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【幕間】白亜の玉座と、愛を知る前の神様

本編とは直接的な関わりはありませんが、ぜひ。


水上都市アクアリアの魔導院で、ふかふかのベッドに沈み込みながら、私はふと、遠い昔の夢を見ていた。

いや、夢ではない。それは私が何万年もの間、当たり前のように過ごしてきた「日常」の記憶だった。


ーーー



風の音も、花の匂いもない。

どこまでも続く純白の大理石と、星々の瞬きだけが広がる無限の空間。


それが、世界を俯瞰する絶対の聖域——『天界』だった。


私はその中心にある「創世の玉座」に、ただ静かに座っていた。

空腹を感じることもなければ、眠る必要もない。

ただ呼吸をするように、眼下に広がる「下界(人間たちの世界)」のシステムを維持し、循環させるための魔力を放ち続けるだけの存在。


『——おお、エリュシオン様。どうか我らに恵みの雨を』


『——創造主よ。どうか我が子を病からお救いください』


玉座の前に浮かぶ巨大な『ことわりの水鏡』からは、地上に生きる何億という生命の「祈り」が、絶え間なくノイズのように流れ込んでくる。


しかし、当時の私にとって、その祈りはただの「情報データ」でしかなく、心に響くことは一度もなかった。


「……本日も、下界は醜い泥にまみれておりますね。我が主よ」


静寂の天界に、冷たく、しかしどこまでも優雅な声が響いた。

玉座の傍らに歩み寄ってきたのは、六枚の純白の翼を背負った美しい青年——『盾』と『知恵』を司る第一神徒、アザエルだった。

水鏡には、地上のどこかで人間たちが領土を巡って争い、血を流している光景が映し出されている。


「欲に溺れ、同族で殺し合い、貴女様が与えた美しい大地を穢していく。

……私は理解できません。なぜ、貴女様はあのような欠陥だらけの獣どもに、自ら考える『自由意志』など与えたのですか。

私に命じていただければ、今すぐあの泥濘ぬかるみをすべて白紙に戻し、争いのない完璧な箱庭を創り直して差し上げますのに」


アザエルは、心底不快そうに顔を歪めながら、私にそう進言した。

彼の言葉は、常に「完璧」を求めていた。

私という創造主の権威を、一ミリの穢れもなく保つことこそが彼のすべてだったのだ。


「……いいえ、アザエル。そのままでいいわ」


私は、表情をピクリとも変えずに、抑揚のない声で答えた。


「私には、彼らがなぜ争い、なぜ涙を流すのか、わからない。でも……」


私は水鏡の奥で、戦火の中で親が子供を庇い、自らの命を犠牲にする光景を見つめた。


非合理的だ。


自らの生存本能を捨ててまで他者を生かすなど、システムとしては完全にエラー(矛盾)している。

それなのに、私の胸の奥の「ポッカリと空いた穴」が、そのエラーを見るたびに、チクリ、チクリと微かな痛みを訴えるのだ。


「彼らが時折放つあの光は……私の創った天界にはない、とても不思議な熱を持っている気がするの」

「……熱、ですか。ただの摩擦熱ノイズに過ぎません。貴女様がその美しい御心を痛める必要など、塵ほどもないのです」


アザエルは静かに頭を下げ、それ以上は何も言わずに後ろへ下がった。


「セラフィエル」


私は、玉座の反対側に控えていた、もう一人の第一神徒に声をかけた。


「——はっ」


そこに跪いていたのは、大剣を背負った亜麻色の髪の少女だった。

今の私に過保護につきまとい、一喜一憂して騒ぎ立てる彼女ではない。

一切の感情を持たず、瞳のハイライトすら消え失せた、完全なる『破壊の兵器』。


「貴方は、どう思う? 人間たちを、醜いと思う?」


私が尋ねると、セラフィエルは微動だにせず、氷のように冷たい声で即答した。


「私には、『思う』という機能が備わっておりません」

「……そう」

「私の存在意義は、我が主の玉座を脅かす障害を排除すること、ただそれのみ。主様が『醜いから斬れ』と命じられれば、この星ごと塵に変えるまでです。御命令を」


どこまでも無機質な、絶対の忠誠。

アザエルも、セラフィエルも、私を「神」として完璧に敬い、守ってくれていた。


でも。


誰も、私のことを「リア」とは呼んでくれなかった。


誰も、私の頭を撫でてはくれなかった。


誰も、私と一緒に笑い、一緒に温かいスープを飲んではくれなかった。


私は全知全能の神だった。


世界中のすべての命の「親」だった。


けれど、私自身には「親」がおらず、私に無償の愛を注いでくれる「家族」はどこにもいなかったのだ。


(……ああ。私は、なんて空っぽなのだろう)


何万年もの間、玉座に座り続けて、初めて自覚した『孤独』。


ーーー




「——リア様! リア様ッ!!」


不意に、耳元で焦燥に駆られた大声が響き、私はハッと目を覚ました。

視界に飛び込んできたのは、純白の大理石ではなく、アクアリアの魔導院の木造の天井。

そして、私のベッドの横で、大剣を放り出してボロボロと涙を流している、亜麻色の髪の少女の顔だった。


「セラ……? どうしたの、そんなに泣いて」


私が身を起こすと、セラは私の顔を両手でそっと包み込み、まるで世界の終わりを見たような顔で叫んだ。


「ど、どうしたの、ではありません!! 主様が……寝ておられる主様の尊き御瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちていたのです!!」

「えっ?」


私が自分の頬に触れると、確かにうっすらと涙の跡が残っていた。昔の孤独な夢を見て、無意識のうちに泣いてしまっていたらしい。


「ああ、なんたる大罪ッ! 睡眠中の主様の御心に不快な悪夢を見せるなど! このアクアリアの空間に漂う残留思念の仕業に違いありません! 今すぐ私が、この部屋の次元を三つほど重ねて完全な防壁を——」

「もう、セラったら。大げさなんだから」


私はクスッと笑い、パニックを起こして次元を歪めようとするセラの頭を、ポンポンと優しく撫でた。


「り、リア様……?」

「なんでもないの。ただ、昔の夢を見ていただけ。……ちょっとだけ、寒くて寂しい夢」


私がそう言うと、セラはハッとして、すぐに自分の外套を脱ぎ、私の方から肩にかけてくれた。

そして、かつての無機質な兵器だった頃からは想像もつかないような、ひどく心配そうな、温かい熱を持った瞳で私を見つめた。


「……もう、寂しくなどありませんよ」


セラは、私の手を両手でギュッと握りしめた。


「私がいます。不甲斐ない剣ですが、私が必ず、リア様のお心を一生温め続けてみせますから」


その不器用で、重たくて、でも世界中のどんな毛布よりも温かい愛情に。

私の胸の奥にあった孤独な穴は、もう完全に満たされているのだと、改めて実感した。


「ええ。知ってるわ」


私は、セラの頬の涙を指先で拭ってあげながら、極上の笑みを向けた。


「ありがとう、セラ。貴方が私の『家族』になってくれて、本当に良かった」

「か、か、家族……ッ!!」


私の言葉に、セラは一瞬で顔をゆでダコのように真っ赤にし、「ああっ、リア様が私を家族と! 尊い! 尊すぎますッ!!」とベッドの脇でジタバタと身悶えし始めた。

私はその騒がしい光景を見ながら、心から笑い声を上げた。

外からは、氷の少年ノエルが「朝からうるさいよ君たち!」と呆れたように叫ぶ声が聞こえてくる。


完璧で冷たかった「エリュシオン」の時間は終わった。


今の私は、愛を知り、家族と歩むただの少女「リア」。


太陽の光が差し込むアクアリアの朝。


泥臭くて、騒がしくて、愛おしい私たちの旅は、今日もまた新しく始まっていくのだ。

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