと思うのは自然な流れ。
自然な流れだと分かってはいるが......。
「やりきれねぇよな......」
世の中とは理不尽なものだ。
だが嘆いてばかりではいられない。
本格的に居住区内の人間が俺達を排除すると決める前に自分たちで消えねば。
逃げ遅れればどんな悲惨な目に合うか。
異世界の侵略以降に溜まった恨みやつらみ、それのはけ口とされればどんな目に合うか容易に想像が出来る。
殺されるだけならまだいい。
だがこれまでの歴史を顧みれば、その死は言葉では言い表せない程の惨たらしい地獄を見た末のものとなるだろう。
人としての尊厳を奪われた末の死だ。
そんなもの、まっぴらごめんだ。
「......考えるの中止」
再び思考回路強制シャットダウン。
そのまま眠りにつこう。
明日は早いのだ。
翌朝、日曜日。休日の朝早くから俺は目を覚ました。
いつもなら日曜日は昼まで寝て過ごすが、今日はそういうわけにはいかない。
新たなスタートをきる日なのだから。
新たなスタート。
聞こえは良いが、その実は終わりの見えない逃避行の始まりだ。
しかもこの魔獣だらけのご時世で。
普通に考えたら絶望しかそこにはない。
しかし、何故かこの状況に心踊らす自分がいた。
「全く、大変な状況だってのになぁ......」
絶望の逃避行。だが皆がいれば、それも楽しいものになるような気がした。
「さあ、公園にいこうか」
待ち合わせの時間に遅れるわけにはいかない。
俺は玄関の前に立ち、もう一度部屋を見渡す。
いつも一人で過ごしてきた部屋だ。
楽しい思い出があったわけでもない。
だが、それでもどこか名残惜しさはあった。
高校に入学してから一年以上共に過ごしてきた部屋だ。多少の愛着はあったのだ。
だが、今日でしばしお別れ。また会えるのかは分からない。
しばらく感慨にふけっていたかったがそんな時間は無い。
「......行ってきます」
この部屋の景色を忘れないよう胸に刻み付け、俺は公園へと向かった。
午前四時。
公園に全員が集まる。
雄二は飄々としていたが、他の三人はどこか疲れが見える表情だ。
特に美樹は心なしか一昨日よりやつれて見えた。
「どうした美樹、顔色悪いぞ」
「いや、大丈夫です......。ただ昨日、センパイから電話を受ける前にちょっと外に出ちゃいまして......」
「ああ......」
大体理由は察しがついた。
だが今その話題に触れれば、他の女子二人にも悪影響だ。
「まあ今は気にしても仕方ないさ。まず今はここから出ることを考えようぜ」
先に絶望しかないと分かっているからこそ、俺達は今この瞬間を楽しく生きなくては。
「さあ行こう! 大冒険の始まりだ!」
俺は今の自分が出せる中で最も明るい声で皆に呼びかける。
さあ、終わりなき逃避行の始まりだ。




