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第22話「凍りついた水竜と、折れかけた断罪の剣」


「——『凍結フリーズ』!!」


白銀の髪に蒼い瞳を持つ少年の声とともに、水路を暴れ回っていた巨大な水竜は、瞬く間に美しい氷の彫像へと姿を変えた。

ピキピキと音を立てて完全に凍りついた魔物を見て、私は小さく安堵の息を吐き出した。


「怪我はないかい、旅の人。……まったく、最近の水は気が荒くて困るよ」


少年は氷の杖をクルリと回し、柔らかな微笑みを浮かべて私たちに近づいてきた。


「助かりました。私はリア。貴方は……?」

「僕はノエル。この水上都市アクアリアの魔導院で、水と氷の魔法を研究しているんだ。

それにしても、君の護衛の剣士さん……すさまじい剣圧だったね。水竜を一刀両断するなんて、人間の業じゃない」


ノエルが感嘆の声を上げた、その時だった。


「——気安く我が主に近づくな」


冷たく、ひどく強張った声。

セラが、私とノエルの間にサッと割り込み、大剣を構えて立ち塞がった。

しかし、いつもの「我が主の視界に入るなど万死に値する!」といった威勢の良さはない。その肩は微かに震え、大剣を握る手は白くなるほどに力が入っていた。


「セラ……?」


私が背中から声をかけると、セラはハッとして剣を下ろし、深く、深く頭を垂れた。


「申し訳、ありません……ッ! リア様……!」


セラの声は、絞り出すように震えていた。


「天界最強を名乗りながら、あのようなただの水溜まり一つ満足に斬り伏せることができず、あまつさえ……見ず知らずの人間の少年に、主様の危機を救われるなど……ッ! この大罪、いかなる神罰をもってしても——」

「セラ、顔を上げて」


私は彼女の震える肩にそっと触れた。


「貴方が謝ることは何もないわ。あの魔物は、街ごと人質に取っているようなものだった。

貴方が広範囲攻撃を躊躇ってくれたから、この街の人たちは無事だったのよ」


私が優しく微笑みかけても、セラの顔色は青白いままだった。

彼女はギュッと唇を噛み締め、凍りついた水竜と、自分の背中にある巨大な大剣を交互に見つめ、ギリッと奥歯を鳴らした。


「……事情があるみたいだね。とりあえず、安全な場所へ行こう。この氷も、長くは持たないから」


ノエルの案内で、私たちは水竜の残骸から離れ、街の高台にある魔導院の彼の研究室へと向かうことになった。

道中、セラは一言も言葉を発しなかった。

いつもなら、私が水たまりを跨ぐだけで「リア様の御足が! 私がこの水をすべて飲み干して道を切り開きます!」と騒ぎ立てる彼女が、ただ黙々と、重い足取りで私の後ろを歩いている。


その姿は、まるで自らの存在意義を根本から否定され、迷子になってしまった子供のようだった。



ーーー



ノエルの研究室は、古い書物や美しいガラスの魔導具で埋め尽くされていた。


「この街の異常は、一ヶ月前から始まったんだ」


温かいお茶を出してくれたノエルが、真剣な表情で語り始めた。


「湖の底にある『海神の祭壇』。そこに、とてつもない魔力を秘めた青白い石が突然現れた。それ以来、この街の水路の魔力は完全に狂ってしまったんだ」

「……やっぱり、『創世の欠片』ね」


私が呟くと、ノエルは頷いた。


「『創世の欠片』と呼ぶんだね。たいそうな名前だ。

その石の魔力を、誰かが意図的に『街の水脈全体』と完全に同化させたんだ。

だから、水竜を倒そうとして街の水をすべて蒸発させれば、アクアリアの街そのものが崩壊する。かといって物理攻撃で斬っても、水脈から無限に水を吸い上げて一瞬で再生してしまう」

「街そのものを、魔物の不死身の盾にしているのね……」


私はギュッと拳を握りしめた。

アザエルは、私が「人間の営みを愛している」ことを知っている。だからこそ、街の人間を巻き込まずには欠片を回収できないような、最悪の盤面を用意したのだ。


「僕の氷魔法なら、一時的に動きを止めることはできる。でも、湖全体の水を凍らせることなんて不可能だ。

……祭壇に辿り着く前に、僕たちは確実に水竜に飲み込まれてしまう」


ノエルの言葉に、研究室は重苦しい沈黙に包まれた。


「……リア様」


部屋の隅で、壁に寄りかかって目を伏せていたセラが、ぽつりと呟いた。


「私は、少し外の警備をしてまいります。……不快な水音が、主様の安眠を妨げぬように」


それだけ言い残し、セラは逃げるように研究室を飛び出していってしまった。


「あ、セラ!」

私が手を伸ばすよりも早く、彼女の姿は夜の街へと消えていた。


「……彼女、大丈夫かい?」


ノエルの心配そうな声に、私は首を横に振った。


「追いかけてくる。……彼女には、私の言葉が必要だから」




ーーー




アクアリアの街は、夜の闇と静寂に包まれていた。

私がセラを見つけたのは、街のはずれにある、湖を見渡せる誰もいない古い石橋の上だった。


月明かりの下。


セラは、背中から大剣を外し、石の欄干に立てかけていた。

そして、その白銀の刀身を、布で狂ったように、何度も、何度も磨き続けていた。


「……どうして。どうして斬れない」


セラの口から、呪詛のような呟きが漏れる。


「私は、第一神徒。創造主の障害をすべて排除するための、絶対の剣。だというのに……あの程度の水が、なぜ斬れない……ッ!」


ゴシゴシと刀身を磨くセラの手に、ポタリ、と水滴が落ちた。

夜露ではない。

彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちていたのだ。


「私には、これしかないのに……ッ。リア様を、お守りする力がなければ……私は、ただの鉄屑と同じではないか……!」


私は、石橋の柱の陰で、息を呑んだ。

彼女の涙の理由は、「敵に勝てなかった悔しさ」ではない。

『リアに必要とされなくなることへの恐怖』だった。


天界で創られたあの日。


感情を持たない兵器だった彼女に、私は言った。『貴方は私の剣よ。私を守ってね』と。

その言葉だけをプログラムとして何万年も生きてきた彼女にとって、「斬れない」ということは、自らの存在意義の完全な喪失を意味するのだ。


(馬鹿な子……)


私は、足音を立てずにセラに近づき、その震える華奢な背中を、後ろから両腕でギュッと抱きしめた。


「——ッ!? リ、リア様!?」


セラがビクッと肩を跳ねさせ、慌てて涙を拭おうとした。


「い、いけません、こんな夜更けに外へ出られては! 私の涙などという不浄な塩水が、主様の御衣を汚してしまいます!」

「泣きなさい、セラ」


私は、彼女の背中に頬を擦り付けながら、優しく、甘く囁いた。


「リア、様……」

「貴方は、自分が剣として役に立たないから、私に捨てられるって思ってるの?」


私の図星を突かれた言葉に、セラは息を詰まらせ、そのまま崩れ落ちるように石橋の上に膝をついた。


「……はい」

セラは、大剣の柄を握りしめたまま、ボロボロと涙をこぼした。


「怖かったのです。アザエルが放った刺客に、私の剣が通じなかった。

主様を、あの恐ろしい津波から守り切ることができなかった! 私は……私は、貴女様の剣として、失格です……ッ!」

「セラ」


私は彼女の隣に座り込み、大剣の柄を握る彼女の手を、自分の両手でそっと包み込んだ。


「ねえ、大樹の里のエララさんを覚えてる?」

「……はい。あの、森の母君を」

「あの人が泣いていた時、私がどうしてあげたか、覚えてる?」


セラはハッとして、私を見上げた。


「エララさんは、自分の力では森を浄化できなくて泣いていた。無力な自分を責めていたわ」


私は、セラの涙で濡れた頬を、指先で優しく拭った。


「でも、私が代わりに森を浄化したら、彼女は笑ってくれた。……家族って、そういうものじゃないかしら」

「か、ぞく……」

「そうよ。貴方が斬れない敵なら、私が魔法で倒してあげる。私が戦えない時は、貴方が盾になって守ってくれる。一人が完璧である必要なんてない。足りないところを補い合うために、私たちは二人で旅をしているんでしょ?」


私の言葉に、セラの瞳が大きく揺れた。


「私、貴方がただの『剣』だから大切にしてるんじゃないのよ。

……一緒に美味しいものを食べて、虫に怯えて、笑い合って。貴方はもう、私のかけがえのない『娘』であり、『姉妹』であり、『家族』なの」

「っ……あぁ……っ」


セラは、まるで何万年もの呪縛から解き放たれたように、声を上げて泣き崩れた。

絶対的な力を持つがゆえに、誰かに「頼る」ことを知らなかった武神。

彼女は、初めて大剣から手を離し、私の胸の中に飛び込んで、子供のように泣きじゃくった。


「リア様……っ、リア様ぁっ……! 申し訳、ありませんでした……! 私、一人で……何でも斬らなければと……っ」

「いいのよ。たくさん泣いて、明日からはまた、私の過保護で可愛いセラに戻ってちょうだい」


私は、セラの亜麻色の髪を、何度も何度も、愛おしむように撫でた。

月光に照らされた水上都市の夜風は冷たかったが、私とセラの間に流れる体温は、どんな炎よりも温かかった。




ーーー




翌朝。

ノエルの研究室に戻った私たちの前に、すっかり泣き腫らした目をしながらも、いつもの凜とした輝きを取り戻したセラが立っていた。


「ノエル殿」


セラは、ノエルに向かって深く頭を下げた。


「昨日は、我が主の危機を救っていただき、感謝いたします。……私の剣では、あの水を断ち切ることはできない。貴殿の氷魔法の力、どうかリア様のために、お貸しいただけないでしょうか」


その言葉に、私は思わず目頭を熱くした。

あの誇り高く、他者を徹底的に見下していたセラが、主を守るために、自らのプライドを捨てて頭を下げたのだ。

ノエルも驚いたように目を見張った後、ふっと嬉しそうに微笑んだ。


「もちろんだよ、剣士さん。君が守り、僕が凍らせる。……水竜の本体である『祭壇』まで、一緒に突破しよう」

「……感謝します。ですがノエル殿」


セラが顔を上げ、不意に、いつもの絶対零度の凄みを纏った。


「戦闘中、リア様の半径三メートル以内に近づくことは許可しません。また、リア様を視界の中心に捉える時間も三秒までに制限します。それ以上は万死に値しますので、即刻その首を——」

「うん、前言撤回していいかな!? 君、やっぱり情緒不安定じゃない!?」

ノエルが冷や汗を流して後ずさりする。


「あはははっ! もう、セラったら!」


私はお腹を抱えて笑い、セラの背中をバンバンと叩いた。

自分の弱さを認め、私という「家族」に頼ることを覚えたセラは、以前よりもずっと強靭な心を手に入れていた。


「さあ、お掃除の時間よ! アザエルの悪趣味な水遊びを、終わらせに行きましょう!」



私たちが決意を固めたその時、窓の外——アクアリアの巨大な湖の中央から、これまでで最大規模の禍々しい水柱が天に向かって立ち昇った。


「ところで、ノエル君。氷魔法って私初めて見た。火、水、風、地、どれでもないみたいだけど」

温かいお茶が注がれたマグカップを両手で包みながら、ノエルのほうを見た。

「そんなことはないさ。これは基本元素の1つ、水だよ。ただちょっと出力の際に小細工をしているだけ」

メガネをクイッとあげて誇らしげに胸を張った。氷魔法はノエルの家系に伝わる特別な魔法らしい。

「ふんっ、氷の魔法など、リア様であれば……」

くってかかる剣の言葉を遮り、ノエルを褒め称える。

「私は(ルール)から逸れたことはできないから、すごいわ、ノエル君」

「リ、リア様ぁ…」

力が抜けたような情けない声を出す剣に、2人は面白くて笑ってしまった。

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