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第16話「星の揺りかごの宴と、忍び寄る深淵の影」

大樹の深淵から、螺旋状の長い空洞を抜け、地上へと続く最後のアーチをくぐり抜けた瞬間だった。


「——おおおおぉぉぉっ!!」


鼓膜を震わせるほどの、割れんばかりの歓声が私たちを包み込んだ。

視界に飛び込んできたのは、大樹の里に住む数千のエルフや亜人たちが、広場を埋め尽くして歓喜の声を上げている光景だった。

枯れかけていた大樹の葉は、今や眩いほどの黄金色と新緑の輝きを取り戻し、空からは雪のように淡く発光する精霊たちが舞い降りている。

森の動物たちも嬉しそうに駆け回り、獣人の子供たちは互いに抱き合ってポロポロと涙を流していた。


「エララお母様!!」

「森が……大樹が息を吹き返したぞ!!」


私たちが姿を現すなり、里の住人たちが一斉に駆け寄ってくる。


「リア様、危険です! これほどの数の下等……いえ、民衆が一度に押し寄せては、主様の御体に不測の事態が! 私が周囲半径十メートルに不可視の絶対防壁を張り、近づく者を弾き飛ばして——」

「ストップ、セラ。みんな喜んでるだけだから弾き飛ばさないで」


いつものように過剰防衛(物理)を発動しようとする護衛の背中をポンポンと叩いて宥めていると、エララが一歩前に進み出た。

彼女が優しく両手を掲げると、里の喧騒が嘘のように静まり返る。


「私の愛する、森の子供たちよ」


エララは、涙で濡れた頬に極上の微笑みを浮かべ、澄み渡る声で宣言した。


「大樹の根を蝕んでいた穢れは、払われました。この森は、星の記憶は、永遠に守られたのです。

……すべては、こちらにおられる気高き旅人、リア様と、強き剣士セラ様のおかげです!」


その言葉に、里の住人たちは一斉に私とセラに向かって、深い敬愛と感謝を込めてその場に膝をつき、頭を垂れた。

何千という命が、私という存在に向かって純粋な感謝の祈りを捧げている。

天界の玉座で、無機質な信仰の祈りを受け取っていた時とは違う。泥臭くて、温かくて、魂が震えるような「ありがとう」の波。


「顔を上げてください、みなさん。私はただ、エララさんの歌声がとても綺麗だったから、それが絶えてしまうのが悲しかっただけですから」


私が微笑みかけると、エルフたちは感極まったように再びワッと歓声を上げ、里はかつてないほどの盛大な祝宴の準備へと突入していった。



ーーー


その日の夜。

大樹の根元に設けられた巨大な広場は、無数の光苔と精霊たちの灯りに照らされ、幻想的な宴の熱気に包まれていた。


「リア様、どうぞ。この果実水は、私が毒見と不純物の濾過を完璧に行い、主様の喉を潤すのに最適な温度に調整いたしました」

「ありがとう、セラ。でも、そんなに神経質にならなくても、この森の食べ物はどれも魔力に満ちていて美味しいわよ」


私は、木彫りのジョッキに注がれた澄んだ果実水を口に運んだ。

甘酸っぱく、そして体の芯から活力が湧き上がってくるような清らかな味がする。

テーブルには、香草で包み焼きにされた川魚や、蜜をたっぷりと塗られた木の実のタルトなど、エルフたちが腕によりをかけたご馳走が山のように並べられていた。


「おい、剣のお姉ちゃん! すっげえデカい剣だな! 俺にも持たせてくれよ!」

「わあ、お姉ちゃん綺麗! 髪の毛、サラサラ!」


ふと気がつくと、セラの周囲には、獣人の男の子やエルフの小さな女の子たちが群がっていた。

彼らは、昼間に大樹を救った英雄の一人であるセラに興味津々で、彼女の背負う大剣の柄をペタペタと触ったり、彼女の亜麻色の髪を引っ張ったりしている。


「こ、こら貴様ら! 気安く触れるな! この剣は次元すら断ち切る神罰の——ああっ、よだれを垂らすな! 私の髪はリア様に撫でていただくために毎朝完璧な手入れを——こらっ、よじ登るな!」


天界最強の武神が、無邪気な子供たちの波に完全に飲み込まれ、大慌てで右往左往している。

普段なら「万死に値する!」と一刀両断にしているところだが、私が「子供たちを傷つけないでね」と釘を刺していることと、彼女自身の中に芽生えつつある『家族(弱者)への優しさ』がストッパーとなり、セラは必死に剣の刃を子供たちから遠ざけながら、されるがままになっていた。


「あはははっ、セラ、すっかり大人気じゃない」

「リ、リア様ぁ……っ! お助けください……っ!」


涙目で助けを求めるセラの姿が可笑しくて、私はお腹を抱えて笑った。


(……温かいな)


私は、笑い声を上げながら、そっと胸の奥に手を当てた。

ルミナスで出会った孤児院のアンナ。魔導帝国で出会ったカイルたち。そして、この大樹の里の住人たち。

彼らが当たり前のように持っている「家族の絆」に触れるたび、私の心の中にあったポッカリと空いた大きな穴が、少しずつ、けれど確実に満たされていくのを感じる。

神として世界を俯瞰するのではなく、一人の少女として世界を歩くこと。それは、私が想像していたよりもずっと、痛くて、愛おしくて、眩しい経験だった。


「……リア様」


不意に、背後から優しく声をかけられた。

振り返ると、美しいドレスに身を包んだ『森の母』エララが、穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。


「宴を楽しんでおられますか? 始まりの光を持つ、気高き御方」

「ええ、とても。エララさん、どうか『様』はつけないで。私はただのリアです」

「ふふっ……承知いたしました、リア」


エララは私の隣に座り、そっと私の銀色の髪を梳くように撫でた。


「貴女は、私が想像していた『神様』とは、少し違いました。もっと絶対的で、恐ろしく、感情のない存在なのだと、古い書物には記されていましたから」

「……そう見えていたのかもしれないわね。天界にいた頃の私は、この世界をただの箱庭としてしか見ていなかったから」


私は、自分の髪を撫でるエララの温かい手の感触に目を閉じながら、静かに語った。


「でも、私は知りたかったの。人間が、親が子を抱きしめる時に流すあの涙の意味を。

自分の命を投げ打ってでも、愛する者を守ろうとするその熱の正体を。

……私には、親がいないから。最初からずっと、一人だったから」


ポツリとこぼした私の本音。

それは、何万年もの間、誰にも言うことのできなかった、創世神の抱える「絶対的な孤独」の告白だった。

エララの手が、ピタリと止まった。


そして次の瞬間。


彼女は、まるで迷子の子供をあやすように、私の体を力強く、そして限りなく優しく、その腕の中に抱きしめたのだ。


「え……」

「ああ……なんという、ことでしょう」


エララの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。


「貴女様は、私たちの創造主でありながら……その魂は、愛を求めて泣いている、小さな迷子だったのですね。

私たちに命を与え、愛という奇跡を与えてくださったのに、貴女自身は、ずっとその愛を受け取れずにいたなんて」

「エララ、さん……」

「泣きなさい、リア。貴女は神である前に、ただ愛されたいと願う、一人の尊い娘です。

私が……この大樹の里のすべての母である私が、貴女のその痛みを、今日だけはすべて受け止めましょう」


ギュッと、抱きしめる腕の力が強くなる。

その胸からは、森の木々のような深い安らぎと、私がずっと求めていた『お母さん』の匂いがした。



「あ……」



気がつけば、私の目から、止めどなく涙が溢れ出していた。

全知全能のはずの創世神が。世界で一番偉いはずの存在が。一人のエルフの女性の腕の中で、子供のように声を上げて泣きじゃくった。


「う、あぁぁ……っ、うわぁぁぁんっ……!」

「いいのです。貴女の創った世界は、こんなにも美しく、温かい。貴女はもう、独りではありませんよ」



エララは私の背中を優しく撫でながら、私が何万年分もの涙を流し尽くすまで、ずっと、ずっと抱きしめ続けてくれた。

遠くで、子供たちに揉みくちゃにされながらも、セラがとても優しい、慈愛に満ちた目で私を見守ってくれているのがわかった。


大樹の里の夜は、私の心の欠落を優しく埋めながら、静かに更けていった。




ーーー




——時を同じくして。

大樹の里から遥か遠く、空間そのものが歪み、星の光すら届かない『次元の狭間』に浮かぶ黒曜石の神殿。

そこは、この世界の裏側に潜み、「神の理」を根底から書き換えようと企む者たちの拠点であった。

円形の黒い石卓を囲むように、幾つもの禍々しい影が座している。


「……報告によると、魔導帝国ゼノスの第七魔導研究所が完全に沈黙したようだ。ガルドスの狂人は捕らえられ、我々が提供した『欠片』も回収された」


深淵から響くような、くぐもった声が石卓に落ちた。


「ルミナスの教皇も同様だ。あそこも『欠片』を使い、聖歌隊と称して贄を集めていたが、たった一晩で壊滅した。それに……先ほど、大樹の里の地下に送り込んでいた『変異種』の反応も消滅した」


別の影が、苛立ちを隠せない声で続く。


「……面白いな」


石卓の最奥。

ただ一人、玉座のような豪奢な椅子に深く腰掛ける男が、低い笑い声を漏らした。


男の背中には、漆黒に染まり、ボロボロに欠損した『三対の翼』が生えている。それはかつて、天界においてセラと肩を並べるほどの高位の神徒であった証。


神に反逆し、地に堕ちた堕天使——『冥王』アザエル。


「『創世の欠片』は、単なる魔力石ではない。創造主の権能そのものだ。それをいとも容易く回収し、あまつさえ瘴気を完全に浄化するなど……並の人間や魔導士にできる芸当ではない」


アザエルは、手元で弄んでいたワイングラスを、パチンと指先で粉砕した。


「ルミナス、ゼノス、大樹の里……我々『真理の探求者』が種を蒔いた実験場を、次々と潰して回っている者がいる。それも、圧倒的な力と、奇跡としか呼べない浄化の力を持って」

「アザエル様。まさか……天界から、神徒が遣わされたとでも?」

「神徒ごときが、欠片を体内に吸収できるものか。……もしや」


アザエルは、狂気と歓喜の入り混じった瞳で、虚空を見つめた。


「『あのお方』自身が、この泥にまみれた地上へ降り立ったというのか? だとすれば、これほどの好機はない」


石卓の空気が、一気に凍りつく。

神が、自ら地上にいる。

それは彼らにとって、最大にして最悪の脅威であり——同時に、神の座を奪い取るための最大のチャンスでもあった。


「……遊びは終わりだ。我らが悲願、この不完全な世界を破壊し、我々が新たな創造主として君臨するための『完全なる器』を完成させる。

そのためには、地上をうろつくその目障りな光を、確実に摘み取らねばならん」


アザエルが立ち上がると、黒曜石の神殿全体が、彼の放つ絶望的な魔力によって激しく震動した。


「次なる『欠片』の在処は、北の果て……『竜鳴の霊峰』だ。そこに封印されている古竜の死骸に欠片を埋め込み、星の防衛機構そのものを我々の支配下に置く。そして、あの光を誘い出せ」

「御意に……!」


影たちが一斉に平伏し、次元の狭間に溶けるように消えていく。

アザエルは一人、暗闇の中で残虐な笑みを浮かべた。


「待っているぞ、エリュシオン。貴女の創ったこの美しい世界が、絶望の炎に焼かれる様を、特等席で見せてやろう。

……そして、貴女の隣にいるであろう、あの忌々しい『第一の剣』の首もな」



星の揺りかごで、初めての「母の愛」に包まれ、静かに眠るリア。



その温かな夢を切り裂くように、深淵に潜む悪意の影が、確かな形を持って忍び寄り始めていた

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