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第19話「暖炉の火影と、かつての同胞の記憶」

猛吹雪が嘘のように晴れ渡った『竜鳴の霊峰』。


古竜の魂が浄化され、星の脈動が正常に戻ったことで、空には雲一つない抜けるような青空が広がっていた。

太陽の光が雪原に反射し、世界中がキラキラとダイヤモンドのように輝いている。


「……」


下山する雪道の中、私の少し後ろを歩くセラは、先ほどからずっと無言だった。

いつもなら「リア様、雪が眩しすぎます! 今すぐ太陽の光度を調整してまいります!」などと物理法則を無視した過保護発言を連発するところだが、彼女の視線は足元の雪に落ちたまま、どこか遠くを見つめているようだった。


山頂で響いた、冥王アザエルの声。


天界最強の武神であるセラが、あそこまで明確に動揺を見せたのは初めてのことだった。彼女の中に渦巻く不安や過去の記憶が、その足取りをわずかに重くしているのだ。


「あっ」


私がセラの様子を気にしながら歩いていたせいで、雪に隠れていた木の根に足を取られ、バランスを崩してしまった。


「——ッ!! リア様!!」


その瞬間、弾かれたようにセラの姿がブレた。

私が雪に倒れ込むよりも早く、セラが私の体をふわりと抱き留め、事なきを得る。


「も、申し訳ございませんッ! 私としたことが、主様の御足元への注意を怠るなど……! 万死! 即刻この霊峰の木々をすべて根こそぎ伐採し、雪を熱湯で溶かして平坦なアスファルトの道へと造り替えますッ!!」


真っ青な顔で大剣を抜こうとするセラ。


「駄目だってば! 生態系が死滅しちゃうから!」


私は慌ててセラの腕にすがりつき、いつものように全力で制止した。


「ですが……っ、もしリア様のお顔に傷でもついていたら、私は自分を許すことが……」

「大丈夫よ、セラ。ほら、どこも怪我してないでしょ?」


私が微笑んで見せると、セラはホッと息を吐き出し、抱き留めていた私の体をそっと離した。その表情には、まだどこか拭いきれない翳りがあった。



ーーー



私たちが麓の村へ辿り着くと、村人たちは涙を流して私たちを歓迎してくれた。

黒い雪が止み、山から吹き下ろす風がいつもの清らかな冷気に戻ったことで、彼らも山の異常が解決したことを悟ったのだ。


「旅のお方……いや、神の使い様! なんとお礼を申し上げたらよいか……!」


村長をはじめとする村人たちは、私たちを村で一番大きくて暖かい家へと案内してくれた。


「さあ、冷えたお体を温めてくだされ。大したおもてなしはできませんが……」


囲炉裏のような大きな暖炉には赤々と火が燃え、鉄鍋からは野菜と獣肉を煮込んだ、食欲をそそる温かい匂いが立ち上っていた。


「リア様、お待ちください。この獣肉に未知の寄生虫が潜んでいる可能性が微粒子レベルで存在します。まずは私が胃袋を三つに分割して毒見を——」

「普通に食べて! お腹すいてるんだから!」


村人たちが目を丸くする前で、私はセラの口に熱々の肉を放り込んだ。


「はふっ、ふふっ……! り、リア様から直々に『あーん』を……ッ! ああ、なんという至福……!」


頬を押さえて昇天しかけるセラを見て、村人たちも毒気を抜かれたようにドッと笑い声を上げた。

外は極寒の雪景色だが、家の中は火の温もりと、人々の穏やかな笑顔に満ちていた。



ーーー



その日の夜。

村人たちが用意してくれたふかふかの寝台が置かれた部屋で、私とセラは二人きりになった。

暖炉の中で、パチパチと薪が爆ぜる音が部屋に静かに響いている。

私は、村の女性が淹れてくれた温かいハーブティーのカップを二つ持ち、窓辺でじっと夜の雪山を見上げているセラの隣に並んだ。


「はい、セラ。温まるわよ」

「あ……ありがとうございます、リア様。私が淹れるべきところを、主様の手を煩わせてしまうなど……」


セラは恐縮しながらカップを受け取り、両手で包み込むように持った。その手は、いつも大剣を振るう力強さとは裏腹に、少しだけ震えているように見えた。


「……ねえ、セラ」


私は、ハーブティーの湯気越しに、彼女の横顔を見つめた。


「山頂で声を聞いた時、貴方、すごく怖い顔をしてた。あのアザエルと何があったか……教えてくれる?」


私の直球の問いかけに、セラはビクッと肩を揺らした。

彼女はしばらくの間、暖炉の火影が揺れるのを見つめていたが、やがて観念したように、静かに口を開いた。


「……ご存知の通りですが、アザエルは、かつて私と同じ、天界の『第一神徒』でした。私が主様の敵を滅ぼすための『剣』として創られたように、彼は主様の世界を管理するための『盾』であり、知恵を司る存在でした」


セラは、カップを見つめたまま、ぽつりぽつりと過去を語り始めた。


「私にとって彼は……人間たちの言葉を借りるなら、兄のような、あるいは師のような存在だったのかもしれません。

彼は常に完璧で、美しく、誰よりもリア様——創造主である貴女様を、狂信的なまでに愛し、崇拝していました」

「……」

「ですが、彼の愛は、あまりにも潔癖すぎたのです。

彼は、リア様が愛したこの地上の世界——人間たちが争い、嘘をつき、泥にまみれて生きるこの世界を、『不完全な失敗作』だと断じました」


セラの声に、苦痛の色が滲む。


「彼は言いました。『あのような薄汚い獣どもが、リア様の愛を受ける資格などない。我々が一度この世界を白紙に戻し、リア様にふさわしい、争いのない完璧な箱庭を創り直すべきだ』と」

「……それで、彼は私のもとを離れたのね」

「はい。私は、彼を止めることができなかった。当時の私には……アザエルの言う『人間の醜さ』を否定するだけの感情が、持ち合わせていなかったからです。

ただ、私は『リア様が創った世界を壊すこと』だけが許せなくて……結果的に、彼と刃を交え、彼を天界から追放しました」


セラの瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。

それは、感情を持たない武神として創られた彼女が、かつての同胞を自らの手で切り捨てたことへの、何万年も遅れてやってきた「悲しみ」の涙だった。


「……怖かったのです、リア様」


セラは、震える声で告白した。


「この旅で、私は人間たちの温かさに触れました。カイルたちや、エララ殿や、アンナ殿の愛を知りました。

リア様がこの世界を愛する理由が、痛いほどわかりました。……だからこそ、怖いのです。人間の弱さや醜さにつけ込み、世界を壊そうとするアザエルの絶大な力が。

もし、私の剣が届かず、リア様を……私がやっと見つけた、この温かい『家族』を奪われてしまったらと……」


無敵を誇る天界最強の武神。

彼女が初めて見せた、あまりにも人間らしく、脆い「恐怖」。

私は、カップを窓枠に置くと、ポロポロと涙を流すセラの体を、正面からギュッと抱きしめた。


「リ、リア様……?」

「泣かないで、セラ」


私は、エララが私にしてくれたように、セラの亜麻色の髪を優しく、何度も撫でた。


「貴方はもう、ただの『剣』じゃない。

美味しいご飯に喜んで、虫を嫌がって、私のために怒って、悲しんでくれる……私のかけがえのない女の子よ」


「あ……」

「アザエルは間違っているわ。泥にまみれて、たくさん失敗するからこそ、人間は誰かを愛することができる。貴方も、それを見つけてくれたじゃない」


私はセラの体を少し離し、その涙に濡れた頬を両手で包み込み、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。


「もしアザエルが世界を壊しに来るなら、私が全力で彼を止める。そして、私の隣にはいつだって、貴方の剣がある。……違う?」


私の言葉に、セラの瞳が大きく見開かれた。

そして、彼女は涙をボロボロと流したまま、ふにゃりと、まるで花が綻ぶような、これまでに見たことのないほど美しく、優しい笑顔を浮かべた。


「……違い、ません。ええ、絶対に……ッ」


セラは、私の手を自分の両手で包み込み、その手の甲に深く、誓いの口づけを落とした。


「この剣は、ただの『断罪』ではありません。リア様が愛する世界を、リア様の温かい御心を……『守る』ための盾でもあります。アザエルがどのような絶望を連れてこようとも、私は絶対に、貴女様をお守りいたします」


暖炉の火が、決意を新たにしたセラの横顔を赤く照らしていた。

かつての同胞との決別と、神に対するただの忠誠ではなく「愛する家族」としての誓い。


「ありがとう、セラ。頼りにしてるわ」


私たちは、静かに深々と降り積もる雪の音を聞きながら、一つの毛布にくるまって温かいハーブティーを飲み干した。

不安の影はまだ遠くに潜んでいる。



けれど、私たちの間に結ばれた絆は、どんな猛吹雪よりも温かく、強靭なものへと変わっていた。

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