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第33話「機巧の街の朝と、堕ちた論理の罠」

翌朝。

天空都市の高級宿で目を覚ました私は、隣から伝わってくる温かい体温に、ふにゃりと幸せな寝起きを迎えていた。


「ん〜っ……よく寝たぁ。おはよう、セラ……って、えっ!?」


私が身を起こして隣を見ると、そこには「昨晩私が抱きついた姿勢のまま、一ミリたりとも動かず、目を見開いて完全に石像と化している」セラの姿があった。


「セ、セラ!? どうしたの、息してる!?」

「……ハッ!!」


私が肩を揺すると、セラは弾かれたように跳ね起き、盛大にむせ返った。

「ゲホッ、ゴホッ……! も、申し訳ありませんリア様! 主様が私の腕を抱きしめてくださるという宇宙開闢以来の奇跡に直面し、万が一にも私の寝返りで主様の安眠を妨げてはならないと、呼吸と心拍数を極限まで低下させて仮死状態セーフモードに移行しておりましたッ!」


「仮死状態って……! 道理ですごく静かだと思ったわよ! もう、無理しないで普通に寝ていいのに」

私が呆れながら彼女の強張った腕をさすってあげると、セラは「ヒッ」と小さく息を呑み、一瞬だけ顔を赤くして視線を逸らした。


「い、いえ……これは私の使命ですので。主様の温もりを……お守りできたのなら、本望です」

(なんだか今日のセラ、いつもより少しだけ様子がおかしいような……?)

私は小首を傾げたが、相変わらずの過保護っぷりに変わりはなかったので、クスッと笑ってベッドを降りた。



ーーー


身支度を整えた私たちは、エーテルガルドの街へと繰り出した。


「すごいわね……」

街中は、魔力で動く自動人形オートマタが荷物を運び、空には蒸気と魔力光を吹き出しながら飛ぶ小型の飛行船が飛び交っている。ルミナスやゼノスとは全く違う、計算し尽くされた「論理と科学」の世界だ。


「リア様、お気をつけください。あのブリキのガラクタども、主様にぶつかる確率が〇・〇〇三パーセント存在します。私が一帯の自動人形をすべてスクラップにして——」

「駄目よ! 街のインフラを破壊しないで!」

いつものように大剣を抜こうとするセラを止めながら歩いていると、前方の交差点で、抱えきれないほどの書類の山を持った白衣の青年が、派手に転ぶのが見えた。


「わわっ! 僕の計算式が!」

「大丈夫ですか?」

私は駆け寄り、空中に散らばった羊皮紙を拾い集めた。


「ああ、すみません。重力制御の新しい数式に夢中になっていて……ん?」

ボサボサの緑の髪に、分厚い銀縁眼鏡をかけたその青年は、私から羊皮紙を受け取ろうとした瞬間、ピタリと動きを止めた。

そして、眼鏡の奥の瞳をカッと見開き、信じられないものを見るように私を凝視した。


「な、なんだ君は……!? 君の体から放たれている魔力密度……熱力学の法則を完全に無視している! どうやってその器(体)でそのエネルギーを維持しているんだ!? 奇跡だ、いや、物理法則のバグだ!!」


青年が興奮して私の肩を掴もうと身を乗り出した、その瞬間。


「——気安く我が主に触れようとするな、三流学者」


ドンッ!!

セラの鞘に納まった大剣が、青年の鼻先一ミリの空間に突き立てられた。

「主様をそのような薄汚い分析の目で見る大罪。次はないと思え。その眼鏡ごと視神経を両断してやる」


「ひぃっ!? す、すみません!!」

青年は腰を抜かして後ずさりした。


「もう、セラったら。ごめんなさいね、怪我はない?」

私が宥めると、青年は咳払いをして立ち上がり、興奮冷めやらぬ様子で眼鏡を押し上げた。

「い、いや、素晴らしい護衛だ。僕はヴェイン。このエーテルガルドの『中央機関セントラル』で、重力制御エンジンを研究している主任技師だよ。……君たち、ただの旅人じゃないね?」


ヴェインが真剣な顔つきになったのを見て、私はコクリと頷いた。

「私はリア。少し、世界のお掃除をして回っているの」


「お掃除……なるほど。なら、君のその規格外の魔力で、この街を救ってくれないか」

ヴェインの言葉に、私とセラは顔を見合わせた。


「救う?」

「ああ。実は今、この天空都市は『墜落の危機』に瀕しているんだ」



ーーー


ヴェインに案内され、私たちは街の中心にある巨大な時計塔の地下——『中央機関』へと足を踏み入れた。


そこには、巨大な水晶でできた「重力制御エンジン」が鎮座していた。しかし、その水晶のコアには、どす黒く明滅する石——『創世の欠片』が無理やり埋め込まれ、周囲の魔力を異常な速度で吸い上げていた。


「一ヶ月前、黒い翼を持った怪しい男が、『永久機関の核』だと言ってあの石を学会に持ち込んできたんだ」

ヴェインが忌々しそうにコンソールパネルを叩きながら言った。

「愚かな上層部は、その圧倒的な出力に目が眩んで石をエンジンに組み込んでしまった。……結果がこれさ。石は街の魔力を吸い尽くし、重力制御を狂わせている。このままでは三日と持たず、このエーテルガルドは地上の平原に激突する!」


(黒い翼の男。間違いなくアザエルの配下ね)


「なら、あの石を取り外せばいいのね」

私が一歩前に出ようとすると、ヴェインが慌てて制止した。


「駄目だ! あの石には、悪魔のような『罠』が仕掛けられている!」

「罠?」


「ああ。あの石は今、街の浮遊システムと完全に同化している。もし物理的に石を破壊したり、無理やり引き剥がそうとすれば、安全装置が誤作動を起こして重力制御が『ゼロ』になる。つまり、その瞬間にこの街は真っ逆さまに墜落するんだ!!」


破壊すれば即座に墜落。

放置すれば三日後に墜落。


数万人の命を乗せた空飛ぶ街を、「人質」ならぬ「物理的な天秤」にかけた極悪非道な盤面。

広範囲攻撃を封じられた水上都市アクアリアの罠を、さらに悪辣に進化させたアザエルの手口だった。


「……チッ。回りくどいことを」

セラが舌打ちをする。

「私がエンジンごと空中に放り投げ、街が落ちる前に音速で全ての市民を地上へピストン輸送すれば済む話です。主様に計算などという面倒なことをさせるな」


「数万人を音速で輸送!? 君の頭の物理法則はどうなっているんだ!?」

ヴェインが悲鳴を上げる。


「——クククッ。相変わらず、脳の足りない野蛮な剣だこと」


その時。

エンジンの奥の暗がりから、不気味な嘲笑が響き渡った。

現れたのは、計算式がびっしりと刺繍された黒いローブに身を包み、背中に漆黒の翼を生やした男。

アザエルの配下、堕天使バラムだった。


「初めまして、地に堕ちた創造主エリュシオン。そして裏切り者のセラフィエル。私はバラム。アザエル様の命により、この愚かな空の街に『最高の数式』を組み込んだ者だ」


バラムは、空中に無数の数式を魔力で浮かび上がらせ、冷酷に笑った。

「さあ、全知全能の神よ! この論理の檻をどう解く? 力任せに破壊すれば、数万の人間が空の藻屑だ。お前が愛した『人間どもの命』と『欠片』、どちらを切り捨てる計算を弾き出すのかな!?」


「……計算なんて、必要ないわ」


私は、神としての静かな怒りを瞳に宿し、バラムを真っ直ぐに見据えた。


「私の家族セラは、物理で風を斬ったわ。なら……私が、物理法則くらい書き換えられなくてどうするの?」


私の体から、これまでとは比べ物にならないほど濃密な、黄金色の神威が溢れ出し、中央機関の空間そのものを軋ませ始めた。


論理と科学が支配する天空都市で、神の奇跡と悪魔の数式が激突する。


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