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第9話「夜明けの賛歌と、名もなき聖母への祝福」

冷たく淀んでいた大聖堂の地下室に、静寂が降りていた。


「教皇様……っ、あぁ、我々の栄華が……っ」

「ひぃぃっ……許して、命だけは……っ!」


すべてを失い、石の床に這いつくばってガタガタと震える教皇と神官ヒルド。先ほどまでの傲慢さは見る影もなく、ただ絶対的な力に恐怖するだけの惨めな老人に成り下がっている。


「リア様。この不浄なゴミ屑ども、どのように処分いたしましょうか。私としては、この地下室ごと圧縮してひき肉に変え、裏庭の肥料にでもするのが妥当かと存じますが」


セラが、大剣の峰をトントンと肩で叩きながら、極めて事務的な、しかし背筋が凍るような声で提案してきた。教皇たちは「ひぎぃっ!」と悲鳴を上げて互いに抱き合っている。


「やめておきなさい、セラ。彼らはもう、『力』を失ったのだから」


私は静かに首を振った。

彼らが人々を支配し、恐怖に陥れていたのは「創世の欠片」という強大な力に依存していたからだ。私が欠片を回収した今、彼らはただの欲深い人間に過ぎない。

明日になれば、教会の異変に気づいた街の人々や、真っ当な信仰を持っていた神官たちによって、彼らの悪事は白日の下に晒されるだろう。

自らの罪と向き合い、人間たちの手で裁きを受けさせるのが、この世界のあるべき姿だ。


「それよりも、この子たちを早く帰してあげないと」


私が鉄格子の扉を開け放つと、檻の中に身を寄せ合っていた五人の子供たちが、恐る恐る外へ出てきた。

大聖堂の地下に連れ去られ、恐ろしい化け物にされる寸前だった彼らは、まだガタガタと震え、私の服の裾をギュッと握りしめている。


「もう大丈夫よ。怖い夢は終わり。さあ、アンナさんが待つお家に帰りましょう」


私が屈み込み、彼らの目線に合わせて優しく微笑むと、子供たちの瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。


「うわぁぁんっ……! 怖かった、怖かったよぉ……っ!」

「お姉ちゃん、助けてくれてありがとう……っ」


五人の子供たちが、一斉に私に飛びついてきた。

泥と涙でぐしゃぐしゃになった小さな顔を私の胸に押し付け、声を上げて泣きじゃくる。


「こ、こら貴様ら! 我が主の尊き御衣に鼻水をつけるとは何事か! 離れろ! いや離れなさい! 今すぐ私が全員抱えて走ってやるから——っ!」


背後でセラが慌てふためいているが、私は子供たちの背中を優しく撫でながら、彼らの温かい涙の感触を全身で受け止めていた。


(ああ……)


胸の奥が、じんわりと熱くなる。

彼らは私を「神」だと知って泣きついているわけではない。ただの、自分たちを助けてくれた「お姉ちゃん」として、無防備に甘え、縋り付いてくれているのだ。

全知全能の創世神として、天界の玉座でただ祈りを受け取っていただけの何万年という時間の中では、決して味わうことのできなかった、泥臭くて温かい命の重み。

私は、泣き疲れて私の腕の中でスースーと寝息を立て始めた一番小さな女の子を抱き上げ、残りの子供たちと手を繋いだ。


「さあ、セラ。忘れ物はないわね?」

「はっ。……不本意ながら、我が主の慈悲深さに免じて、この汚物どもの命は預けておきましょう。だが、もし次にリア様の視界に入ることがあれば、その時は魂の形すら残らぬと思え」


教皇たちへ冷酷な一瞥を投げた後、セラは私の斜め後ろに付き従った。

私たちは、血と絶望の匂いが染み付いた地下室を後にし、長い階段を上って大聖堂の出口へと向かった。



ーーー



大聖堂の巨大な扉を抜け、外に出た瞬間。

私たちの目に飛び込んできたのは、狂信の都ルミナスを優しく包み込む、美しい夜明けの光だった。


東の空が薄紅と黄金色に染まり、白大理石の街並みがキラキラと輝き始めている。それは、偽りの神の支配から解放されたこの国を祝福するような、息を呑むほど美しい朝焼けだった。


私たちは、人気のない大通りを抜け、あの路地裏の孤児院へと急いだ。

崩れかけた古い建物の前に差し掛かると、そこには、夜通し泣き明かしたであろう、目を真っ赤に腫らしたアンナの姿があった。彼女は寒空の下、薄い修道服一枚の姿で、ただひたすらに両手を組んで祈り続けていたのだ。


「……アンナさん」


私が声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り向いた。

その視界に、私と手を繋ぎ、背中で眠る子供たちの姿が映り込んだ瞬間。


「あ……ああ……っ!!」


アンナは言葉にならない叫び声を上げ、石畳の地面に膝から崩れ落ちた。


「シスター!!」

「シスター・アンナ!!」


子供たちが私から離れ、アンナの元へと一目散に駆けていく。アンナは泥だらけの地面に這いつくばるようにして両腕を広げ、飛び込んできた五人の子供たちを、自分の命そのものであるかのように強く、強く抱きしめた。


「よかった……っ! みんな、みんな無事で……っ! 神様、ありがとうございます……! ありがとうございます……っ!!」


何度も何度も子供たちの顔にキスをし、自分の頬を擦り付けながら、アンナは天に向かって感謝の祈りを叫んでいた。

その光景を眺めながら、私はそっと自分の胸に手を当てた。


彼女が感謝している「神」は、私だ。

でも、彼女が私に向けている感情は、決して「恐れ」や「服従」ではない。愛する子供たちが無事に帰ってきたことへの、純粋な喜びと安堵。その結晶が、私への感謝となって天へと昇っていくのがわかった。


「……リア様」


隣に立つセラが、どこか誇らしげに、そして少しだけ寂しそうに私を見つめた。


「やはり、人間というものは不可解です。これほど脆弱で、愚かで、すぐ欲に溺れる生き物だというのに……時折、こうして主様の心を揺さぶるほどに美しい光を放つ」

「そうね。だからこそ、私はこの世界を創ってよかったと思うわ」


私はふと、孤児院の開け放たれた扉の奥に視線を向けた。


そこには、あのボロボロの木彫りの女神像が置かれている。私は誰にも気づかれないよう、ほんの少しだけ指先を動かし、その像に向けて「神の祝福」を飛ばした。


途端に、女神像からフワリと温かい金色の光の粒子が零れ落ち、古い孤児院の建物を優しく包み込んだ。

これで、この建物が崩れることも、彼らが冬の寒さに凍えることもなくなるはずだ。


「行きましょうか、セラ。彼らにはもう、私たちの助けは必要ないわ」

「御意に」



私たちは、抱き合って泣き続けるアンナと子供たちの邪魔をしないよう、足音を忍ばせてその場を立ち去った。



ーーー



ルミナスの街の出口である「裁きの門」をくぐり抜けると、太陽は完全に昇りきり、どこまでも続く平原を明るく照らし出していた。


「さて、次はどの方角へ向かいましょうか、リア様。微弱ですが、東の果て……『魔導帝国』と呼ばれる国の方角から、欠片の気配を感じます」

「東ね。じゃあ、のんびり歩いていきましょうか」


私が大きく伸びをして歩き出そうとすると、不意に、セラが私の前にサッと回り込み、その場に片膝をついた。


「……え? どうしたの、セラ」

「リア様」


セラは真剣な眼差しで私を見上げると、おもむろに自分の立派な太ももをポンポンと叩いた。



「昨夜から一睡もしておられません。主様の御体に障ります。さあ、どうぞここへ! このセラの膝枕で、次の街まで極上の安らぎを! もちろん、私がリア様を抱き抱えたまま、一切の揺れを感じさせずに音速で移動してみせますゆえ!!」

「……」



孤児院での感動的な別れの余韻を、見事にぶち壊す護衛の提案。

私は呆れ果ててため息をつきつつも、彼女の必死すぎる「母性(?)のアピール」が可笑しくて、たまらず吹き出してしまった。


「あはははっ! 音速で移動しながら膝枕って、どういう物理法則よ! 摩擦熱で燃えちゃうわよ!」

「も、問題ありません! 私が完璧な防護結界を——っ」

「歩くわよ! お腹も空いたし、途中の村で美味しいご飯を食べるんだから!」


顔を真っ赤にして言い訳するセラの腕を引き、私は楽しげに笑いながら歩き出した。


無償の愛を注ぐ、名もなき聖母。

自分の命に代えても子供を守ろうとする、その気高い人間の心。


私の中にあった「家族が欲しい」という願いは、旅を続けるごとに、確かな熱を帯びて大きくなっていく。


「待ってなさい、次の『欠片』。どんな悪い子がいるか知らないけれど、私の愛した世界を壊すなら、容赦しないんだから」


風に銀糸の髪を揺らしながら、私は東の空へと向かって力強く宣言した。



地に堕ちた世間知らずの創世神と、過保護すぎる断罪の剣。彼女たちの旅路は、まだまだ始まったばかりだ。

毎日2話連続投稿してましたが、昼と夜にするのが良いなと気づきました。

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