第29話 歌姫 その5
あけましておめでとうございます。
この物語を見守ってくださり、ありがとうございます。
新しい年も、彼らが選び、迷い、前へ進む姿を大切に描いていきます。
今年もどうぞ、よろしくお願いします。
部屋の中は、昨日より少しだけ明るかった。カーテンが少し開けられていて、柔らかな朝の光が差し込んでいる。
「……おはよう」
カナリアが、ベッドの端に座っていた。
昨日とは違う。毛布にくるまってはいない。顔も、少しだけ血色が戻っている。
「おはようございます」
俺は静かに挨拶した。カナリアが、小さく頷く。
「昨日の、お茶……すごく美味しかった」
「それは良かった。今日も持ってきました」
俺は荷物から蜂蜜茶のポットを取り出した。その時――
「ぷるぷる〜?」
ハクが、俺のバッグから顔を出した。
カナリアの目が、大きく見開かれる。
「……え? それ……」
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまいましたか?」
俺は慌てて謝った。でも、カナリアの表情は――驚きというより、興味に満ちていた。
「可愛い……何、その子?」
「ハクっていいます。俺の……まあ、相棒みたいなものです」
「ぷる〜!」
ハクが元気よく鳴いた。カナリアの唇が、わずかに緩む。
「……触ってもいい?」
「もちろん。ハク、いいか?」
「いいよ〜! ぷるぷる〜!」
ハクが俺の肩から飛び降りて、カナリアの膝に乗った。
カナリアが、恐る恐る手を伸ばす。その指がハクの頭に触れた瞬間――
「……ぷるぷるしてる。ひんやりしてて……気持ちいい」
カナリアの顔が、ほんの少しだけ綻んだ。
「不思議な感触……」
彼女がハクを優しく撫でる。ハクは気持ちよさそうに目を細めて、小さく鳴いた。
「きもちいい〜……ぷる〜……」
「可愛い……本当に、可愛い……」
カナリアの声が、震えていた。でも、それは悲しみの震えじゃない。何かが――彼女の心の中で、少しずつ溶け始めている。
「ハクは、人の心を感じ取るんです」
俺は静かに言った。
「だから、あなたに会いたがったんだと思います」
「……私に?」
「ええ。ハクは、優しい人が好きなんです」
カナリアが、ハクをじっと見つめる。そして――涙が一粒、ハクの頭に落ちた。
「……ごめんね。濡らしちゃった」
「ぷる?」
ハクが、カナリアの手をぺろりと舐めた。まるで、「大丈夫だよ」と言っているみたいに。
カナリアが、小さく笑った。
「……ありがとう、ハク」
「だいじょうぶ〜! ぷるぷる〜!」
ハクが嬉しそうに体を震わせる。その姿を見て、俺の胸が温かくなった。
「カナリアさん」
「……はい」
「もし良かったら、今日は少しだけ……喉の状態を診させてもらえませんか?」
カナリアの表情が、わずかに曇る。
「……診る、って?」
「触診と、簡単な検査です。痛いことは何もしません」
「でも……」
彼女が俯く。ハクを抱きしめるように、両手で包み込んだ。
「もし……本当に治らなかったら、どうしよう……」
その声は、恐怖に満ちていた。
「検査して、『もう治らない』って言われたら……私、どうすればいいの……?」
「カナリアさん」
俺は、ゆっくりと彼女の隣に座った。
「俺は、『治らない』なんて言いません」
「……でも」
「確かに、すぐには治らないかもしれない。時間がかかるかもしれない。でも……」
俺は彼女の目を真っ直ぐに見た。
「諦めることだけは、絶対にしません」
カナリアが、じっと俺を見つめる。その目には、恐怖と――ほんの少しだけ、希望が混ざり合っていた。
「……本当に?」
「本当です」
「どうして……そこまで、してくれるの?」
彼女の声が震える。
「私、あなたのこと何も知らないのに……あなたも、私のこと知らないのに……」
俺は、少し考えてから答えた。
「知らないから、できることがあるんです」
「……え?」
「あなたのファンなら、『また素晴らしい歌を聴きたい』って思うでしょう。プロデューサーなら、『早く復帰してほしい』と焦るでしょう。でも、俺は……」
俺は窓の外を見た。
「ただ、一人の人間として――苦しんでいる人を助けたいだけです」
カナリアが、何も言わずにハクを撫でている。
「ぷるぷる〜……」
ハクが、彼女の手に頬を擦りつける。
「それに……」
俺は続けた。
「あなたを心配している人がいるんです。マネージャーさんも、街の人たちも。だから、俺はその人たちのためにも、できることをしたい」
しばらく、沈黙が続いた。
ハクの小さな鼻息だけが、静かな部屋に響く。
やがてカナリアが、小さく頷いた。
「……わかった。診て、ください」
「ありがとうございます」




