第23話 父親の治療
「――きょうも、みてる〜ぷるぷる〜」
朝、宿を出る前にハクが小さく震えた。俺の肩の上で、ぷるぷると不安そうに揺れている。
「また……か」
「どうする?」
クロエが警戒するように周囲を見回す。
「とりあえず、いつもと違う道を通ろう。ハク、匂いとか……わかる?」
「おなじ かわあぶら〜ぷるぷる〜」
「革油……?」
「昨日と同じ匂いってことか」
「わかった。じゃあ、進路を一本ズラそう。裏通りから行く」
ギルドに着くと、リーナがいつもの受付にいた。でも、その顔には昨日よりも深い疲労の色が見える。
「おはようございます、リーナさん」
「あ、ヒナトさん……おはようございます」
彼女の声は、少しかすれていた。
「お父さんの容体は?」
「……あまり良くなくて。昨夜も熱が出て……」
「急いだ方が良いですね。治療は、今夜の方が良いですか?今から? 」
「え……でも、それは……」
「お代はいつも通りで大丈夫です。ただ、早く良くなってほしいんです」
リーナが、一瞬言葉に詰まる。そして、小さく頷いた。
「……ありがとうございます。今夜、お願いします」
「はい。それと……もう一つ相談があるんですが」
「はい?」
「昨日から、誰かに尾行されているような気がして」
リーナの表情が引き締まる。
「……それは、ギルド長と班長に相談したほうがいいですね。少しお待ちください」
数分後、俺は小さな応接室に通された。そこには、ギルド長とダリウス班長がいた。
「尾行の件、聞いたぞ」
ダリウスが腕を組みながら言う。
「はい。ハクの気配察知スキルで、昨日と今日、同じ匂いを感じたそうです」
「革油の匂い、か。傭兵か盗賊の可能性もあるな」
「すぐにできる対策は?」
「時間と動線を変えろ。外套を着て目立たないようにする。できれば誰かと一緒に行動しろ。それと、裏口ルートを覚えておけ」
「わかりました」
「何かあったら、すぐにギルドに連絡しろ。俺たちが動く」
「ありがとうございます」
受付に戻ると、リーナが別の書類を用意していた。
「あと、工房付きの家を探してるんですが……」
「工房付き……ですか?」
「はい。ポーション制作のための場所が欲しくて」
「少しお待ちください」
リーナが奥の部屋に入り、数分後に戻ってきた。手には紹介状が2枚。
夜。俺たちはリーナの仕事終わりを待って、一緒に自宅へ向かった。
「ただいま」
扉が開く。寝台には中年の男性——リーナの父。
「すみません……わざわざ……」
「いえ、気になさらず」
傷は深い。腫れも強い。動かせば裂けるタイプだ。
「まず前処置を。リーナさん、温かい蜂蜜水と清潔な布を二枚、お願いできますか?」
「はい、すぐに!」
足音が遠ざかる——合図だ。
ハクがそっと【防音膜】。耳がふっと詰まる。
俺はEラベルの空瓶を出し、アイテムボックスからA級を抜き、静かに注ぎ替える。
ハクが瓶口の残り香をE寄りに整える。【素材分離】の細技。
クロエは廊下の気配を監視。リーシャは淡い光で手元を覆い、視線を散らす。
「お待たせしました。蜂蜜水と布です」
「ありがとうございます。では、始めます。……リーシャ、お願いします」
「はい。【光浄】」
清潔な光が患部と器具を包む。
「特調Eを、少しずつ」
俺はE瓶から父の口へ一口。嚥下、呼吸、問題なし。数拍置いて二口目。
直後にリーシャが【微治癒】を重ねる。
「……痛みが、引いていく……」
驚きの声。呼吸が整い、顔色が戻る。
腫れが目に見えて退く。肩の可動域もわずかに復帰。
「これは……すごい……」
リーナが、潤んだ瞳できゅっと布を握る。
「前処置とポーション、そこに軽い回復魔法。相性が良かったのかもしれません」
俺は淡々と解釈を置く。
「……ありがとうございます。お代は……」
「200シルバーで大丈夫です」
「いえ、それでは……」
父が上体を起こそうとする。声に矜持が宿る。
「私は、施しは受けたくない。正当な対価を払わせてください」
「……相場が正義です。今日は家でできる最善をしただけです」
硬貨の音。200シルバー、受け取る。矜持を尊重する。それが誠実だ。
「今夜は無理をしないこと、保温、清潔な布の交換を。痛みが戻るようなら蜂蜜水をひと口。経過を明朝教えてください」
「はい……必ず」
ハクが防音をほどき、外音が戻る。
俺たちは静かに一礼して、夜気の路地へ出た。胸の奥に、やるべきことはやったという手応えだけを残して。
帰路。夜の街路を歩いていると――
「さっきと おなじ におい〜ぷるぷる〜」
「また……!?」
俺は振り返る。
でも、そこには誰もいない。ただ、屋根の影が揺れた気がした。
無音の足取り。鉄鋲の靴音。革油の匂い。
「気持ち悪い……急ごう」
俺たちは足早に宿へと向かった。胸の奥に、冷たい棘が刺さったまま。
明日は、内見と経過報告。そして、対策の継続。
誰が、何のために、俺たちを見ているのか。
その答えは、まだ闇の中にあった。




