第12話「第七魔導研究所と、振るえない断罪の剣」
帝都ゼノスの地下深く。
張り巡らされた魔力伝導管が、まるで巨大な生物の血管のように這い回る冷たい鋼鉄の通路を、私とセラは静かに進んでいた。
空気はひどく淀み、機械油の鼻をつく匂いに混じって、微かに血と錆の匂いが漂っている。
カイルの隠れ家を出た私たちは、彼が教えてくれた情報をもとに、帝国の暗部である「第七魔導研究所」の最深部へと足を踏み入れていた。
本来なら何重もの厳重な魔法結界と警備兵が配置されているはずだが、セラが「主様の歩みを阻むなど万死に値する」と、息を吐くように無力化(物理)して回ったため、道中は恐ろしいほど静かだった。
「……リア様。この先の巨大な空間から、複数の『欠片』の気圧と、極めて不快な魔力のうねりを感じます」
「ええ。私も見えているわ」
分厚い鋼鉄の扉の向こう側。
そこには、神である私の眼を通してでなければ直視できないほどの、どす黒く歪んだ欲望の渦が立ち込めていた。
「開けなさい」
私の静かな命令とともに、セラが扉の隙間に指をねじ込み、そのままメリメリと鋼鉄を引き裂いて強引にこじ開けた。
「ほう。まさかたった二人で、我が研究所の最深部まで辿り着く鼠がいるとはな」
扉の向こうに広がっていたのは、ドーム状の巨大な地下実験場だった。
中央のコンソールデッキに立っていたのは、白衣を着た痩せぎすの男だった。丸眼鏡の奥の瞳は、狂気に満ちた知求欲でギラギラと濁っている。彼こそが、この狂った実験の責任者なのだろう。
「私は所長のガルドス。して、貴様らは何者だ? 帝国の査察官か? それとも、あの忌々しいスラムのゴミどもの身内か?」
「ただの通りすがりよ」
私はガルドスを見据え、冷たく言い放った。
「貴方たちが、私の……『神の力』を勝手に切り刻んで、人間を部品にして遊んでいると聞いて、少しお掃除をしに来たの」
「くくっ、あははははっ! お掃除だと?」
ガルドスは腹を抱えて嗤った。
「無知な小娘め。我々が手にしたこの『星の心臓』の力がどれほどのものか、理解していないようだな! 我々は神が遺した力を解析し、制御し、ついに神を超える力を手に入れたのだ! 人間という不完全な器を捨て、魔導と融合した完璧な新人類をな!」
ガルドスがコンソールのレバーを引くと、実験場の壁に設置されていた巨大な格納庫の扉が一斉に開いた。
ズシン……ズシン……。
現れたのは、大通りで暴走した機械兵とは比べ物にならないほど洗練された、六体の漆黒の魔導兵器だった。
全身を覆う流線型の装甲には、魔力伝導管が赤黒く明滅している。
だが、私の視線は兵器そのものではなく、その「胸部」に釘付けになった。
分厚い防弾ガラスで覆われた胸部のコックピット。
そこに「乗せられて」いたのは、操縦士などではない。全身に無数の管を突き刺され、意識を混濁させながら涙を流している、カイルの弟妹たちと同じ年頃の「人間の子供たち」だったのだ。
「あれは……ッ!」
「素晴らしいだろう? 『星の心臓』の強大すぎる出力を安定させるためには、恐怖と絶望に染まった新鮮な人間の魂をストッパーにするのが一番効率が良いのだ。
スラムの孤児など、この偉大なる実験のための最高の『部品』ではないか!」
ガルドスが高らかに笑う。
命を、心を、愛されるべき子供たちを、ただの部品として消費する。その醜悪なまでの傲慢さに、私は眩暈すら覚えた。
「——万死に値する」
私の隣で、セラが氷点下の声で呟いた。
「我が主の御心をこれほどまでに害した罪。貴様らの魂は、私がこの大剣で次元の彼方へ削り消してやろう」
カキィンッ!
セラが背中の大剣を抜き放ち、床を蹴った。
その速度は音を置き去りにし、瞬きする間に六体の魔導兵器の懐へと潜り込む。そのまま大剣を一閃し、六体すべてを胴体ごと両断する——はずだった。
「——待って、セラ!!」
私の悲痛な叫び声が、地下空間に響き渡った。
「え……っ!?」
セラの剣が、魔導兵器の装甲に触れる数ミリ手前で、ピタリと静止した。
彼女は私の命令には絶対服従だ。しかし、急激な制動により彼女の体勢は大きく崩れた。
「リア、様……? なぜ、お止めになるのですか!?」
「駄目よ! その子たちごと斬ってしまう気!?」
私は叫んだ。
セラの剣術は『破壊』に特化している。彼女が本気で大剣を振るえば、魔導兵器だけでなく、その内部に繋がれている子供たちまで塵一つ残さず消滅してしまうのだ。
「あ……」
セラはハッと目を見開いた。天界最強の武神である彼女にとって、敵を「更地にする」ことは息をするように簡単だ。
しかし、敵の装甲だけを精密に剥がし、内部の脆弱な人間を『無傷で助け出す』ような繊細な技術は持ち合わせていなかったのだ。
大剣という武器の性質上、どうしても衝撃が内部に伝わってしまう。
「くくっ、隙だらけだな! やれ!」
ガルドスが嘲笑う。
「ガァァァァッ!!」
静止して無防備になったセラに向け、六体の魔導兵器が一斉に襲いかかった。
巨大な鋼鉄の拳が、セラの細い体を容赦なく打ち据える。
「くっ……!」
セラは大剣の腹を盾にして防御したが、数十トンの質量の同時攻撃を殺さずに受け止めることは、いかに彼女でも物理的な反動を伴う。
ドゴォォンッ! という轟音とともに、セラは実験場の壁まで吹き飛ばされ、鋼鉄の壁に深くめり込んだ。
「セラ!!」
「も、申し訳ありません、リア様……ッ!」
瓦礫の中から立ち上がったセラは、額から一筋の血を流していた。
天界の武神が、下等な機械人形相手に傷を負うなど、本来あり得ないことだ。しかし彼女は今、「子供たちを傷つけてはならない」という私の命令という絶対の枷を嵌められている。
「はははっ! どうした、先ほどの威勢は! 所詮は小娘の剣術よ! 我が最高傑作の前にひれ伏すがいい!」
ガルドスが勝ち誇ったように叫ぶ。
魔導兵器たちは、壁際で身動きが取れなくなったセラではなく、無防備に立っている「私」の方へと標的を変え、その巨大な砲門を一斉にこちらに向けた。
「させるかァッ!!」
セラが血相を変え、私の盾となるために音速で戻ってきた。
しかし、彼女は剣を振るえない。子供たちが組み込まれた砲門を斬り落とすことができないのだ。
ズガガガガガッ!!
魔導兵器から放たれた高出力の魔力光線を、セラは己の肉体と大剣の腹だけで、一歩も退かずに受け止め続けた。
「ぐぅぅっ……!!」
「セラ! もういい、よけて!!」
「い、いけません……ッ! 我が主の御体に、このような汚らわしい光を当てるなど……ッ! この程度の熱、蚊に刺されたほどにも——」
強がるセラの足元の石畳が、高熱でドロドロに溶け出している。
圧倒的な力を持つ彼女が、私のために、見ず知らずの子供たちの命を守るために、ただ一方的に傷つけられている。
(……許さない)
私は、静かに目を伏せた。
人間の知恵は素晴らしい。カイルのような、血の繋がらない子供を愛する心は尊い。
だが、その愛を踏みにじり、命を部品として消費し、あまつさえ私のかけがえのない「家族」であるセラを傷つけること。
「——本当に、許さない」
私が再び目を開いた瞬間。
私の瞳は、いつもの星空のような深い青から、宇宙の始まりの光のような『絶対の黄金色』へと輝きを変えていた。
「なに……?」
ガルドスが、コンソールの奥で息を呑む。
「終わりにしてやる! 『星の心臓』の出力を最大へ! あの生意気な小娘どもを、跡形もなく消し飛ばせ!!」
ガルドスの命令により、六体の魔導兵器の胸の奥で『創世の欠片』が限界を超えて発光し、全てを蒸発させるほどの巨大なエネルギーが砲口に集束していく。
撃てば、内部の子供たちも命を落とすだろう。彼は最初から、子供たちを使い捨てにするつもりだったのだ。
「リア様、お下がりを! 私の命に代えても、絶対防御結界を——ッ」
ボロボロになったセラが私の前に立ちはだかろうとする。
私はその華奢な肩にそっと手を置き、前に出た。
「いいのよ、セラ。貴方はよく耐えてくれたわ。本当に、優しい子ね」
「リア、様……?」
私は、極大の魔力砲が放たれようとしている六体の巨大な鉄塊に向かって、ただ右手をスッと前にかざした。
「私の光を……私の子供たちを傷つけるために使うな」
凛とした、しかし万物を平伏させる絶対者の声。
ズキュゥゥゥゥンッッ!!!!
六体の魔導兵器から、空間を歪めるほどの極太の破壊光線が一斉に放たれた。
しかし。
その光線は、私の右手の数メートル手前で、まるで目に見えない巨大なガラスに衝突したかのようにピタリと静止した。
「なっ……馬鹿な!? 星の心臓をフル稼働させた砲撃だぞ!?」
ガルドスが目を見開き、絶叫する。
「お返しするわ」
私が指先を軽く弾いた。
ただそれだけで、静止していた極大の破壊光線は、まるでおとなしい蛍の光のように無数の淡い光の粒子へと分解され、地下空間にフワリと舞い散った。
「ば、化け物……ッ! お前は、一体何者だ……!?」
「私はただの旅人よ。でも、貴方たちが『星の心臓』と呼ぶその石の……本当の持ち主よ」
私がゆっくりと歩み寄ると、魔導兵器たちはガタガタと激しく震え出し、その場に膝をついた。機械であるはずの彼らが、私の放つ『神威』の前に、本能的な恐怖と服従を示しているのだ。
「還りなさい」
私が静かに命じると、六体の魔導兵器の胸部装甲が、まるで魔法のように音もなく透け落ちた。
そして、内部に埋め込まれていた青白い『創世の欠片』が、子供たちの体から優しく抜け出し、私の手のひらへと収まっていく。
動力を失った魔導兵器たちは、ただの冷たい鉄屑となって次々と崩れ落ちた。
ガラスのコックピットが開き、意識を失った子供たちが床に崩れ落ちる前に、私は魔法で彼らを優しく宙に浮かせ、安全な床へと寝かせた。
「あ……ああぁ……私の、私の研究が……ッ!! 神を超える力が……ッ!!」
膝から崩れ落ち、自らの髪を掻きむしるガルドス。
「……セラ」
私は、呆然と私を見つめていたセラを振り返った。
「あの男の処遇は、貴方に任せるわ。ただし、命は取らないで。帝国の人間の手で裁きを受けさせなさい」
「——御意に」
額の血を拭い、セラがゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、先ほどまでの防戦一方の苦痛など微塵もなく、主を傷つけようとした愚者への、氷のように冷たく、純粋な怒りだけが満ちていた。
「ひぃっ!? ま、待て、来るな! 私は天才だぞ! 帝国に必要な頭脳——」
「黙れ、ゴミ屑が」
セラの姿が掻き消えた。
次の瞬間、ガルドスの絶叫が地下空間に響き渡った。
セラは大剣の『峰』で、ガルドスの両手足の関節を、二度と彼が非道な実験を行えないよう、文字通り粉々に粉砕したのだ。
「あぎゃああああああッ!!」
「安心しろ。主様の慈悲により、命だけは取らん。一生、泥を啜ってその罪を悔いるがいい」
気絶したガルドスを見下ろし、セラは静かに大剣を鞘に納めた。
そして、慌てて私の元へと駆け寄り、ドサリと両膝をついて深く頭を下げた。
「申し訳ございません、リア様……ッ! 私が不甲斐ないばかりに、主様にあのような力を使わせてしまい……あまつさえ、このセラの美しい顔に傷をつけてしまうという大失態! どのような罰でも——」
「本当に、馬鹿な子ね」
私は屈み込み、セラの額から流れる血を、自分の袖で優しく拭ってあげた。
「えっ……」
「貴方が剣を止めてくれたおかげで、この子たちは助かったのよ。貴方のその傷は、力不足の証なんかじゃない。誰かを守ろうとした、とても気高く美しい傷よ」
私の指先が触れると、神の力によってセラの傷は一瞬にして塞がり、元通りの滑らかな肌へと戻った。
「リア、様……っ」
セラは目を潤ませ、まるで叱られた子供のように私の袖をギュッと握りしめた。
圧倒的な力を持つがゆえに、「守る」ことを知らなかった武神。彼女もまた、この旅を通じて少しずつ、人間の温かさや弱さを学んでいるのだろう。
「さあ、帰りましょう。カイルさんたちが、心配して待ってるわ」
私は気を失っている子供たちを、再びフワリと魔力で宙に浮かせた。
神を模倣しようとした傲慢な研究所は、こうして静かに崩壊した。
冷たい鉄屑の街の地下から、私たちは温かいスープの待つ場所へ向けて、ゆっくりと歩き出した。




