第27話「オアシスの秘湯と、神様の背中を流す剣」
シャリオンの地下水脈が復活し、街に豊かな水と活気が戻った翌日。
ナディア女王は、私たちを王宮の最奥にある特別な場所へと案内してくれた。
「リア、セラ。君たちのおかげで、王家専用の『星砂の秘湯』にも、数年ぶりにお湯が湧き出したのだ。砂漠の夜風に吹かれながら浸かる温泉は、旅の疲れを芯から癒してくれるだろう。ゆっくり羽を伸ばしてくれ」
「わぁっ! 温泉! ありがとうございます、ナディア女王!」
私は嬉しさのあまり、思わずその場でぴょんぴょんと飛び跳ねてしまった。
天界には「汚れ」という概念がないため、お風呂に入る習慣がなかった。下界に降りてから知ったお風呂の気持ちよさは、私にとって大のお気に入りになっていたのだ。
しかし、私の隣に立つ護衛は、ナディア女王の言葉を聞くや否や、信じられないものを見るような目で悲鳴を上げた。
「お、温泉……!? しかも、露天風呂だと……ッ!?」
セラは血相を変え、私の前に両手を広げて立ち塞がった。
「いけません、リア様! 露天ということは、頭上が完全に無防備だということです! 万が一、上空を飛ぶ鳥が主様の神聖なる御肌を直視してしまったら! いや、隣の国から千里眼を持つ変態魔導士が覗き見をしている可能性もゼロではありません! 今すぐ私がこの温泉の上空にチタン合金製の完全密閉ドームを建設し——」
「ストップ、セラ! 星空が見えなくなっちゃうからドーム作らないで!」
「しかしリア様! 主様の雪のように白いお肌を、このような野外で晒すなど……ッ!」
「いいから、一緒に入るのよ! ほら、行くわよ!」
私は、大剣を握りしめてブツブツと「千里眼の変態を次元ごと斬るには……」と計算し始めているセラの腕を引き、強引に脱衣所へと引っ張っていった。
ーーー
「……はぁ〜、極楽極楽ぅ……」
私は湯船に肩まで浸かり、ほうっと至福の息を吐き出した。
星砂の秘湯というだけあって、浴槽の底にはキラキラと光る美しい砂が敷き詰められており、お湯はほんのりとエメラルドグリーンに輝いている。夜の砂漠から吹き込む涼しい風が、火照った顔を優しく撫でてくれた。
「……リア様」
隣から、ひどく緊張した、硬い声が聞こえた。
「どうしたの、セ……って、ちょっと!!」
私が振り向くと、そこにはバスタオルを胸にきつく巻き、頭にタオルを乗せたセラが、湯船の端で『直立不動の姿勢』のままお湯に浸かっていた。これではもはや足湯である。
しかも、彼女の右手には、なぜか鞘から抜かれた愛用の大剣がしっかりと握られている。
「何で温泉にまで大剣を持ち込んでるのよ! 錆びるでしょ!」
「お気遣い無用です! この剣は神々の素材で鍛えられておりますゆえ、温泉の硫黄成分などでは決して酸化いたしません! それよりも、いつ湯底から未知の半魚人が主様を襲うとも限りません! 私はこの大剣と共に、リア様の半径一メートルを完全防衛いたします!」
「半魚人なんか出ないし、そもそも貴方、直立不動すぎて全然リラックスできてないじゃない!」
私は呆れ果てて立ち上がり、セラの右手から大剣をひったくると、湯船の外の岩場にポンと立てかけた。
「ああっ! 私の魂が……!」
「魂は置いておいて、ほら、こっちに来なさい」
私はセラの腕を引き、私と同じように肩までゆっくりとお湯に浸からせた。
「ふぁっ……!?」
強張っていたセラの体が、温かいお湯に包まれた瞬間、ビクンと跳ねた。
「どう? 気持ちいいでしょ?」
「き、気持ちいい……いえ、そのような軟弱な感情、武神たる私には不要……ふにゃぁ……」
最初は強がっていたセラだったが、温泉の圧倒的な癒やし効果と、張り詰めていた緊張の糸が解けたことで、見事に顔をだらしなく緩ませてお湯に溶けそうになっていた。
「あははっ、すっかり茹で上がってるじゃない。……ねえ、セラ。背中、流してあげるわ」
「——ッッ!!?」
私の言葉に、セラは温泉の効能をすべて吹き飛ばす勢いで飛び起きた。
「ななななな、何を仰るのですかリア様ァッ!? 主様の尊き御手に、私のような薄汚れた剣の背中を流させるなど! 万死! 億死に値します!! もしそのようなことが起これば、私は恐縮のあまり細胞が爆発して死んでしまいますッ!」
「死なないで! もう、いっつも私が洗ってもらってるんだから、たまにはお返しさせてよ」
私は真っ赤になって後ずさりするセラを岩場に座らせると、手ぬぐいを泡立てて、彼女の背中にそっと触れた。
「ヒッ……!」
「力抜いてね。……ほら、傷一つない、綺麗な背中」
私が優しくセラの背中を洗い始めると、彼女はガタガタと震えながら、両手で顔を覆って泣き出しそうになっていた。
「あぁ……主様の、主様の御手が、私の背中を……! これは夢でしょうか。私は先ほどの砂蟲に喰われて、天国で幻を見ているのでしょうか……ッ!いやしかし天国でリア様がいらっしゃるというのはどういう!?やはり幻!?」
「大げさなんだから。……でも、こうしていると、なんだか本当に普通の『姉妹』みたいね」
「姉妹……」
「そうよ。昔、アリエスの街でマーサさんが言ってくれたでしょ? 一緒にお風呂に入って、背中を流し合うのが家族なんだって」
私がそう言うと、セラの震えがピタリと止まった。
そして、彼女は顔を覆っていた手をゆっくりと下ろし、少しだけ振り返って、とても嬉しそうに、はにかむような笑顔を見せた。
「……はい。リア様」
ーーー
お互いの背中を流し終え、私たちは再び露天風呂のお湯に浸かりながら、シャリオンの美しい満天の星空を見上げていた。
砂漠の夜空は空気が澄んでいて、星が一つ一つ、手を伸ばせば届きそうなほど大きく輝いている。
「……綺麗ね」
「はい。ですが、リア様の御髪の輝きに比べれば、あの星々などただの石ころに過ぎません」
「またそういうこと言う。……でもね、セラ」
私は、お湯の中でセラの手にそっと自分の手を重ねた。
「私、今、すっごく幸せよ」
「リア様……?」
「天界の玉座から星を見ていた時は、ただの『光の点』にしか見えなかった。でも、こうして温泉に入りながら、貴方と一緒に見上げる星は……すごく温かくて、綺麗に見えるの」
私の言葉に、セラは少し目を丸くした後、優しい笑みを浮かべて私の手を握り返してくれた。
「私もです、リア様」
セラは、空を見上げたまま、静かに語った。
「私は、ただ敵を斬ることしか知らない兵器でした。でも、主様が私を『家族』と呼んでくださり、こうして温かいお湯の気持ちよさや、星の美しさを教えてくださった。……私に『心』をくださったのは、リア様です」
セラの横顔は、もはや冷酷な武神のそれではなく、一人の等身大の、愛に溢れた少女の顔だった。
「だからこそ、私はこの剣で、リア様が愛するこの美しい星空と、温かい温泉を……絶対に守り抜いてみせます」
「ふふっ、頼もしいわね。……あ、でも、あんまりのぼせないようにね? セラ、顔が真っ赤よ」
「……へ? あ、あれ……なんだか、視界がぐるぐると……」
普段は強靭な肉体を誇るセラだが、お風呂の入り方には慣れていなかったらしい。私の言葉に返事をした直後、彼女の目がぐるぐると回り始めた。
「主様への愛の熱で……お湯が沸騰……」
「ちょっとセラ!? ほんとにのぼせてるじゃない! ほら、上がるわよ!」
「ふにゃぁ……リア様ぁ……尊い……」
完全に茹でダコ状態になってフラフラと倒れ込む過保護な剣を、私は大笑いしながら抱え上げ、星砂の秘湯を後にしたのだった。
ーーー
お風呂上がり。
私たちはナディア女王が用意してくれた、氷でキンキンに冷やした「オアシスの果実水」を二人で腰に手を当てて一気飲みした。
「ぷはぁーっ! 美味しい!!」
「はぁっ……! 五臓六腑に染み渡ります! リア様、もう一杯私が調達してまいります!」
すっかり元気を取り戻したセラと笑い合いながら、私は窓の外の星空を見上げた。
こんな風に一緒に笑い合える「家族」がいれば、どんな試練だって乗り越えていける。
そう確信できる、最高に温かい夜だった。
本当はリアがセラに対して少し嫉妬するシーンを書きたかった(何についてとは言わない)のですが、
温泉でこの2人がゆっくりするとなったら自然にこうなりました。




