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第14話「大樹の里と、星の記憶を歌う者」

魔導帝国ゼノスの灰色の空と鉄の匂いを背にして、西へ、西へ。


数週間の旅路を経て、私たちの視界は、見渡す限りの深い緑——生命の息吹がむせ返るような、巨大な原生林に覆われていた。


「んんっ……! 空気が美味しい!」


私は両腕を大きく広げ、胸いっぱいに森の空気を吸い込んだ。

土と草の匂い。木々の葉擦れの音。

そして、大気中に満ちている澄み切った魔力マナの奔流。強引に魔力を搾取していた帝国とは違い、この森ではすべての命が調和し、私が創り上げた世界のルールのままに美しく循環している。


「……リア様。恐れながら申し上げます。この森は、不快な羽虫や得体の知れない粘液を出す両生類が多すぎます」


私の隣で、セラが心底嫌悪感に満ちた声で呟いた。

彼女の周囲には、すでに絶対防壁とも呼べる高密度の殺気が張り巡らされており、近づこうとした羽虫たちが次々と空中でポロポロと墜落していくという異常事態が起きている。


「先ほどから、主様の透き通るような白い御肌を狙って、下等な吸血昆虫どもが羽音を立てております。

いっそ私が一足飛びに森の奥へ向かい、この鬱蒼とした木々をすべて焼き払い、清潔な石畳の平原にしてから主様をお通しするべきかと——」

「ストップ、セラ。放火魔みたいなこと言わないの。自然のままがいいんだから」

「ですが……ッ! 万が一にも、リア様の御髪に芋虫などが落下してきた日には、私は自害して主様にお詫びしなければなりません!」

「しないから! 虫が落ちてきたくらいで自害しないで!」


相変わらずの更地至上主義と極端な過保護っぷりを発揮する剣を宥めながら、私は鬱蒼とした獣道をかき分けて進んだ。


この森の奥には、エルフや亜人たちが外界との接触を絶って暮らす「大樹の里」があるという。

私が創った種族の中でも、エルフは特に魔力との親和性が高く、長命だ。彼らが長い歴史の中でどのような社会を築き、どのような「愛」を育んでいるのか、私はとても楽しみにしていた。


「——そこまでだ、侵入者」


ふいに、頭上の枝葉が揺れたかと思うと、冷たく澄んだ声が降ってきた。

気がつけば、私たちの周囲の木々には、緑色の外套を羽織り、美しい装飾の施された弓を構える十数人のエルフの戦士たちが音もなく配置されていた。鋭い矢尻が、一斉に私たちに向けられている。


「人間の立ち入りは禁じられている。武器を捨て、速やかにこの森から立ち去れ。さもなくば——」

「……誰に向かって口を利いている、耳長族エルフの小童ども」


エルフの警告が終わるよりも早く。

セラの纏う空気が、一瞬にして『絶対零度の殺意』へと変貌した。

カキィン、と。大剣の鍔鳴りが、静寂の森に死の宣告のように響き渡る。


「我が主の御前で、その薄汚れた木の枝(弓)を構えた罪。貴様らのその長い耳ごと、首と胴体を永遠に切り離してやろう。神罰の雨に——」

「だからストップ!! セラ、剣をしまって!」


私は慌ててセラの腰に抱きつき、抜かれそうになる大剣を必死に押し込んだ。


「いけません、リア様! 主様に殺意を向けた輩を生かしておくなど、私の存在意義が——」

「いいから! 私たち、ただの観光客なんだから平和にいこうね!?」


私がセラとコントのような揉み合いをしていると、エルフの戦士たちが困惑したように顔を見合わせた。


「……武器を引け、戦士たちよ。その方々に敵意はない」


不意に、木立の奥から、ハッとするほど美しく、そして深く温かい声が響いた。

音もなく現れたのは、床に届くほどの長い銀糸の髪を持つ、一人の美しいエルフの女性だった。

淡い緑色の豪奢なドレスを纏い、その瞳は新緑のように優しく澄んでいる。彼女の周囲には、淡く光る森の精霊たちが嬉しそうに飛び交っていた。


「エララ様! しかし、彼らは人間です。大樹の結界を容易く抜けてくるなど……」

「よいのです。……このお嬢さんからは、森の木々すらも平伏すような、とても清らかで、途方もなく古い『始まりの気配』を感じます」


エララと呼ばれた女性は、私をじっと見つめ、優しく微笑んだ。

その笑顔を見た瞬間、私の胸の奥がトクン、と鳴った。

アリエスで出会ったマーサの、太陽のように明るく豪快な「お母さん」の温かさとは違う。

月の光のように静かで、すべてを包み込むような、深く神秘的な『母性』の波動。


「ようこそ、星の記憶が息づく森へ。私はこの大樹の里を束ねる長であり、『森の母』たるエララ。遠き旅路、さぞお疲れでしょう。私たちの里へ歓迎いたします」

「……ありがとうございます、エララさん。私はリア。こっちは護衛のセラです」


私が一礼すると、セラは未だにエルフたちを睨みつけながらも、私の背後で渋々といった様子で剣から手を離した。



ーーー



エララに案内されて森のさらに奥へ進むと、突如として視界が開けた。

そこにあったのは、雲を突き抜けるほどに巨大な一本の「大樹」だった。


「わぁ……っ!」


私は思わず感嘆の声を漏らした。


幹の太さは一つの街がすっぽり入るほどあり、太い枝々の上や、うろの中に、エルフや亜人たちの美しい木造の家々が立ち並んでいる。

大樹自体が、一つの巨大な都市なのだ。

これが、私が遠い昔にこの地に落とした『生命の種』の成長した姿なのだと思うと、えも言われぬ感動が込み上げてきた。


里の中は、とても穏やかだった。


エルフの子供たちや、獣の耳を持った亜人の子供たちが笑い合いながら走り回り、木漏れ日の中で大人たちが果実を分け合っている。

エララが歩みを進めると、すれ違う里の住人たちは皆、深い敬愛を込めて「母様」「エララお母様」と彼女を呼んだ。


「エララさんは、この里のすべての人の『お母さん』なんですか?」


私が不思議に思って尋ねると、エララはふふっと上品に笑った。


「私が直接お腹を痛めた子は、数えるほどしかおりません。ですが、私たち長命なエルフにとって、この森に生きるすべての命は、私の可愛い子供たちなのです。

人間が一生を終える間に、私たちは何度も季節の巡りを見守ります。だからこそ……この腕の中に抱く命のすべてが、愛おしくてたまらないのですよ」


エララは通りすがりに、転んで泣き出した獣人の幼い女の子をそっと抱き上げ、その泥だらけの頬に優しくキスをした。


「痛いの痛いの、森の風に乗って飛んでいきなさい」


そう囁くだけで、不思議なことに女の子の泣き顔はパッと笑顔に変わり、「ありがとう、エララお母様!」と元気に走り去っていった。魔法ではない。ただの純粋な愛情が、子供の痛みを消し去ったのだ。


(……すごいな)


私は、その神々しいまでの母の姿から、目を離すことができなかった。

無数の命を愛し、慈しむ。それは本来、創世神である私が世界に対して抱くべき感情だったのかもしれない。

しかし私は、ただシステムを維持するだけで、こんな風に一人一人の頭を撫でてあげることはしてこなかった。

エララは、人間エルフでありながら、私よりもずっと「神様(お母さん)」らしい。


その日の夜。


私たちは、大樹の根元にあるエララの館に招かれ、森の果実や清らかな湧水を使った美しい晩餐をご馳走になった。


「リア様、この果実は毒見が済んでおります。こちらの木の実も、私が外皮を完全に取り除きました。さあ、あーんでございます」

「セラ、自分で食べられるから! 恥ずかしいからやめて!」


過保護すぎる護衛の世話焼きに私が赤面していると、エララはまるで悪戯っ子を見るような優しい目で私たちを微笑ましく眺めていた。

食後、エララは館のバルコニーに出て、星空を見上げながら静かに歌を歌い始めた。


『——眠れ、星の瞬きよ。眠れ、大地の息吹よ。始まりの母が紡いだ、永遠の揺りかごの中で……』


その透き通るような美しい歌声に、森の精霊たちが光の粒となって集まり、彼女の周囲で優しく踊り始めた。

私も、バルコニーの柵に寄りかかりながら、その歌声に聞き入った。

それは、私がこの世界を創った時、最初に大地に刻み込んだ『生命の旋律メロディ』と同じ波長だった。エルフたちは何万年もの間、私の創った鼓動を、こうして子守唄として歌い継いでくれていたのだ。


「……美しい歌ですね」


私が呟くと、エララは静かに歌を止め、哀しそうに伏し目がちになった。


「これは、星の記憶を歌う『祈りの歌』。……ですが最近、私の歌が、この大樹に届かなくなってしまったのです」

「届かない?」


私が首を傾げると、エララの表情が深刻なものに変わった。


「リアさん。貴女は不思議な方だ。ただの旅人ではない……森の木々が、貴女にすり寄るように喜んでいるのがわかる。だからこそ、打ち明けます」


エララは、足元の巨大な木の根を見つめた。


「数ヶ月前から、この大樹の根元深く……『大地のへそ』と呼ばれる聖域から、おぞましい瘴気が湧き出し始めたのです。

大樹はその毒に侵され、少しずつ枯れ始めています。精霊たちは怯え、森の動物たちは凶暴化の兆しを見せている……」

「瘴気……」


私はセラと顔を見合わせた。

間違いない。ルミナスやゼノスで見てきたのと同じ、『創世の欠片』の力だ。


「私の命を削って浄化の結界を張っていますが、それも長くは持ちません。このままでは、大樹の里は……私の愛する子供たちは、死に絶えてしまう」


エララは両手で顔を覆い、静かに涙を流した。

すべてを包み込むような強く美しい『森の母』が、我が子を守れない無力さに打ちひしがれ、涙を流している。

その涙は、私の胸の奥に、確かな熱と怒りを呼び起こした。


(私の愛した世界を、私の世界を愛してくれる人たちを、これ以上悲しませるわけにはいかない)


「エララさん」


私は、彼女の震える両手を、自分の手でそっと包み込んだ。


「泣かないで。貴女の子供たちは、私が……私たちが守ります。だから、その『大地のへそ』という場所へ、案内してくれませんか?」

「リアさん……? しかし、あそこは今や、強大な魔物の巣窟と化して——」

「問題ありません」


不意に、私の後ろに控えていたセラが一歩前に出た。


彼女の瞳には、森への不満も、虫への嫌悪も消え失せていた。

ただ、愛する主の「悲しむ者を救いたい」という意志を完璧に実行するための、天界最強の剣としての覚悟だけが静かに燃えている。


「我が主が『守る』と仰ったのです。このセラの命に代えても、大樹の根に巣食う害虫どもを、一匹残らず次元の果てまで削り消してご覧に入れましょう」


月の光に照らされた、静かで美しい大樹の里。



「母の愛」を知るために世界に降り立った創世神と、過保護な断罪の剣は、森の母の涙を拭うため、星の記憶が眠る大樹の深淵へと足を踏み入れる決意を固めた。

日々、多くの人たちに彼女たちの紀行を読んでくださっています。

まだ投稿したばかりで、大変嬉しいです。

毎日投稿、12:00と21:00にしていますが、21:00の投稿は時折ないかもしれません。

よろしくお願いします。

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