第20話「雪解けの街道と、商隊の賑やかな夜」
極寒の『竜鳴の霊峰』を下り、南へ向かって数日歩き続けると、吹き荒れていた雪風はいつの間にか心地よい春のそよ風へと変わっていた。
足元の雪は溶けて瑞々しい緑の草花が顔を出し、街道沿いの木々には淡い桃色の花が咲き乱れている。
見上げれば、雲一つない澄み渡る青空に、渡り鳥の群れが悠々と飛んでいた。
「はぁ〜……あったかいわねぇ」
私はエララにもらった分厚い毛皮のコートを脱ぎ、大きく背伸びをした。
雪山での過酷な環境から解放され、ぽかぽかとした陽気に包まれていると、神である私でさえも、なんだか全身の力が抜けてしまいそうになる。
「リア様、油断なさらないでください。このうららかな陽気は、主様の警戒心を解き、柔らかな御肌を狙う獰猛な春の虫どもを活性化させるための大自然の罠です。
私がこの街道の草花をすべて根こそぎ刈り取り、完全な無菌ロードを開拓してまいりましょうか?」
「だから、自然を破壊しないでってば。春の虫くらい、どうってことないわよ」
私の隣を歩くセラは、相変わらず大剣の柄に手をかけたまま、周囲の茂みに対して鋭い殺気を放っていた。
しかし、雪山でアザエルの影に怯え、涙を流していた時の彼女とは、少しだけ纏う空気が違う。
私を守るという誓いを「ただの任務」から「家族としての願い」へと昇華させた彼女の瞳には、以前よりもずっと柔らかく、温かい光が宿っているように見えた。
「それにしても、セラ。貴方、少し荷物が多すぎない?」
「はっ。リア様の快適な旅をお約束するため、空間収納から溢れた分を物理的に携帯しております」
セラの背中には、彼女の身の丈ほどもある大剣に加え、エルフの里で貰った大量の果実、雪山の村で持たせてくれた干し肉、さらには途中で見つけた「リア様がお座りになるのに丁度良い形の岩(推定50キロ)」までが、巨大な麻袋に詰め込まれて括り付けられている。
天界最強の武神が、まるで夜逃げをする行商人のような格好で歩いているのだ。
そもそも空間収納は相当な量を収納できるはずだが。
「その岩は置いていきなさいって言ったのに……。重くないの?」
「リア様の御為ならば、この程度の質量、羽毛と変わりません。むしろ、主様への愛の重みに比べれば軽すぎるほどです!」
胸を張って答えるセラに、私は呆れながらもクスッと笑ってしまった。
そんな風に他愛のない会話を交えながら街道を歩いていると、前方から賑やかな声と、車輪の軋む音が聞こえてきた。
「おや、こんなところで旅の娘さんたちに会うとはね」
現れたのは、四台の大きな荷馬車を連れた商人の一団だった。
先頭の馬車の御者台に座っていたのは、日に焼けた肌と立派な口髭が特徴的な、恰幅の良い中年の男だった。
「こんにちは。立派な商隊ですね。どちらへ向かわれるのですか?」
私が愛想よく声をかけると、口髭の男は人の良さそうな笑顔で答えた。
「ああ、俺たちは『銀の天秤商会』。
これから南にある『水上都市アクアリア』に向かって、霊峰の麓で仕入れた毛皮や鉱石を売りに行くところさ。
お嬢ちゃんたちも南へ行くなら、どうだい? 荷台の空いてるスペースに乗せていってやるよ。
こんな春先は、冬眠から目覚めた野盗や魔物が出るからね。二人旅じゃ危ないだろう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
私が喜んで頷こうとした瞬間、隣から凄まじい冷気が立ち昇った。
「——気安く我が主に話しかけるな、下等な商人が」
セラが、巨大な麻袋を背負ったまま、大剣の柄に手をかけて一歩前に出た。
「我が主の尊き御足を、獣の臭いが染み付いた薄汚い荷馬車に乗せるなど、万死に値する不敬! それに、野盗や魔物だと? この私がいる限り、リア様の半径百メートル以内に近づく害虫は、すべて細胞レベルで消滅させてみせる!」
「ひぃっ!?」
セラの放つ圧倒的な殺気に、商隊の馬たちが怯えていななき、商人たちも顔を引き攣らせて後ずさりした。
「ストップ、セラ! せっかくの親切を無下にしないの!」
私は慌ててセラの頭をポカポカと叩いた。
「私たちはただの旅人なんだから、他の人たちと一緒に旅をするのもいい経験でしょ? それに、馬車に乗れば私も少しお昼寝できるし」
「おっ、お昼寝……ッ! 主様の健やかなる睡眠時間を確保できるとあらば……! し、しかし、馬車の揺れが主様の安眠を妨げるのでは……ッ!」
「貴方が結界で揺れを抑えてくれればいいじゃない。できるでしょ?」
私が上目遣いで頼むと、セラは「っ……!!」と顔を真っ赤にして息を呑み、即座に大剣から手を離して直立不動の姿勢をとった。
「御意にッ! リア様に極上の揺りかご空間をご提供するため、このセラ、馬車のサスペンション機能を魔法で完全に制御してみせますッ!!」
「……あ、あの、お嬢ちゃんたち。本当に乗るのかい?」
呆然とする口髭の商人——商隊長のボルドーさんに、私はペコリと頭を下げた。
「はい、ぜひお願いします。少し騒がしい護衛ですが、腕は立つので、魔物が出た時の用心棒代わりだと思ってください」
ーーー
こうして私たちは、「銀の天秤商会」の荷馬車に乗せてもらい、南の水上都市を目指すことになった。
馬車の荷台は、毛皮の束が積まれていてふかふかだった。
セラの宣言通り、彼女が馬車全体に微弱な重力制御の魔法をかけてくれているおかげで、石ころだらけの街道を走っているとは思えないほど、揺れは全く感じなかった。
「リアお姉ちゃん、その髪の毛、すっごく綺麗だね! 妖精さんみたい!」
荷台の向かい側には、商隊長ボルドーさんの娘である、十歳くらいのそばかすが可愛い女の子・リリィが座っていた。彼女は私の銀髪に興味津々で、身を乗り出して話しかけてくる。
「ありがとう、リリィちゃん。リリィちゃんも、お父さんと一緒に旅をしてるの?」
「うん! 私は将来、お父さんより立派な大商人になるんだから! だから今のうちから、いろんな街を見て勉強してるの」
リリィはえっへんと胸を張り、大人びた口調で言った。その無邪気な野心に、私は思わず頬が緩む。
「おやめなさい、リリィ。リア様に気安く触れてはなりません。主様の御髪は、星の光を紡いで作られた至高の芸術品……
子供の泥の手で触れれば、私が貴女の手を切り落とさねばならなくなります」
隣に座るセラが、腕を組みながら鋭く睨みを効かせる。
「もう、セラったら。そんなこと言わないの。リリィちゃん、気にしないでね。この子はちょっと、過保護なだけだから」
私はリリィの頭を優しく撫でながら、セラをたしなめた。
「過保護……。リアお姉ちゃんとセラお姉ちゃんって、本当の姉妹みたいだね!」
リリィの無邪気な一言に、私とセラは顔を見合わせた。
「し、姉妹……! 私が、主様の……妹、いや、姉……ッ!?」
セラはまたしても顔を真っ赤にし、ブツブツと何かを呟きながら頭を抱えてしまった。
私はそんな彼女を見ながら、心の中で小さく頷いていた。
天界で主従として何万年も過ごしてきた私たちだけれど、この人間界を旅する中で、少しずつ、でも確実に、ただの「家族」としての絆が深まっているのを感じる。
夕暮れ時。
商隊は街道沿いの開けた広場に馬車を停め、野営の準備を始めた。
「よし、今日はここで一晩明かすぞ! 火を起こして、飯の支度だ!」
ボルドーさんの号令で、商人たちが手際よく焚き火の準備を始める。
私たちも手伝おうとしたのだが、
セラが「リア様に薪拾いなどという重労働をさせるわけにはいきません! 私がこの一帯の森を切り拓いて、最高級の薪を用意してまいります!」と言って、大剣片手に森の奥へ消えていってしまった。
「……本当に、元気な護衛さんだねぇ」
ボルドーさんが、苦笑いしながら干し肉をナイフで切り分けている。
「ごめんなさい、いつもあんな調子で……」
「いやいや、頼もしい限りだよ。……それに、お嬢ちゃんも、あの子のことが本当に大切なんだろう?」
ボルドーさんは、焚き火の炎を見つめながら、優しく微笑んだ。
「俺も、リリィが心配でたまらない時がある。商人なんて危険な商売、本当は安全な街に置いておきたい。
でも、あいつが『一緒に行きたい』って言うから……親としては、守ってやりたい気持ちと、あいつの意思を尊重してやりたい気持ちで、いつも板挟みさ」
「……親心、ですか」
私は、ボルドーさんの言葉を反芻した。
「ああ。お嬢ちゃんのその護衛の子も、きっと同じなんだろう。不器用だけど、お嬢ちゃんを守りたくて、大切でたまらないんだ。
そういう『愛』ってやつは、時々重たくて面倒くさいもんだが……でも、それがあるから、人間は生きていけるんだよ」
ボルドーさんの言葉は、深く、優しく私の胸に響いた。
ルミナスでアンナさんが見せた、子供を守るための愛。
ゼノスでカイルが見せた、血の繋がらない弟妹への愛。
大樹の里でエララさんが見せた、世界全体を包み込むような愛。
そして、セラが私に向けてくれる、不器用で、重たくて、でも誰よりも真っ直ぐな愛。
私が創った世界には、こんなにもたくさんの、美しい愛の形が溢れていたのだ。
「——リア様ッ!! お待たせいたしました!」
ズシンッ!!
地響きとともに、私の目の前に「家が一軒建つのではないか」というレベルの、巨大な大木の束が積み上げられた。
森から戻ってきたセラが、額の汗を拭いながら誇らしげに立っている。
「最高級の魔力樹を伐採してまいりました! これで一晩中、主様のお体を冷やすことなく、完璧な温度のキャンプファイアーをお楽しみいただけます!」
「セラ……これ、燃やしたら森が火事になるわよ……」
呆然とする商人たちの中で、私は思わず天を仰いだ。
でも、そのやり取りがたまらなく可笑しくて、愛おしくて、私は声を上げて笑ってしまった。
「もう、本当に不器用なんだから。……でも、ありがとう、セラ」
「っ……! リ、リア様の笑顔が見られただけで、私は……私は……ッ!」
セラは感極まってその場に崩れ落ち、薪の山に顔を埋めてしまった。
星空の下、焚き火を囲みながら、私たちは商人たちと一緒に温かいスープを啜った。
次なる目的地、水上都市アクアリア。
そこにはどんな出会いが待っていて、どんな『創世の欠片』が隠されているのだろうか。
アザエルという脅威は確実に私たちを狙っている。けれど、今の私には、共に笑い、共に歩んでくれる「家族」がいる。
薪の爆ぜる音を聞きながら、私はセラの肩にそっと寄りかかり、満天の星空を見上げた。
愛を知らない神様と、愛が重すぎる最強の剣の旅は、少しずつ、でも確実に、その絆を深めながら続いていく。




