第23話「水底の祭壇と、絶対凍結の共闘」
ズゴゴゴゴゴォォォォォッ!!
水上都市アクアリアの巨大な湖の中央から、天を衝くような巨大な水柱が立ち昇った。
それはただの水飛沫ではない。
街中の水路から無尽蔵に魔力を吸い上げ、確かな意志と殺意を持って渦巻く『巨大な水の竜巻』だった。
「行くわよ、二人とも! あの水柱の中心に、欠片があるはずよ!」
私が研究室を飛び出そうとした瞬間、セラがサッと私の前に片膝をつき、美しい所作で頭を下げた。
「リア様。あの水柱の周囲は、すでに足場となる石橋や陸地が水没しております。……ノエル殿」
セラは、昨日までなら絶対に口を利かなかったであろう氷の魔法使いの少年に向かって、真っ直ぐに視線を向けた。
「貴殿の氷魔法で、水の上を走るための『氷の道』を創れますか。私の速度(音速)に耐えうるほどの、極厚の氷盤を」
「音速……!? む、無茶言わないでよ! でも、リア君と君を水柱まで運ぶだけの『氷の板』なら、全力で作ってみせる!」
ノエルが杖を握りしめて頷くと、セラは「十分です」と短く答え、おもむろに私の方を向いた。
「リア様、失礼いたします」
「えっ、ちょ、セラ!?」
ふわり、と。
セラは私を『お姫様抱っこ』の体勢で軽々と抱き上げた。
「主様の御足を、あの不浄な水に一ミリたりとも触れさせるわけにはいきません。目的地までは、このセラが完璧な乗り心地の特等席をご提供いたします。
……さあ、ノエル殿! 遅れないでくださいよ!」
「ああっ、もう! 君、本当に無茶苦茶だ!!」
私たちは魔導院のバルコニーから、水没しつつある街の大水路へと一気に飛び降りた。
「——『氷結道』!!」
空中でノエルが杖を振るうと、私たちが着水する寸前の水面が、バキバキと音を立てて分厚い氷の板へと変化した。
ダンッ!!
セラがその氷の板に着地し、凄まじい脚力で蹴り出す。
ノエルは自らの足元を凍らせながら、まるでスケートのように水面を滑って私たちの後を追跡してくる。
「ギャォォォォォォッ!!」
私たちが水柱に近づくにつれ、湖面から無数の『水竜』が鎌首をもたげ、四方八方から襲いかかってきた。
昨夜、セラを絶望させた「斬っても死なない」不死身の魔物たちだ。
「……ッ!」
セラの腕に、一瞬だけ緊張が走るのがわかった。
しかし、彼女の瞳に昨夜の迷いは微塵もなかった。自分が完璧でなくてもいい。足りないものは、隣にいる仲間が補ってくれると知ったからだ。
「ノエル殿! 左舷から来る三体の胴体を! 私は右舷の四体の『質量』を弾き飛ばします!」
「了解! ——『絶対零度』!!」
セラの的確な指示に合わせ、ノエルが杖から極寒の吹雪を放つ。
左から迫っていた三体の水竜が、空中で完全に凍りつき、そのまま重力に従って湖面に激突し、パリンッ!と粉々に砕け散った。
「下等な水飛沫どもが! 凍らぬのなら、形を保てぬほどの風圧で散れッ!!」
同時に、セラが私を片手で抱き抱えたまま、空いたもう片方の手で大剣を抜き放ち、右から迫る四体の水竜に向けて『剣の腹』で凄まじい横薙ぎの烈風を叩きつけた。
斬るのではない。「面」で叩き潰すのだ。
ズガァァァァァンッ!!
数十トンの水の塊が、セラの規格外の膂力によって強引に弾き飛ばされ、霧散していく。
「すごいわ、二人とも! 完璧な連携ね!」
私が腕の中で歓声を上げると、セラは「も、もったいなきお言葉! リア様の御顔に水滴一つ飛ばさぬことこそ、私の絶対の使命!!」と顔を真っ赤にしてさらに加速した。
「ははっ、君たちといると、なんだかどんな無茶でもできそうな気がしてくるよ!」
ノエルも笑い声を上げながら、次々と氷の道を繋いでいく。
私たちは、無数の水竜の群れを氷と風圧の共闘で突破し、ついに湖の中央で渦巻く巨大な水柱の根元——『海神の祭壇』へと辿り着いた。
水がドーム状に空間を形成し、その中心には、古い石造りの祭壇が鎮座していた。
そして祭壇の上には、ひときわ大きく、狂ったように明滅する『創世の欠片』が浮かんでいる。
「……あれが、元凶」
ノエルが息を呑む。
祭壇の周囲には、これまでの水竜とは比べ物にならないほど巨大で、濃密な瘴気を纏った『水の巨人』が立ち塞がっていた。
街中の魔力と人々の恐怖を吸い上げ、もはや水というよりは「どす黒いスライム」のような粘体へと変質している。
「グルルルルッ……!!」
水の巨人が、私たちを見下ろし、巨大な両腕を振り上げた。
その一撃が落ちれば、氷の足場ごと私たちは湖底へと沈められてしまう。
「ノエル殿、魔力は残っていますか」
セラが、私をそっと安全な氷の足場に下ろし、大剣を両手で構え直した。
「ああ。でも、あんな巨大な質量を芯まで凍らせるには、僕の魔力をすべて注ぎ込む必要がある。……数秒間、完全に無防備になる」
「十分です。私が、その数秒間、あの泥水の動きを完全に封じ込めます」
セラが、深く息を吸い込んだ。
「——来い。我が主の視界を汚す、下劣な泥水め」
水の巨人の巨大な拳が、セラに向かって振り下ろされた。
逃げ場のない、圧倒的な質量の暴力。
「セラ!!」
私が叫ぶ。
だが、セラは一歩も退かなかった。
彼女は大剣を真上に構え、その巨腕を真っ向から受け止めたのだ。
ズドォォォォォォンッッ!!!!
凄まじい衝撃波が水上のドームを揺らし、足元の氷盤が悲鳴を上げてひび割れる。
「ぐぅぅっ……!!」
セラの足が氷に沈み込み、彼女の華奢な腕の筋肉が限界まで軋む。
斬れない敵。広範囲攻撃もできない。ならば、ただ純粋な「力」と「意地」だけで、その数十トンの質量を抑え込む。
それが、弱さを知った天界最強の剣が選んだ、不器用で真っ直ぐな戦い方だった。
「ノエル殿!! 今ですッ!!」
血を吐くようなセラの叫び。
「——大気に眠る氷の精霊よ! 我が命を糧とし、すべての流動を永久に閉ざせ!!」
ノエルが杖を両手で握りしめ、祭壇に向けて全魔力を解放した。
「『絶対凍結』!!!!」
ノエルの杖から、青白い極光のような冷気が一直線に放たれた。
それは、セラの剣と拮抗していた水の巨人の腕を伝い、巨大な泥水の体を一瞬にして白銀の氷へと変えていく。
「ガ、ガァァァァ……ッ!?」
巨人が咆哮を上げる間もなく、その巨体は頭の先から足元まで完全に凍りつき、巨大な氷の彫像となって完全に沈黙した。
「はぁっ……はぁっ……」
魔力を使い果たしたノエルが、膝をついて肩で息をする。
「お見事です、氷の魔導士殿」
セラが、大剣を振るって氷の巨人の腕を砕き、静かに振り返った。その額には汗が浮かんでいたが、彼女の瞳はとても清々しい光を放っていた。
「さあ、リア様。お掃除の総仕上げをお願いいたします」
セラが、恭しく道を空ける。
私は、二人が命がけで切り開いてくれた道を歩き、祭壇の中心で禍々しく光る『創世の欠片』へと手を伸ばした。
「……私の子供たちを、これ以上苦しめないで」
私が指先で欠片に触れると、私の中から溢れ出した黄金色の光が、欠片に纏わりついていた黒い瘴気をジュッと音を立てて浄化していく。
「ピキッ……」という音とともに、欠片に刻まれていたアザエルの呪縛の術式が砕け散り、青白い石は元の清らかな星の光を取り戻して、私の体内へとスッと吸い込まれていった。
その瞬間。
湖の中央で渦巻いていた巨大な水柱が、まるで魔法が解けたように形を失い、ザザーッ!と音を立てて穏やかな湖面へと還っていった。
水上都市アクアリアを覆っていた重苦しい瘴気は完全に消え去り、雲の隙間から、美しい夕暮れの太陽が、きらきらと輝く湖の街を照らし出し始めた。
「……終わったね」
ノエルが、疲れた顔に満面の笑みを浮かべて空を見上げる。
「ええ。二人とも、本当にお疲れ様」
私が微笑むと、セラはホッとしたように大剣を鞘に納め、そして——。
「——さあリア様! 街へ戻りましょう! 帰路も当然、私がリア様を抱き抱えて音速で水上を——あっ、いけません! 先ほどの戦闘で私の服に水飛沫が数滴! このような不衛生な状態で主様に触れるなど万死! 今すぐ熱湯で全身を消毒してまいりますッ!」
先ほどの感動的な共闘の余韻を完璧にぶち壊し、一人で大パニックを起こし始める過保護な剣。
「はいはい、もう水は綺麗になったから大丈夫よ! ノエル君、セラを置いて帰っちゃおっか!」
「あははっ、そうだね、お腹も空いたし!」
「リ、リア様ぁぁぁッ!! お待ちください! 私を! 愛する第一神徒を置いていかないでくださいぃぃッ!!」
夕日に染まるアクアリアの湖面に、私たちの賑やかな笑い声と、セラの情けない叫び声が平和に響き渡っていた。




