第5話 門番とポーションと、現実の街
草原を抜け、ようやく街の入口にたどり着いた俺は、思わず安堵のため息をついた。
「やっと……着いた」
目の前には、立派な石造りの城壁と、大きな木製の門。門の両脇には、鎧を着た屈強な男たちが槍を持って立っている。
「あれが門番か……」
俺は緊張しながら門に近づいた。すると、右側の門番が俺を見て、手を上げて制止した。
「待て。身分証を見せろ」
「え、あ、はい……」
身分証。そんなものあるわけがない。俺は異世界に来たばかりなんだから。
「あの……身分証、持ってないんです」
「持ってない? じゃあ、お前、どこから来た?」
「それが……えっと……」
どう説明すればいいんだ。異世界から来ましたなんて言ったら、頭おかしい奴だと思われる。
焦る俺を見て、門番は少し表情を和らげた。
「まあ落ち着け。旅人か? 商人か?」
「あ、商人……みたいなものです!」
咄嗟に、俺はポケットじゃなくて、腰のベルトに引っかけていたEランクポーションを取り出した。
「これ、売りに来たんです」
門番は瓶を受け取り、じっくりと眺めた。そして目を見開いた。
「これ……ポーションじゃないか。しかも、透明度が高い。品質が良さそうだな」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。こんな綺麗なポーション、最近じゃ珍しい。お前、どこで仕入れた?」
「え、えっと……自分で作りました」
門番の目がさらに大きく開いた。
「作った? お前、ポーション職人なのか?」
「まあ……そんなところです」
門番は少し考え込んでから、俺にポーションを返した。
「なら、商業ギルドに行け。そこで登録すれば、身分証も発行してもらえる。それがあれば自由に出入りできるようになる」
「商業ギルド……」
「ああ。街の中央にある大きな建物だ。すぐわかる。受付で"新規登録"って言えば対応してくれるはずだ」
「ありがとうございます!」
俺は頭を下げた。門番は少し照れたように頭を掻いた。
「まあ、気をつけてな。ポーション職人なら、需要はあるから仕事には困らないだろうが……悪い奴に目をつけられないようにな」
「はい、気をつけます」
親切だ。テンプレ的な門番って、もっと無愛想なイメージだったけど、この人は本当にいい人だ。
ふと、俺は昔プレイしたRPGを思い出した。
「そういえば、RPGの門番って、いつも同じセリフしか言わないですよね」
「……は?」
門番が怪訝そうな顔をした。
「だから、ほら。『ここは○○の街だ』とか、『通行証を見せろ』とか、何回話しかけても同じこと言うじゃないですか」
「……お前、何言ってんだ?」
門番は本気で困惑した表情を浮かべた。
「いや、だから……RPG……ゲーム……」
「ゲーム? 遊びの話か? いや、俺は真面目に仕事してるんだが」
「あ……」
俺は凍りついた。
そうだ。ここは、ゲームじゃない。現実なんだ。
門番は、ちゃんと生きている人間で、感情も意思もある。当たり前だ。
「す、すみません……疲れてて、変なこと言いました」
「……まあ、気をつけろよ。本当に」
門番は呆れたように首を振り、門を開けてくれた。
「ありがとうございます……」
俺は恥ずかしさで顔を赤らめながら、門をくぐった。
——そうだ。ここは、異世界。でも、現実なんだ。
街の中に入ると、一気に賑やかな音が耳に飛び込んできた。
「りんご〜、新鮮なりんご〜!」
「鍛冶屋だよ! 剣も斧も磨くよ!」
露店が並び、商人たちが声を張り上げている。人々が行き交い、子どもたちが笑いながら走り回っている。
そして——俺は目を疑った。
「獣人……?」
犬の耳と尻尾を持つ男性が、荷物を運んでいる。その隣には、猫のような耳を持つ女性が野菜を売っていた。
「マジで、ファンタジー世界だ……」
感動と驚きで、俺は立ち尽くした。
「おい、邪魔だぞ」
「あ、すみません!」
後ろから声をかけられ、俺は慌てて道の端に寄った。
「とにかく、商業ギルドだ……」
俺は門番に教えられた通り、街の中央に向かって歩き始めた。石畳の道、木造と石造りの建物、旗が揺れる広場——全てが新鮮で、心が躍る。
やがて、目の前に大きな建物が現れた。
三階建ての立派な石造りで、入口には『商業ギルド』と大きな看板が掲げられている。
「ここか……」
俺は深呼吸をして、扉を開けた。
中は広々としていて、カウンターがいくつも並んでいる。奥にはテーブルと椅子があり、何人かの商人らしき人々が談笑していた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうから、柔らかい声が聞こえた。
顔を上げると——そこには、美しい女性が立っていた。
金色の髪を後ろで結び、青い瞳が優しく俺を見つめている。白いブラウスに紺色のベスト、清潔感のある制服姿だ。
「ようこそ、商業ギルドへ。ご用件をお伺いします」
「あ、えっと……新規登録、したいんですが」
「新規登録ですね。承知しました。こちらへどうぞ」
受付嬢は笑顔で、俺を奥のカウンターへと案内した。
「では、まずお名前からお聞かせいただけますか?」
「田中陽斗です」
「タナカ……ヒナト様ですね。珍しいお名前ですね」
「あ、はい……」
受付嬢はペンを取り、書類に何かを記入し始めた。
「それから、ご職業は?」
「ポーション職人……です」
瞬間、受付嬢の手が止まった。
「……ポーション、職人?」
「はい」
彼女は驚いたように、俺の顔を見つめた。
「本当に……ですか?」
「本当です」
俺はベルトからポーションを取り出し、カウンターに置いた。
受付嬢は瓶を手に取り、じっくりと観察した。そして顔を輝かせた。
「これは……素晴らしい品質です。ヒナト様、もしよろしければ、詳しくお話を伺ってもよろしいでしょうか」
「はい、もちろん」
俺の異世界生活が、ここから本格的に始まろうとしていた。




