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第7話「白亜の影と、名もなき聖母」

「裁きの門」を抜け、ルミナスの市街地へと足を踏み入れた私たちは、その異様な光景に思わず言葉を失った。


大通りは磨き上げられた白大理石で舗装され、道の両脇には見事な彫刻が施された噴水や、色鮮やかな花壇が並んでいる。

すれ違う神官や特権階級の貴族たちは、豪奢な絹の服に身を包み、ふくよかな顔に傲慢な笑みを浮かべていた。

しかし、その美しい大通りから一本路地裏へ視線を向ければ、そこには全く別の世界が広がっていたのだ。


「……酷い有様ね」


私が思わず呟いた視線の先。

陽の光すら届かない薄暗い路地には、骨と皮だけになった人々がボロ布を纏ってうずくまっていた。

彼らの目は虚ろで、まるで生きる気力を根こそぎ奪い取られているかのようだ。

白亜の街並みと、そこに漂う死の匂い。そのあまりの落差に、私の胸はひどくざわついた。


「リア様。お足元が穢れます。このような不浄な空気を主様の肺に吸い込ませるなど……やはり、この街ごと浄化の炎で焼き尽くすべきでは」

「駄目よ、セラ。苦しんでいる人たちまで巻き込むわけにはいかないわ」


ギリギリと歯を食いしばり、大剣の柄を握りしめるセラを宥めながら、私たちは路地裏の奥へと進んでいった。

すると、前方の少し開けた広場から、乾いた平手打ちの音と、甲高い怒鳴り声が聞こえてきた。


「この泥棒猫め! 神聖なるルミナスの地で、パンを盗むなどという大罪を犯すとは!」

「ご、ごめんなさい! でも、妹が三日も何も食べてなくて……っ!」


見れば、恰幅の良いパン屋の店主が、薄汚れた十歳ほどの少年を地面に組み敷き、何度も殴りつけようと拳を振り上げている。

私が止めに入ろうと足を踏み出した、その時だった。


「お待ちください!!」


透き通るような、しかし必死の叫び声とともに、一人の女性が店主と少年の間に割って入った。

擦り切れた質素な修道服に身を包んだ、二十代半ばほどの若いシスターだった。彼女は店主の振り下ろした拳を自分の背中でモロに受け止め、痛みに顔を歪めながらも、少年をしっかりと抱きしめた。


「シスター・アンナ……!?」

「大丈夫よ、レオ。もう大丈夫」


シスター・アンナと呼ばれた彼女は、震える少年を落ち着かせるように、その背中を優しく撫でた。そして、懐から小さな革袋を取り出し、中の硬貨をすべてパン屋の店主の足元に差し出した。


「これで、どうか許してあげてください。彼らは私が預かっている孤児院の子供たちなのです」

「ちっ……貧乏教会のシスター風情が。次やったら神殿騎士団に突き出してやるからな!」


店主は舌打ちをして硬貨を拾い上げ、唾を吐いて去っていった。

残されたアンナは、痛む背中を庇う素振りも見せず、少年の泥だらけの顔を自らの修道服の袖で優しく拭い始めた。


「怪我はない? レオ。ごめんなさいね、私がもっと早くパンを焼いてあげられれば……」

「シスター……ごめんなさい、ごめんなさい……っ」


泣きじゃくる少年を抱きしめるアンナの姿。

その光景は、アリエスの街で見たマーサとティムの姿に重なった。血の繋がりなどなくても、そこにあるのは間違いなく、子が親を慕い、親が子を慈しむ「無償の愛」だった。


「……素敵な人ね」

「リア様?」

「少し、お話を聞いてみましょう」


私はセラを連れて、アンナの元へと歩み寄った。



ーーー



アンナが案内してくれたのは、路地裏のさらに奥、今にも崩れそうなほど古い小さな教会——もとい、彼女が私財を投げ打って運営している孤児院だった。


礼拝堂の中には、私がアリエスの街の門で見た「むさ苦しいオッサンの神像」ではなく、どこか私自身に似た、優しく微笑む女神の古い木彫りの像がひっそりと置かれていた。


「粗茶ですが……どうぞ。旅の方」

「ありがとうございます、アンナさん」


欠けた木組みのカップに注がれた、薄いハーブティー。


周囲では、十人ほどの痩せ細った子供たちが、私とセラを珍しそうに、そして少し怯えたように物陰から見つめている。セラが「主様に向かって不敬な視線を向けるな!」と睨み返そうとするのを、私は机の下で彼女の足を軽く蹴って黙らせた。


「この街は、少しおかしいですね。外の大通りはあんなに豊かだというのに」


私がハーブティーを一口飲み、静かに切り出すと、アンナは悲しそうに伏し目がちになった。


「……ええ。かつてのルミナスは、貧しい者にも救いの手を差し伸べる、本当に美しい国でした。ですが、数ヶ月前……大聖堂に『奇跡の御石』が降臨して以来、すべてが狂ってしまったのです」


「奇跡の御石、ですか」


「はい。教皇様はそれを『創世神様からの啓示』と呼びました。それ以来、教会は『魂の浄化』と称して法外な寄付を強要するようになり、払えない者たちは路地裏へ追いやられるか……あるいは、『聖歌隊』として大聖堂へ連行されるようになりました」


アンナの言葉に、私は思わず眉をひそめた。


「連行? 孤児たちを保護しているわけではないのですか?」

「違います……ッ」


アンナはギュッと修道服の裾を握りしめ、声に震えを滲ませた。


「大聖堂へ連行された子供たちは、誰一人として戻ってきません。それどころか、夜な夜な大聖堂の地下からは、子供たちの悲鳴と……恐ろしい獣の唸り声のようなものが聞こえてくるのです。

神様を讃えるためだなんて、嘘です……あそこには今、恐ろしい悪魔が棲みついているに違いありません!」


ポロポロと涙をこぼすアンナ。


その時、

バンッ! と孤児院の古い扉が乱暴に蹴り開けられた。


「神の御言葉を伝えに参った!!」


踏み込んできたのは、銀色の鎧を着込んだ三人の神殿騎士と、豪奢な法衣を着た恰幅の良い神官だった。彼らの胸には、大聖堂のシンボルが刻まれている。

子供たちが悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすようにアンナの背後へと隠れた。


「ヒルド神官様……! まだ今月の寄付の期日には数日あるはずです!」


アンナが子供たちを庇うように両手を広げて立ちはだかる。

しかし、神官ヒルドは下劣な笑みを浮かべ、アンナを嘲笑った。


「寄付の集金ではない。今日は喜ばしい報せを持ってきてやったのだ。そこの少年……パンを盗んだ罪深きレオよ。お前の魂を浄化するため、大聖堂の『儀式』の供物……いや、栄えある聖歌隊として迎え入れてやろう」

「いやだっ! シスター、助けてっ!」


レオがアンナの修道服にしがみついて泣き叫ぶ。


「そんな……っ! お願いです、どうかこの子だけは! 罪なら私が被ります、私の命ならどうなっても構いませんから……ッ!」


土下座をして懇願するアンナ。だが、神殿騎士は容赦なく彼女の髪を掴み、乱暴に床へと引き倒した。


「ええい、鬱陶しい女だ! 神の意志に逆らう気か!」


騎士がレオの腕を掴み、引きずり出そうとした。

その光景に、私は静かに、ティーカップをテーブルに置いた。


カチャリ、と。


その小さな陶器の音が、なぜか孤児院全体に不気味なほど響き渡った。


「……セラ」


私が低く、一切の感情を排した声で名前を呼ぶ。

それは、創世神としての私が、彼らの存在そのものを「世界の不純物」として認識した合図だった。


「……御意に。我が主の御心のままに」


セラが、氷のように冷たい微笑を浮かべて一歩前に出た。


「なんだお前たちは! 邪魔をするなら異端として——」


騎士が剣を抜こうとした瞬間。



ゴキッ!!


「——が、あ……っ!?」


誰も、セラの動きを目で追うことはできなかった。

気がつけば、セラはレオの腕を掴んでいた騎士の背後に立っており、その右腕を奇妙な方向へ容易くへし折っていた。


「ひぃぃっ!?」


悲鳴を上げる間もなく、セラは騎士の鳩尾に手刀を突き入れ、白目を剥いた巨体をゴミのように窓の外へと放り投げた。


「き、貴様ら! 神聖なる神官たる私に刃向かうとは! 大聖堂にいる教皇様と『神の御石』の力がどれほど恐ろしいか——」

「五月蝿いですね。そのような小石の欠片にすがりつく輩の言葉など、我が主の耳に入れる価値もありません」


残りの騎士たちも、セラが放ったただの「殺気」の塊に当てられ、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。後ずさりして腰を抜かした神官ヒルドを、セラが冷酷な目で見下ろす。


「ひっ、ば、化け物……っ!」


ヒルドは四つん這いになって孤児院から逃げ出し、大通りへと転がるように姿を消していった。


「……リア様。逃がしてよろしかったのですか。今すぐ首を跳ね飛ばすことも可能ですが」

「いいのよ、セラ。あの大聖堂……『創世の欠片』のある場所へ案内してもらうための、道標になってもらうから」


私は立ち上がり、床に倒れ込んでいたアンナの元へ歩み寄り、そっと手を差し伸べた。


「アンナさん。大丈夫ですか?」

「あ、あなたたちは、一体……」


信じられないものを見るような目で私を見上げるアンナに、私は極上の笑みを向けてウインクした。


「ただの旅人です。でも、少しだけ……『神様』と知り合いでして。神様は、あなたのような無償の愛を持った人を、何よりも愛しておられると伝えておきますね」

「……あ……」


私の言葉に、アンナの瞳から張り詰めていた糸が切れたように大粒の涙が溢れ出した。


私は振り返り、窓の外——ルミナスの中心にそびえ立つ、禍々しい瘴気を纏った大聖堂を見据えた。

私の名前を使い、家族の愛を引き裂く者たち。

彼らが信奉する偽りの神の力を、本物の創世神である私が、根底から叩き潰してやる。


「さあ、セラ。夜のお散歩の時間よ。あの大聖堂を、少しばかりお掃除しに行きましょうか」

「はっ! 主様の行く道を阻む塵芥どもに、真なる『神罰』の何たるかを刻み込んでやりましょう!」




夕闇が狂信の都を包み込む中。

神の名を騙る者たちへの静かな怒りを胸に、私とセラは白亜の大聖堂へと向けて歩き出した。

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