第10話「黒鉄の魔導帝国と、神を模倣する者たち」
神聖国ルミナスを出立し、東の方角へ旅を続けて数日。
見渡す限りの草原を歩き続けていた私たちの前に、突如として巨大な「鉄の道」が現れた。それは大地を一直線に切り裂くように敷かれた、二本の分厚い鋼鉄のレールだった。
「……リア様。この不格好な鉄の棒はいったい何でしょうか。主様の行く手を阻む罠だというなら、今すぐ私がこの大陸の端から端まで、一本残らず引っこ抜いて丸めて捨ててまいりますが」
「待って待って、セラ。これ、罠じゃないわ。たぶん……あれが通るための道よ」
私が指差した先。地平線の彼方から、シュッシュッという規則正しい音と、真っ黒な煙を吐き出しながら、巨大な鉄の塊が猛スピードでこちらへ向かってくるのが見えた。
「魔導列車」だ。
天界の書庫で、人間たちが最近編み出した新しい移動手段として知識にはあったが、実際に動いているのを見るのは初めてだった。
「おおぉ……!」
私は目を輝かせ、レールの脇ギリギリまで身を乗り出した。
「下がってください、リア様! あの得体の知れない鉄の塊が、万が一にも主様の御身にぶつかりでもしたら……ッ!」
「大丈夫よ、決まった道しか走らないんだから。……それにしても、すごい迫力ね!」
ゴォォォォォォッ!!
耳をつんざくような轟音と凄まじい風圧を伴って、魔導列車が私たちの目の前を通り過ぎていく。
車輪がレールを軋ませる金属音、内部の魔力炉から漏れ出す青白い光、そして窓越しに見える、乗客たちのくつろいだ表情。
「人間って、本当にすごい生き物ね……。魔法の力と鉄を組み合わせて、自分たちの足よりずっと速く、あんなにたくさんの重いものを運べるようにしちゃうんだから」
私が創った世界には、元々こんな便利なものは存在しなかった。
彼らは自らの知恵と探求心で、何もない大地に鉄の道を引き、炎と魔力で鉄の馬を走らせているのだ。
神である私からの恩恵に頼らず、自分たちの力で世界を切り拓こうとするその力強さに、私は深い感銘を受けていた。
「……あのような騒々しい鉄屑の、どこが素晴らしいというのですか」
隣で、セラが心底忌々しそうに吐き捨てるように言った。
「あんなものに乗らなくとも、私がリア様を抱き抱え、音速で空を飛べば、目的地など一瞬でございます。
騒音も出さず、風圧は私の結界で完璧に遮断し、なおかつ私の腕の極上の柔らかさと温もりを提供できるというのに……! 圧倒的に私のほうが優秀です!」
「はいはい、わかってるわよ。でも、こういう『過程』を楽しむのも旅の醍醐味じゃない。次はあれに乗ってみたいわね」
「なっ……! リ、リア様が、私ではなくあの無機質な鉄屑を選ぶとおっしゃるのですか!? おお、なんという悲劇……ッ!」
大げさに天を仰いで嘆き悲しむ過保護な剣を引っ張りながら、私たちはレールの続く先——東の果てに位置する巨大国家、「魔導帝国ゼノス」の帝都へと足を踏み入れた。
ーーー
「……これは、また極端な街ね」
帝都ゼノスの正門をくぐった瞬間、私は思わず感嘆の声を漏らした。
白と緑に彩られていたルミナスとは対極にある光景だった。
空を覆うのは、無数の煙突から吐き出される灰色の蒸気。建物のほとんどは赤茶けたレンガと黒光りする鋼鉄で造られており、街中には大小様々な歯車がむき出しで回転している。
そして何より目を引くのは、至る所に張り巡らされた魔力伝導管だ。青白く発光する液体が管の中を脈打つように流れ、街路灯や巨大な時計塔、さらには空を飛ぶ小型の運搬船にまで動力を供給していた。
「ゲホッ……リア様、口と鼻を布で覆ってください。空気が最悪です。この街の人間は、自らの肺を真っ黒に染めてまでこのようなガラクタを動かしたいのでしょうか。理解に苦しみます」
セラは嫌悪感露わに眉をひそめ、自分の外套の裾で私の口元を過保護に覆おうとする。
「平気よ、セラ。でも確かに、魔力の使い方が少し……乱暴ね」
私は街全体を覆う魔力の流れを神の眼で視界に捉え、小さく息を吐いた。
本来、魔力とは星の息吹であり、自然と調和してゆっくりと循環するべきものだ。しかしこの国では、大地から強引に魔力を吸い上げ、無理やり機械の動力源として消費している。そのせいで、街の隅々には使い古された魔力の残滓——微弱な瘴気のようなものが澱んでいた。
「おや、見ない顔だね。お嬢ちゃんたち、田舎から観光かい?」
私たちが大通りで立ち止まっていると、道の脇でガラクタを並べていた露店の青年が声をかけてきた。
煤で顔を汚したその青年は、人懐っこい笑みを浮かべている。だが、私の視線は彼の「右腕」に釘付けになった。青年の右肩から先は生身の肉体ではなく、真鍮と鋼で精巧に作られた『機械の腕』だったのだ。
指の関節一つ一つに至るまで魔力伝導管が通っており、青白い光を明滅させながら、彼が手にしたスパナを器用に回している。
「あ……ごめんなさい、ジロジロ見てしまって」
「ははっ、いいんだよ。義手を見るのが初めてかい? この帝都じゃ、工場での事故や兵役で腕や脚を失くす奴が多くてね。俺もその一人さ。でも、この『魔導義手』のおかげで、こうしてジャンク屋を営んでいられる」
青年はカイルと名乗り、誇らしげに機械の右腕を動かして見せた。
「それに、俺には養わなきゃならない『家族』がいるからな。落ち込んでる暇はないんだ」
「家族?」
私が首を傾げると、露店の奥に置かれた木箱の陰から、ひょっこりと二つの小さな顔が覗いた。
七歳くらいの男の子と、五歳くらいの女の子。二人ともカイルと同じように煤だらけの服を着ているが、その瞳はビー玉のように澄んでいて、カイルにすっかり懐いている様子だった。
「弟妹……ではないのよね?」
私が尋ねると、カイルは苦笑しながら頭を掻いた。
「わかるかい? そうさ、俺たちは血は繋がってない。スラムで親を亡くして行き倒れてたこいつらを、放っておけなくて拾っちまったんだ。俺も孤児だったからな。
……でも、今は世界で一番大切な、俺の弟と妹さ」
「にぃに! お腹すいた!」
「にぃに、今日はお肉食べられる?」
二人の子供たちがカイルの足に抱きつくと、カイルは機械の腕で優しく彼らの頭を撫でた。
「ああ、今日はたくさんガラクタが売れたからな。特大の肉を買って帰ろう」
その温かい光景に、私はまたしても胸の奥がギュッと締め付けられるような、切なくも心地よい痛みを感じた。
血の繋がりなどなくても。機械の冷たい腕であっても。
そこにある「愛」は、決して冷たいものではなく、私がこの世界に望んだ最も気高く温かい光を放っている。
「……素敵なご家族ね、カイルさん」
私が心からの微笑みを向けると、カイルは照れくさそうに頬を掻いた。
だが、その和やかな空気は、突如として響き渡った凄まじい爆発音によって引き裂かれた。
ズドォォォォンッ!!
大通りの奥、黒煙を上げていた巨大な工場の一つから、炎の柱が立ち昇った。
「きゃあああっ!」
「な、なんだ!? 爆発か!?」
街ゆく人々が悲鳴を上げて逃げ惑う中、炎に包まれた工場の壁を突き破り、「それ」が姿を現した。
「ギィィ……ガァァァァッ!!」
それは、体長五メートルはあろうかという、鋼鉄の装甲で覆われた巨大な『機械兵』だった。
本来なら人間の命令で動くはずの魔導兵器だが、その様子は明らかにおかしい。両眼のレンズは狂ったように赤く点滅し、全身の隙間からは異常なまでの高熱と、ルミナスで見たあの「ドス黒い瘴気」が噴き出しているのだ。
「あれは……帝国の新型魔導兵か!? なぜ暴走してるんだ!」
カイルが子供たちを背中に庇いながら叫ぶ。
暴走した機械兵は、手当たり次第に周囲の建物を破壊し、その巨大な鉄の腕を振り回しながら、一直線に私たちがいる大通りへと突進してきた。
「リア様」
セラが一歩前に出て、私の盾になるように立ち塞がる。その背中の大剣が、主の意思に呼応するように微かな共鳴音を立てた。
「お下がりください。あのような鉄屑、私が一瞬でスクラップにしてご覧に入れます」
「待って、セラ。……あれを見て」
私の眼は、暴走する機械兵の分厚い鋼鉄の装甲を透かし、その内部——動力炉の奥深くにある「核」をはっきりと捉えていた。
そこには、青白く輝く『創世の欠片』が埋め込まれていたのだ。
欠片は偶然機械に寄生したわけではない。明らかに、何者かの手によって「意図的」に、複雑な魔法陣の描かれた制御装置の中に組み込まれていたのだ。
(誰かが……神の力である『欠片』を解析し、兵器の動力源として利用しようとしている?)
これまでは、欠片に魅入られた欲望の犠牲者たちだった。
しかし、この魔導帝国には、神の力を己の支配下に置き、新たな理を創り出そうとする「明確な悪意」が存在している。
「ガァァァァッ!!」
機械兵が、逃げ遅れたカイルと子供たちに向けて、家屋をも粉砕する巨大な鉄の拳を振り下ろした。
「しまっ……! 逃げろお前らッ!」
カイルが絶望的な顔で子供たちに覆い被さる。
「……行きなさい、セラ」
私が静かに、しかし絶対の命令として声を落とした瞬間。
「——塵芥が。我が主の御前で、その不快な駆動音を響かせるな」
カガァァァァァンッッ!!!!
轟音。
カイルたちが潰される寸前、彼らの頭上に割り込んだセラが、鞘に入ったままの大剣の『柄』だけで、機械兵の巨大な拳を下からカチ上げていた。
数十トンの質量を持つ鋼鉄の拳が、細身の少女のたった一撃で、飴細工のようにグシャグシャにひしゃげて天に向かって跳ね返される。
「ギ……!?」
機械兵がバランスを崩し、その赤いレンズの瞳が驚愕に見開かれたように見えた。
「リア様が、お前の心臓をご覧になりたいそうだ」
セラが、冷酷無比な氷の笑みを浮かべる。
次の瞬間、彼女の姿が掻き消え、銀の閃光が暴走する機械兵の巨大な胴体に十文字の軌跡を描いた。
ズガガガガガガッ!!
分厚い鋼鉄の装甲が、まるで豆腐を切るように音もなく切断され、巨大な機械兵は「ガ……ピィ……」という電子音を残し、四つの鉄塊となって大通りに崩れ落ちた。
周囲にいた人々は、あまりの出来事に声すら出せず、呆然と目の前の光景を見つめている。
私は静かに歩み寄り、切断された動力炉の中から転がり落ちた、青白い光を放つ『創世の欠片』を拾い上げた。
「……やはり、人工的に加工された痕跡があるわ」
石の表面には、微細なルーン文字が刻み込まれていた。神の力を無理やり抽出し、機械の動力へと変換するための術式だ。こんな恐ろしい真似を誰が企てているのか。
「お、おい……あんたたち、一体何者なんだ……?」
腰を抜かしたカイルが、震える声で尋ねてきた。
「ただの、訳ありの旅人よ」
私は欠片を体内に吸収し、カイルに向けていつものように微笑んだ。
「でも、この街の『裏側』には、少し興味が湧いてきたわ。神様の力を勝手に借りて、子供たちを危険な目に遭わせるような悪い人たちには、相応の責任をとってもらわないとね」
黒煙が空を覆う魔導帝国ゼノス。
人間の知恵と家族の愛が息づくこの街の地下深くで、神を模倣しようとする者たちの狂気が、静かに私たちを待ち受けていた。




