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 絢理は不思議だった。

 誰にも言わないと心に決めていたのに、悠祐を相手にするとそんな決心が崩れ去っていく。


 拭っても拭っても流れる涙がスカートに染みを作っていくのを眺めながら、ぼんやりとそんなことを想っていた。



 母が入院した時、この世には自分独りになったような気がした。

 それでも、あの子が生きたかった世界を生きると決めたから、自分が母親の側についていようと思ったのだ。



 他人からの同情などいらない。

 煩わしいだけだから。



 そう、思ったこともあった。


 それなのに。

 それなのに。


「先輩は、なんなんですか……」


 両手で顔を覆いながら、絢理は呟く。

 涙で枯れた声は掠れ、悠祐に届くかは怪しいものだった。

 だが、悠祐は声に反応して身じろぎする。


「あの時も、今も、私は先輩に弱みばっかり見せてます。本当は見せたくないのに。私は一人で大丈夫なはずなのに!」


 わかっている。

 これが八つ当たり以外の何物でもないことを。

 

 けれど、絢理は叫ばずにはいられなかった。


「私を、私を返してください!こんなことじゃ動じなかったはずなのに。誰かがいなくなるのは慣れてるはずなのに!」


 屋上に絢理の声が響く。

 空は藍を強くし、町に灯りが浮かび始めていた。





「……神月」


 絢理の乱れた呼吸が落ち着いた頃、悠祐が声をかけるが。


「……もう、何も言わないでください。八つ当たりだってわかってるんです」


 俯き、感情を押し殺した声ですみません、と言い絢理は立ちあがる。


「今日はもう帰ります。暗くなってきたし」


 鞄を持って梯子へ向かおうとする絢理の手を、別の手が握る。


「待て、神月」


 絢理はその手を振り払うが、気付けば反対の腕を握られ引き寄せられていた。

 夕風から夜風に変わった風が冷やした身体が、温もりに包まれる。


「ちょっ、何して!」


 状況を理解した絢理はその腕から逃れようとするが、強い力がそれをさせない。


「……聞け、神月」


 いつもより落ち着いたトーンの悠祐の声が、絢理を宥めるようにゆっくりと紡がれる。


「おまえ、今自分がどれだけ哀しいこと言ってるか、わかってるか?」


 絢理の返事を待たずに悠祐は続ける。


「母親が倒れても動じないとか、誰かがいなくなるのに慣れてるだとか……。よく思い返してみろ。誰かがいなくなることに慣れられるはずがないだろ。母さんが倒れたら心配で眠れないだろ。それが、当たり前なんだよ。当たり前のことを当たり前にしてるだけなんだ。おまえは俺を責めながら、自分自身を責めてるんだよ。そうやって、自分自身傷つけて罰してるんだよ」


 抵抗を止めた絢理に、悠祐はさらに話しかける。


「おまえが俺を責めて楽になるのなら、俺はいくらでも責められてやる。けどな、結局後で後悔するんだろ。ならやめろ。代わりに、おまえが一人にならないように、側にいてやるから。強くないなら支えてやるよ」


 絢理を抱きしめる力が強くなる。

 その腕の中で静まっていく心に戸惑いながら、絢理はぼんやりと悠祐の言葉を聞いていた。

 再び頬を涙が伝う。


 悠祐の腕の中で再び肩を震わせた絢理は、ぽつりと一言呟く。

 風に流されてもわからないくらいの声で。


 そして、遠のいていく意識に抗うことなく、彼女は意識を失った。




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