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異世界短編

心の声が聞こえる国王、心の声が聞こえる令嬢に出会う。

作者: sasasa



「国王陛下! 今宵こそは王妃となる者をお選びくださいませ」


「ああ、善処する」


 深々と頭を下げる宰相を前に、国王セドリックは表情を動かすことなく淡々と答えた。


「どうか陛下の御代をお支えする聡明な王妃様をお迎えください。私はお父上を亡くされたばかりの陛下が心配なのです。陛下の御心に寄り添ってくださるような、お美しい運命の令嬢がきっといるはずでございます」


 神妙な面持ちの宰相はセドリックを案じているように見える。


 しかし、その心の内は真っ黒だった。


(なんとしても我が娘アリアナを王妃にしてみせる! そしてこの若造を意のままに操り、王国を乗っ取るのだ! 私がこの国の頂点に立つ日も近い、ガハハハ!)


「……気遣いに感謝する。気に入った令嬢がいれば、そなたに相談しよう」


 他人の心の声が聞こえるセドリックは、宰相の腹黒い算段に気づいていながらも彼を労うフリをした。


「ありがたきお言葉にございます。では、私は先に夜会会場へ行っております」


 ニンマリと笑った宰相は満足げに下がっていった。


「はぁ……。疲れるな」


 父王の急逝により若くして王位を継いだセドリックには、伴侶がいない。


 そのためここのところ毎日のように、王妃候補を見繕う夜会が開かれていた。


 他人の心の声が聞こえるセドリックにとって、多くの人が集まる夜会は苦痛でしかない。


 特に夜会に出るような者達は思惑やら悪意やらを垂れ流しにする輩が多く、連日続く拷問のような時間だ。


 しかし、国王として王妃を娶ることは重要な公務である。


 欠席するわけにもいかず、深く呼吸したセドリックは気を引き締めて立ち上がった。


「行くか。今日こそ見つかるといいのだが……少しはマシな心根の令嬢が」


 この時のセドリックはまだ知る由もなかった。


 扉を開けたその先に、運命の相手がいることを。





 今日も変わりなく、夜会の場はギラついていた。


(来たわ! 国王陛下よ! なんてカッコいいの! 絶対に彼のハートを射止めてやるんだから!)


(ふん。つい最近まで引きこもりだった世間知らずの王子風情が偉そうに。あんな若造に国王が務まるものか)


(王妃の座を手に入れるのは、この私よ。私の魅力であの男を手玉に取ってやるわ)


 会場に入った途端に聞こえてくる大量の心の声に、セドリックは酔いそうになる。


 だからといって不調を悟られるわけにもいかず、澄ました顔で輝く金髪を揺らしながら必死に人混みの中を歩いた。


 だが、やはり苦手なものは苦手だ。


(人混みは嫌いだ。頭がクラクラする……)

(人混みは嫌いだわ。頭がクラクラするもの……)


 心の中で呟いたセドリックは、自分と全く同じタイミグで同じことを考えている心の声を聞き取った。


(ん? 同じことを考えている者がいるな)

(あら? 同じことを考えている人がいるわ)


 また思考が重なる。


(ちょっと待て……)

(ちょっと待って……)


 珍しいこともあるものだと足を止めたセドリックはハッとする。



((〝同じことを()()()()()〟……!?))



 完全一致した思考に驚いたセドリックは、慌てて会場中を見回した。


 そして会場の端で同じく驚愕の表情でこちらを見ている、一人の黒髪の令嬢に目を留めた。


((まさか……!))


 再び心の声が重なる。


 二人は目を見開いて見つめ合いながら、同時に心の中で呟いた。


(俺以外に……)

(私以外に……)


((心の声が聞こえる人間がいるなんて!?))


 互いにハッキリと心の声が聞こえた二人は、互いの顔から目を離すことができなかった。


(ほ、本当に心の声が聞こえているのか?)


 半信半疑の中、心の中で問いかけるセドリック。


(はい。ハッキリと、聞こえております……)


 驚きを隠せない表情で答える令嬢。


「「……!」」


 まるで示し合わせたように同時に動き出した二人は、一直線に互いに歩み寄り、広間の中央で向かい合った。


「えっと……ご挨拶申し上げます、国王陛下。私はレノア伯爵の娘、マリーと申します」


「マリー嬢。……見ない顔だな。夜会は初めてか?」

(どこかで出会っているのなら、気づかないはずがない)


「はい。普段は家にこもっておりますので……」

(他人の心の声が聞こえるのが煩わしくて、いつも夜会には出ていなかったから……)


「そうか」

(気持ちは痛いほど分かる)


 信じられない思いで、二人は互いを見つめた。


(やっぱり陛下も心の声が聞こえておりますの?)


(ああ、君もなんだな? こんな奇跡があるのか……?)


(私も驚いております)


 挨拶のあと無言で見つめ合う二人に、周囲は訝しげな視線を向けはじめた。


「陛下といるあのご令嬢、初めて見たわ。滅多に人前に姿を現さない、レノア伯爵令嬢ね?」


「ほう、なかなか美しい令嬢じゃないか」


「それにしても見つめ合ったまま黙り込んで、どうされたのかしら?」


 周囲の声が聞こえて我に返ったセドリックは、咳払いをしてマリーの前に手を差し出す。


「よければ、ダンスの相手を」


「……光栄にございます」


 二人はそのままダンスフロアの真ん中で踊り始めた。


(君はいつからこの力を?)


(生まれた時からです)


(俺も同じだ)


(では、王子時代に王宮に引きこもっておられたのは……)


(君と全く同じ理由だ)


 ダンスを踊りながら、二人は心の中で会話を繰り広げる。


(陛下のお立場では、さぞやご苦労をされたことでしょう。他人の仄暗い思考が聞こえて良いことなど、一つもありませんもの)


(同感だ。他人の悪意に振り回されて気が狂いそうになったのも、一度や二度ではない)


(分かりますわ……! 何度この力を恨んだことか!)


(分かってくれるか……!)


(二人とも閉じこもっていたから、これまで出会えなかったのですわね)


(そういうことだな。君が今日の夜会に出席していなければ、同じ境遇の相手がいると知ることはなかったかもしれない)


 長い黒髪を靡かせながら、マリーは美しい微笑みを浮かべた。


(まさかこの世界に、同じ悩みを抱える方がいるなんて思ってもみませんでした)


(俺もだ。この苦しみを分かってくれる者がいるなんて、夢にも思ってなかった)


 出会って五分も経たず意気投合した二人は、互いから目を離せなかった。


 無言で見つめ合いながら踊る二人に、周囲は好奇と嫉妬の目を向けている。


(普段踊らない陛下がダンスを……。伴侶を決められたのか?)


(あの女のどこがいいのかしら? 私のほうがずっと魅力的だわ!)


(滅多に姿を見せない伯爵令嬢、病弱と聞いていたがいい女だ。あの艶やかな黒髪がたまらんなぁ。スタイルも良いではないか。特にあの腰のラインが……)


(あらあら、会話が弾んでないわねぇ。一度ダンスしたら終わりでしょ。次のダンスはこの私が……)


(────お姉様のくせにっ!)


 二人に浴びせられる心の声の中から一際不穏な声を聞き取ったセドリックは、マリーに向けてそっと呟く。


「……どうやら君は、問題を抱えているようだな」


 セドリックがチラリと目を向けた先にいるのは、どす黒い心の声を出しているマリーの腹違いの妹、ダーナだった。


(なんでお姉様のくせに、陛下と踊っているの!? 私を差し置いて! 絶対に許せない! 引きこもりの役立たずで、伯爵家の面汚しの分際で! 帰ったらお母様に言いつけて身の程を分からせてやるわ!)


 ダーナの罵声が日常であるマリーは苦笑を漏らし、囁き返した。


「……陛下も、いろいろと大変そうですわね」


 マリーの視線の先には宰相が。


(国王め! まさかよりにもよって我が家門より格下のレノア伯爵家の娘を選ぶとは……! これまで散々尽くしてやったというのに、恩知らずにも程があるだろう! 王妃は私の娘だ! なんとしても阻止してやる!)


 目を合わせたセドリックとマリーは、同時に微笑んだ。


(滑稽だな)

(滑稽ですわね)


((自分の思惑が筒抜けとも知らずに喚いているなんて))


 ダンスが終わり音楽が止んでも、二人は手を離さなかった。


「その……できればもっと君と話がしたい。少し抜け出さないか?」

(もっとこの気苦労を分かち合いたい!)


「えぇ、私でよろしければ」

(私もです!)


 手を取り合った二人は夜会の騒めきから逃げるように、星が煌めく夜空の下へと抜け出した。



 美しく整えられた王宮の庭園。


 噴水の前のベンチに座る二人は、それはそれは無言で盛り上がっていた。


(じゃあ、友人はいるか?)


(もちろんいませんわ!)


(家族との関係は?)


(最悪です!)


(信頼できる者は?)


(皆無です!)


(心休まる時間は?)


(一人の時間と、裏表のない動物と過ごす時間ですわね)


(ああ、どうすればいいんだ。……何もかも完全に俺と一緒だ!)


(まあ、やっぱり!)


 嬉しくて仕方ない二人は、自然と手を握り合う。


(動物は飼っているか? 俺は愛馬と過ごす時間が何よりの癒しなんだ)


(私はこの世の何よりも愛おしい愛犬がおります)


(犬か、それはさぞ愛らしいんだろうな!)


(馬も凛々しくて素敵ですわ!)


(今度会わせてもらっても?)


(ええ、ぜひ! 私も陛下の愛馬にお会いしたいです!)


(もちろん招待しよう!)


(嬉しいわ!)


(なんて楽しいんだ……!)

(なんて楽しいの……!)


 まさに運命。


 これまで誰にも打ち明けられなかった悩みを曝け出し、すっかり意気投合した二人は心ゆくまで心の会話を楽しんだ。


 その裏で、二人からは見えない位置にいる王宮の護衛達は困惑していた。


(なんだ? ずっと黙り込んで何をやってるんだ?)


(二人で夜会を抜けてきたかと思ったら、さっきから一言も話してないぞ)


 心の声が聞こえない彼らには、心の中で会話する二人がずっと無言で手を取り合っているようにしか見えない。


 それは端から見ると、あまりにも不可解な行動で首を傾げるばかりだった。


(なんで二人ともずっと黙ってるんだ? あとで宰相に報告しなきゃいけないってのに)


 その中から聞こえた一部のよからぬ思考に、マリーはセドリックを見上げる。


(宰相に見張られていますの?)


 セドリックは肩をすくめた。


(ああ。自分の娘を王妃にしてこの国を乗っ取ろうとしているようだな)


(身の程知らずですわね)


(そういう君も、面倒な相手に付き纏われているじゃないか)


 セドリックは生垣の向こうから聞こえてくる心の声のほうを見やった。


(お姉様と陛下はどこに行ったのよ!? お姉様が幸せになるなんて許せない! 絶対に邪魔してやるんだから!)


 意地の悪そうな心の声に、セドリックは呆れた目をする。


(あれは君の妹か? 随分と仲が悪そうだな)


(腹違いなものですから。私の母はすでに他界しておりますので、父の後妻となった継母と妹が我が家で幅を利かせておりますの)


(つまり、君は虐げられてきたということか?)


(大したことはされておりません。罵倒されたり、粗末なドレスや食事を与えられるくらいですわ。どれも幼稚な嫌がらせです。相手にするのも馬鹿らしくて、普段は大人しく部屋に閉じこもって過ごしております)


(なのに今日はなぜ夜会に来たんだ?)


(父の命令ですわ。国中の令嬢が王妃候補に名乗り出ようと躍起になっておりますもの。穀潰しのお前でも着飾ったらそれなりなのだから、ダメ元で陛下の気を引いてこいと言われて引き摺り出されました)


(その言い分は気に入らないが、レノア伯爵には感謝しなければ。おかげで君とこうして出会えたのだから)


 握っていたマリーの手を持ち上げたセドリックは、その手の甲にそっと口付けを落とした。


(まあ、陛下……!)


 黒髪がよく映えるマリーの白い肌が薔薇色に紅潮する。


 セドリックは聞き耳を立てている護衛や、近くにいるであろうマリーの妹にも聞こえるように声に出してハッキリと言った。


「マリー。一目見た時から君に心を奪われた。どうか私と結婚してくれないか」


「!?」


 息を呑んだのはマリーだけでなく、セドリックの声を聞いた護衛やダーナもだった。


(おいおい、嘘だろ!?)


(ずっと会話もなく黙りこくってたくせに、いきなりプロポーズだと!?)


(宰相になんと報告すればいいんだ!? 怒り狂うのが目に見えている!)


(お姉様が……陛下と結婚するですって!? そんなの、そんなの……!! ムキーーーーーー!!)


 ハラハラしている周囲などお構いなしに、セドリックはマリーを見た。


「どうかこの気持ちに応えてほしい」


 至近距離のセドリックに、マリーはますます顔を赤くする。


(整った顔でそんなことを言われてしまうと、ドキドキしてしまうわ……!)


(トキメいてくれているところ悪いが、正直に言うと愛だの恋だのとロマンチックなことを言うつもりはない。ただ、この先君以上の相手が現れるとは思えない。一緒にいてこんなに気楽な相手は、世界中を探しても君だけだ)


 セドリックの心の声に、マリーの顔から熱が一気に引いた。


(あら、ちゃんと本音を教えてくださいますのね……)


(どうせ筒抜けだからな。君にとっても悪い提案ではないだろう?)


(はい。隠せないことは分かりきっていますので白状しますが、陛下の求婚はとても魅力的です。私も窮屈な伯爵家を出たいですし、私を虐げる継母や妹の鼻を明かすまたとない機会ですもの)


(じゃあ……!)


(ですが、王妃は重い責任を伴う立場です。すぐにお答えはできませんわ。考える時間をいただきたいです)


(……仕方ないな)


「返事は急がなくていい。ゆっくり考えてくれ」


 にこりと微笑みながら声に出してそう告げたセドリックに、マリーもまた柔和な笑みを浮かべた。


「はい、陛下」



 国王がレノア伯爵家の長女マリーに求婚した話は、あっという間に王都を駆け巡った。


「よくやったぞ、マリー! 陛下の心を射止めるとは、さすがは我が娘! お前は母親に似てお淑やかで美しい自慢の娘だと前々から思っていたのだ!」

(まさか出来損ないだと思っていた娘が国王に見初められようとは! ダメ元で夜会に連れて行ってよかった!)


 父であるレノア伯爵から声をかけられたマリーは、その裏にある本心を嘲笑いながら淑女の笑みを浮かべた。


「お父様が夜会に連れ出してくださったおかげです。ですが、まだ陛下に正式なお返事はしておりませんの」


「なに!? なぜ王妃になると即答しなかったんだ? こんな機会はまたとないぞ!? 今すぐ正式な返事を……」

(国王の気が変わる前になんとしても話をまとめなければ!)


 隠しきれていない父の鼻息の荒さにマリーの笑顔がピクつく中、話に割り入ってきたのは継母だった。


「まあまあ、あなた。そんなに急がなくても、マリーの心の準備ができるのを待つべきですわ」

(チッ。国王の目は腐っているの!? なぜ私の娘ではなく、この憎らしい女が国王から求婚されるのよ!?)


 表面上は穏やかな顔をしているが、内心では怒り狂っている継母にもマリーは笑顔を向けた。


「お母様、お気遣いいただきありがとうございます。陛下もそうおっしゃってくださいましたわ。そこでご相談なのですが、親交を深めるため、三日後に陛下が我が家に訪問したいとのことですの」


「なんですって!?」


「それは本当か、マリー!」


「はい。陛下も私と同じく動物がお好きなようで、私の愛犬の話をしたらぜひ会いたいと」


「ほう、それはそれは結構ではないか! 犬なんぞ飼って無駄なことをと思っていたが、まさかお前の趣味が役に立つとは!」


 喜ぶ父の隣で、継母も表面上はにこやかだった。


「陛下をお迎えするなら、急いで準備を整えなくてはいけませんわね」

(犬ですって? 犬なんぞのせいで私のダーナを差し置いてこの女が国王の目に留まったというの!?)


「そうだな。失礼のないようにお迎えせねば」

(その場で求婚の返事をすれば、私は王妃の父親だ……!)


「マリー、陛下をお迎えする準備は全て私に任せてちょうだい。衣装も含めて、私が準備して差し上げますからね」

(この娘を陥れて、ダーナを王妃にさせてみせるわ!)


「…………はい、お母様。よろしくお願いいたします」


 父と継母の醜い本心を聞きながら、マリーは優雅に微笑んだ。





「マリー、招いてくれて感謝する」


「陛下、よくぞお越しくださいました」


 約束通りレノア伯爵家を訪れたセドリックは、挨拶もそこそこにマリーの部屋へ入る。


「もてなしに感謝する」

(はー! やっと気楽になった。ここに来るまで、欲望と嫉妬の声が凄まじかった)


「こちらこそ、ご足労いただき感謝申し上げます」

(鼻息の荒い父と、嫉妬に狂う継母と妹の声には辟易しますわよね)


 互いに顔を見合わせて頷き合ったところで、セドリックは待ちきれないとばかりに犬用サークルに目を向けた。


「そこにいるのが君の愛犬か?」


「はい。ダックスフンドのマクスミルラナードです!」


「わん!」

(ご主人さま! あれ誰!? ともだち!? 新しいともだち!? 遊んでいい??)


 元気いっぱいのマクスミルラナードは、尻尾を振りながら短い前脚を柵にかけてセドリックを見上げている。


「撫でてやってくださいますか?」


「ああ」


 マリーがサークルから出してやると、一目散にセドリックのもとに走ってくるマクスミルラナード。


 跪いてマクスミルラナードの鼻先に手を差し出したセドリックは、自分の匂いを嗅がせてから艶やかな毛並みを撫でた。


「きゃうん!」

(ご主人さまのともだち! ともだち! 気持ちいい! いい人! ボクこの人好き!)


((か、かわいい……!))


 犬の心の声も聞こえるセドリックとマリーは、同時に顔を蕩けさせる。


「よろしければ芸をお見せしますわ」


「本当か?」


「はい。どうぞご覧くださいませ」


 自信満々のマリーはマクスミルラナードの前に立つ。


「マクスミルラナード、おすわり」


「わん!」

(ご主人さま! おすわりだね! おすわり、これ!!)


 見事におすわりをしたマクスミルラナードは、舌を出しながら得意げにマリーを見上げた。


「お手、おかわり」


「わん!」

(お手! お手はこっち! おかわりはこっち!)


「ふせ」


「わん!」

(ふせ! ふせはこうやる!)


「よくできたわね、いい子よ」


「わん! わん!」

(ボク、よくできた! いい子! ほめられた! ご主人さま大好き! ごほうび! もらえる! ごほうび!)


 ちぎれんばかりに尻尾を振ってぴょんぴょん跳ねるマクスミルラナードを前に、マリーとセドリックは同時に身悶えた。


(くっ……これは……っ)

(ああ、これは……っ)


((癒される〜〜っっ!!))


 ご褒美のおやつをやりながら、マリーはドヤ顔でセドリックを見る。


「いかがですか、陛下?」


「素晴らしい。マクスミルラナードはとても賢いな」


「きゅうん?」

(ボク、いい子?)


 自分の名前が聞こえて顔を上げるマクスミルラナード。


 きゅるきゅるの瞳に見上げられたセドリックは、だらしなく下がる目尻をそのままに褒めてやる。


「いい子だ、マクスミルラナード」


「きゃん!」

(やった! ほめられた!)


 デレデレのセドリックがマクスミルラナードの頭を撫でてやっていると、ノックの音が響いた。



「あら、ダーナ。どうしたの?」


 扉を開けたマリーは、廊下に立っていた妹を見て眉を寄せる。


「国王陛下にお見せしたいものがあって参りましたの。入ってもよろしくて?」


「……その子は?」


 マリーの視線の先には、ダーナの腕に抱かれる仔犬がいた。


「私も犬を飼い始めたのよ。お姉様の犬より可愛いでしょう? ぜひ陛下にお見せしたくて連れてきたの」

(陛下が犬好きだって聞いて慌てて用意したのよ。ペットショップで一番人気だって言われたのを買ってきたんだから、お姉様の短足犬なんかよりずっと高級なはずよ)


 ダーナの腕の中に抱かれた白いポメラニアンは、なんだか元気がなかった。


「くぅ〜ん……」

(あついよぉ……くるしいよぉ……)


 見れば着飾るためか、仔犬はヒラヒラとした生地が幾重にも重なる窮屈そうな服を着せられている。


「ダーナ、この季節に少し厚着をさせすぎではなくて? それもこの子は暑さに弱いポメラニアンですもの、無理に窮屈な服を着せるのは良くないわ」


「まあ! お姉様ったら、何も分かっていないのね! それでも犬好きなの? 犬だって綺麗な服を着たいに決まっているでしょう! そんなことも分からないなんて! 同じ姉妹なのに、どうしてお姉様はこうも頭の出来が悪いのかしら……」

(ふん。陛下を独り占めしたいんでしょうけど無駄よ! お姉様がどんなに魅力がない女か、暴露してやるんだから!)


「マリー、どうした?」


「陛下……妹がご挨拶したいと」


 セドリックに声をかけられたマリーが、ダーナを部屋に入れる。


「失礼いたします。妹のダーナと申します」


 自信満々のダーナは普段より高い声を出して、上目遣いにセドリックを見上げた。


「国王陛下、ぜひ私の愛犬もご覧くださいませ! お姉様の犬よりずっと愛らしいでしょう?」

(お姉様のドレスよりずっと値の張る最高級の生地で仕立てた犬用ドレスを着せているのだもの。みすぼらしいあの駄犬よりずっと目を引くはず!)


「きゃうん……」

(くるしいのぬぎたいよぉ……でも叱られるのはいやだよぉ……)


「…………」


 ダーナの心の声とグッタリしたポメラニアンを見たセドリックは、眉間に皺を寄せる。


 同じく顔を歪めるマリー。


(可哀想に、とても怯えているわ。いったい何をしたの?)


「お二人でどんな話をされておりましたの?」

(あらあら、怖い顔をして。お姉様ったら、私に陛下を奪われそうで焦っているのね)


「マリーの愛犬の芸を見せてもらっていた」


 淡々と答えたセドリックに、ダーナは顔を輝かせる。


「それでしたら私の犬の芸もお見せしますわ! ほら、賢い芸を披露してあげなさいな」

(お姉様の犬にできて、私の犬にできないはずないわ! これで陛下の心は私のもの!)


 仔犬を床に降ろしたダーナは、勝ち誇った笑みを浮かべた。


「さあ、まずは簡単なおすわりをしてみなさい」


「くぅん?」

(おすわりってなに……?)


「あら、どうしたの? やり方を忘れてしまったのかしら?」

(なんでいうとおりにしないのよ! 陛下が見ているのに!)


 いうことをきかない仔犬に苛立ったダーナは、ポメラニアンの体を掴んで無理矢理座らせようとした。


「こうするんでしょ!」


「ちょっとダーナ、なにをしているのっ!?」


「キャン! キャン!」

(ヤダ! はなして! いたい! こわい!)


「なんで吠えるのよ!? 静かにしなさい、はしたない!」


「キャン! キャウン!」

(ヤダ! ヤダヤダ!)


「ったく! ……オホホ、やぁね。まだ飼い始めたばかりで躾がなっていなくてお恥ずかしい限りですわ。すぐ静かにさせてきますから少々お待ちくださいな」

(この馬鹿犬! 黙れって言ってんのに! せっかくの陛下へのアピールが台無しじゃない!)


 ギラギラと宝石をあしらった首輪を無理矢理引っ張るダーナは、仔犬を部屋の外に連れ出そうとする。


(いうことをきかない駄犬は厳しく躾してやるっ!)


(まさか、あの子……!)


 ダーナを追いかけようとしたマリーの腕を、セドリックが掴んだ。


(俺に任せろ)




「キャウン! キャウン!」


 部屋の外に出たダーナは、使用人に仔犬を押さえさせて舌打ちをしている。


「チッ! いい加減に吠えるのをやめなさい! この馬鹿犬! いうことをきかないなら、こうしてやるわっ!」


 鬼のような形相のダーナが手を振り上げた時だった。


 バチンッ!


「え……?」


 仔犬を叩こうとしたダーナの平手打ちを受けたのは、間に入ったセドリックだった。


 呆然とするダーナの目の前で、すかさずマリーが悲鳴を上げる。


「まあ、陛下!? 大事ありませんか!? 誰か! 急いで医者を呼んでちょうだい! お父様もお呼びして! ダーナが陛下に暴力をふるってお怪我を負わせてしまったわ……!」


 マリーの声で屋敷の中は騒然となった。


「あ、えっと、私、あの……っ」


 狼狽えるダーナを、セドリックは鋭い目で睨みつける。


「国王である私を平手打ちするとは、いい度胸だな。ダーナ嬢」


 セドリックの言葉で事態の深刻さに気づいたダーナは息を呑んだ。


「いったい何があったのですかな!?」


「陛下がお怪我を!?」


 慌てて駆けつけた伯爵夫妻に、セドリックは蔑むような目を向けた。


「そなたらの娘、ダーナ嬢が私に平手打ちをした」


「なっ!? ダーナが!?」

(国王相手になんてことをしてくれてるんだこの馬鹿娘は!!)


「そんなはずありませんわ! ダーナ、何かの間違いでしょう?」

(私の賢い娘がそんなことするはずないわ……!)


 国王と両親から責め立てられたダーナは涙目だった。


「ち、違うんです! これはその、私はただ、このうるさい犬を叩こうと……」


「まさか、無抵抗の仔犬に手を上げようとしたのか?」


「そ、それは、えっと……っ」


「伯爵! 娘にいったいどんな教育をしているのだ!? 俺の頰を平手打ちしただけでなく、か弱い動物を虐待するなんて! なんと野蛮な女だ! こんな女が我が国の貴族だとは!」


 激怒するセドリックを前に、伯爵は困惑する。


「そんな、たかが犬ごときに大袈裟な……」


「たかが、だと?」


「ひっ! 申し訳ございません! ダーナ、陛下に頭を下げろ、この馬鹿娘が!」


 伯爵はダーナの頭を掴むと、無理矢理下げさせた。


「きゃ!? 何するのよお父様!」


「あなた、ダーナに乱暴しないでください!」


「お前もお前だ! 娘にどんな教育をしとるんだ!?」


 妻と娘を責める伯爵は必死だった。


(こんな奴らのせいで、マリーの嫁入りが白紙になったら……! 王妃の父親になるまたとない機会が台無しになる!!)


「陛下、このとおりです。次女の不始末をどうかお許しください」


「では伯爵はこの落とし前を、どうつけるつもりだ?」


「お、落とし前と言いますと……?」


「犬を虐待するような娘に、今後もその犬の管理を任せておくつもりか?」


「!! いいえ! 決して! 決してダーナには今後、この犬に近づけさせません! マリーよ、今後は犬の扱いに長けたお前が世話をするんだ。いいな?」


「ええ。可哀想なこの子は私が責任を持ってお世話いたしますわ」


 怯えて震えている仔犬を抱き上げたマリーは、さっそく窮屈そうなドレスを脱がせてやる。


「これでよろしいでしょうか、陛下」

(まさか陛下がここまで愛犬家だとは……)


 取り入るような伯爵の笑顔に、セドリックは無慈悲な声を返す。


「その程度で済むとでも?」


「へ!?」


「国王に暴行を加えた罪でダーナ・レノアを投獄する」


「なっ!?」


「お待ちください、陛下! 投獄などされてしまえばダーナに縁談がこなくなってしまいます! どうかご慈悲を!!」


 必死に叫ぶ伯爵夫人の言葉を無視して、セドリックはあからさまにマリーへと体を向けた。


「君も私の決定に賛成だろう、マリー?」


 激昂していた国王がマリーにだけは柔らかい声で同意を求めるのを見た伯爵は、これまで軽視してきた長女に取り縋る。


「マリー! 妹の危機だ、どうか陛下を説得してくれ!」


 縋られたマリーは悩ましげに眉を寄せた。


「私はもちろんダーナの味方ですわ。ですが、陛下のお体に傷をつけるだなんて、淑女としてあまりにも蛮行がすぎます。きちんと罰を受けたほうが、ダーナのためになると思いますの」


「ちょっと、マリー! あなた、いつもの復讐のつもり!?」


 辛抱たまらず鋭い声を上げた継母。


「復讐だと?」


 その言葉を聞き逃さなかったセドリックは、すかさず威圧的な睨みを向けた。


「あっ……」


「それはどういう意味だ?」


「これは、……えっと」

(マズいわ、陛下にこれまでのマリーへの仕打ちを知られたら……!)


「そういえば今日のマリーのドレスは随分と質素だな」


「!!」


「これは……お母様がこれを着るようにと用意してくれたんです」


 俯くマリーの言葉に、継母は慌てて言い訳をした。


「わ、私はただ、マリーにはシンプルなドレスのほうが似合うと思って……」

(どうしましょう、ダーナを引き立てるためにマリーのドレスを安物にしたのがバレてしまったら……!)


「シンプルなだけじゃない。粗末な生地に、サイズも合っていないではないか。これは安物の既製品では? 対するダーナ嬢は生地も最高級のシルクでどう見てもオーダーメイド。姉妹でこの差はなんだ?」


「……!」


「まさか、この家でマリーは虐げられているのでは?」


 核心を突かれた継母は悲鳴のような声を張り上げた。


「誤解ですわ! マリーが何を言ったか知りませんが、全て誤解です!」


「マリーの口からは何も聞いていない。この状況で俺が勝手に推察しただけだ。その慌てよう、後ろ暗いことがあるのではないか?」


「……っ」


 嫌悪感を滲ませる国王からの問いに、継母は震えるだけで何も答えることができなかった。


 国王と妻のやり取りを見ていた伯爵は責任を逃れようと、妻を責めることにした。


「お前、これはどういうことだ!? マリーを虐げて、ダーナを贔屓していたのか!?」

(知ってはいたが、こんな形で陛下に露見してしまうとは! 最悪のタイミングではないか! その上ダーナは投獄! 厄介者でしかない! マリーを王妃にすべく、コイツら母娘は切り捨てなければ!)


「私ばかりを責めないでちょうだい! あなただって見て見ぬフリをしてきたくせに!」

(私とダーナを切り捨てようなんて、そうはいきませんからね!)


「そんなことより、私はどうなっちゃうの!?」

(今は私のことが一番重要でしょ!!)


 言い争う醜い家族に冷水のような声を浴びせたのはマリーだった。


「いい加減にしてください。お父様もお母様も、それからダーナも、陛下の御前でみっともないとは思わないの?」


 冷静なマリーの言葉は至極真っ当だ。


 歯を食いしばった伯爵がセドリックの前に跪く。


「陛下、この通りでございます。どうかお許しを」


「貴様らが謝るべき相手は私ではないのでは?」


「は?」


 伯爵はセドリックの言葉の意味が分からない。


 呆れ果てたようにため息を吐いたセドリックは、分かりやすく目線を向ける。その先にいるのはマリー。


 ようやく察した伯爵は、グッと拳を握り締めて娘に向き直った。


「マリー、これまで気にかけてやれずにすまなかった。どうか許してほしい。ほら、お前達も謝罪するんだ!」

(チッ! まさかこの私が娘に頭を下げる日がくるなんて! 嫉妬にかられた馬鹿な女どものせいでこんなことに!)


「……今まで本当に悪かったわ、マリー」

(どうして私がこんな屈辱を……!)


「ごめんなさい……お姉様」

(悔しいっ!! なんで私がお姉様なんかに頭を下げなきゃいけないの……!)


「陛下、今度こそよろしいでしょうか?」


 立ち上がった伯爵がゴマをすりなが見上げるも、セドリックの表情は硬いままだった。


「まだだ。ダーナは他にも謝る相手がいるだろう」


 セドリックが労るように頭を撫でたのは、マリーの腕の中にいるポメラニアン。


 何を要求されているか察したダーナは屈辱でプルプルと震え出した。


「くぅううぅ……っ! 分かりましたわ! 謝ります! ごめんなさい!」

(ムキーーーー! 犬相手に頭を下げるだなんて……っ! よくも私をこんな目に遭わせてくれたわね……!!)


 怒りに燃えながら謝罪するダーナを見たセドリックは、駆けつけていた王室の騎士達に合図を送った。

 

「あの女を連れて行け」


「え!? なんでよ、謝ったでしょう!?」


「陛下、なぜですか!?」


「どうして娘を!?」


 娘が連行されるのを目の当たりにして叫ぶ伯爵夫妻に、セドリックは冷ややかに告げる。


「国王を害した者を罰せず放置すれば、王室の権威に傷がつく。それくらいの理屈、王国貴族ならば説明せずとも分かるだろう」


 セドリックが見せつけるように指し示す彼の左頬には、ダーナの手の跡がくっきりと赤く残っている。


 国王に手を上げた紛れもない証拠だ。


「安心しろ。他でもない愛するマリーの妹なのだから、態度次第では数日間の投獄で赦免しよう。だが、これ以上逆らうのなら、たとえマリーの生家であったとしても反逆罪を問う」


 伯爵夫妻がそれ以上国王に歯向かうことなどできなかった。


「そんな! 嘘でしょ!? 本当に私を牢に入れるつもりなの!? 助けてお父様、お母様! ……お姉様!!」


 騎士達に連行されながら叫ぶダーナは、最後まで見苦しく泣き叫んでいた。



 帰り際、マリーは改めてセドリックに騒動の謝罪をしていた。


「陛下、我が家のお見苦しいところをお見せして申し訳ございません」

(正直……とても痛快でございました。ありがとうございます)


「構わない。それよりも今度は俺の愛馬を紹介する。結婚の話も前向きに考えてくれると嬉しい」

(奴らの醜い心根と仔犬への仕打ちに俺も我慢ならなかっただけだ。気にするな)


「では次回は愛犬達を連れて陛下のもとに伺いますわ」


「ああ、楽しみにしている」


 目を合わせた二人は、ニヤリと口角を上げた。







 数日後。マリーは約束どおり愛犬達と共に王宮を訪ねた。


 以前の怯えた様子とは違い、キラキラとした瞳でマリーを見上げるポメラニアンを見たセドリックは、感心したように笑顔になる。


「あまり人慣れしていない様子だったが、随分と懐いたようだな」


「はい。今では甘えん坊ですのよ。弟ができてすっかりお兄ちゃん気取りのマクスミルラナードのおかげですわ」


「くぅん?」

(お兄ちゃん、あの人だれ?)


「きゃうん!」

(ご主人さまのともだち、いい人だよ!)


「わん!」

(ご主人さまのともだち! いい人!)


 王宮の広い庭園で尻尾を振り乱しながらセドリックを囲む二匹。


「ここは天国か……?」


 愛らしい小型犬達に囲まれたセドリックは、モフモフに埋もれるように感嘆のため息を吐いた。


 クンクンと匂いを嗅がれ、ペロペロと舐められて、フリフリと尻尾を振られ、ナデナデと撫でてやる。


 デレデレを隠すことのないセドリックは、手にじゃれつく愛らしい犬達を見下ろしながらマリーに尋ねる。


「このポメラニアンの名前は?」


「サイモニアエドリックですわ」


「……サイモニアエドリック?」


「はい。ダーナは名前すらつけていなかったようなので、私が名付けましたの」


「…………」


(……前から思っていたが、独特な名付けセンスだな)


「!」


(失礼ね! どうしてみんな、私が犬達の名前を口にすると同じことを考えるの!?)


(自覚がないのか……)


(どういう意味ですの?)


「ゴホン。それでは俺の愛馬も紹介しよう」


 セドリックが連れてきたのは、日差しの下でツヤツヤの毛並みが輝く美しい白馬だった。


「ブランシュだ。ブランシュ、彼女はマリー。俺の……友人だ」


 紹介されたマリーは驚かせないようにゆっくりと手を差し出した。


(ご主人様のお友だち、めずらしい)


 マリーの手の匂いを嗅いだブランシュは、鼻先を押し付けて挨拶に応える。


「とってもいい子ですわね」


 顔周りを優しく撫でてやりながら目を細めるマリーに、ブランシュはあっという間に警戒を解いた。


(やさしい手、気持ちいい)


「乗ってみるか?」


「よろしいのですか?」


「ああ、もちろん」


 セドリックとマリーを乗せたブランシュは上機嫌だった。


(ご主人様とお友だち乗せる、うれしい! 一緒に走る、楽しい!)


 楽しげな馬の心情を聞いた二人は同時に身悶える。


((あーーっ! 癒しっっ!!))


 純粋な動物の心に触れることは、いつも人間達の薄汚い悪意や欲望の心に晒されている二人にとって、浄化そのものだった。


(なんて健気で主人想いで、お利口な子なの!)


(そうだろう! 俺を乗せて走るのが何よりも好きなんだ!)


(かわいいわ。こんなに嬉しそうに走るなんて、本当に陛下のことが好きなのですわね)


 ブランシュを絶賛しながら、二人は乗馬を楽しんだ。


「その後、伯爵家の様子はどうだ?」


「とても快適に過ごしております。お父様は私のご機嫌取りに忙しく、お母様は部屋に引きこもって奇声を上げては物を壊し、戻ってきたダーナは投獄されたことで自信を喪失したのか別人のように大人しくなりましたわ」


「また何かあったら俺に言え」


「うふふ。それはとても頼もしいですこと。では陛下が困った時は、私に頼ってくださいませ」


「ほう。そんなことは初めて言われた。頼もしいな」


 生まれて初めて、信頼できる相手。


 家族よりもずっと強い絆を感じる二人は、馬上で微笑み合った。


「陛下、今日は本当にありがとうございました。とても楽しい時間を過ごせましたわ」


 両手に仔犬達を抱くマリーは笑顔で礼を言う。


「そうか。俺も楽しかった」


 犬達を交互に撫でてやりながら、セドリックも笑顔を見せる。


 そんな彼の笑顔に、マリーは自然と口を開いていた。


「あの……」


「どうした?」


「結婚のお話、お受けしようと思います」


「! 本当か?」


「はい」

(私も、陛下以上の方には巡り会えないと思いますもの。一緒にいて、こんなにも気の合うお人は世界中であなた様だけですわ)


「そうか……。ではさっそく、婚約の手筈から整えよう」


 嬉しそうなセドリックはマリーの片手からサイモニアエドリックを受け取り、空いた手を取って口づける。


 仔犬達を片手に二人が見つめ合って微笑んでいると、どこからともなく苛立った心の声が聞こえてきた。


(なんということだ! おのれ国王め! 本気であんな伯爵家の令嬢を王妃にする気なのか!? このままではいかん! なんとかしなければ!)


 同時に反応したセドリックとマリーは、悪意に満ちたその声が先ほどからこちらの会話に聞き耳を立てていた宰相のものだとすぐに分かった。


(クソッ! こうなれば、あの計画を実行しよう。暴漢を雇ってあの小娘の純潔を汚し、王妃の座に就けなくしてやる!)


「「!!」」


 あまりにも下衆すぎる宰相の考えに、二人は眉を寄せた。


(とうとう暴挙に出る気だな……。心配するな。あのような計画を実行させるつもりはない)


 心の中で話すセドリックに、マリーは小さく首を横に振る。


(いえ。むしろ、ちょうど良いのではありませんか? どうせなら、この機に邪魔者を排除いたしましょう)


(なに……?)


(前回助けていただいたお返しをさせていただきますわ)


 目を細めたマリーの強く美しい笑顔に、セドリックは少しの間だけ見惚れたのだった。







 セドリックとマリーの婚約が知れ渡ると、王都には祝福の空気が漂った。


 結婚式の日取りも決まり、若き国王の婚姻に国民は期待でいっぱいだった。


 国王の婚約者となったマリーは、結婚の準備のために度々王宮を訪れるようになっていた。


 今日も打ち合わせや王妃としての公務の引き継ぎなどを終えたマリーは、帰りの馬車に乗り込もうとしている。


「気をつけて帰ってくれ」


「はい」


 セドリックに見送られて走り出した馬車だったが、伯爵邸に着く前に異変が起きる。


「死にたくなければ大人しくしろ!」


 人気のない通りで奇襲された馬車に押し入ってきた暴漢達は、マリーにナイフを突きつけた。


「何をするの!? きゃっ!」


 抵抗する間もなく薬を嗅がされ、マリーの目の前が真っ暗になった。




 気がついた時、マリーは両手足を縛り上げられてどこかも分からぬ冷たい床の上に横たわっていた。


「……うっ」


 身動きが取れないマリーの耳に、部屋の外から途切れ途切れの声が聞こえる。


「捕まえたのか!?」


「ええ。言われたとおりの令嬢ですぜ」


 部屋の外にいた宰相は、覗き穴から縛り上げられたマリーを見た。


「間違いない。あとは分かっているな?」


「あのお嬢さんを好きにしていいんですよね? それでたんまり金を貰えるとか」


「そうだ! 私の娘を王妃にするためだ。金なんぞいくらでも出してやる。さあ、早く始めろ! せっかくだ。ここからあの女の無惨な姿を見届けてやろうぞ! ガハハハ!」


 男達が部屋に入り、宰相の下品な高笑いが響いた時だった。


「そこまでだ、宰相」


「!?」


「未来の王妃に何をしようとしている?」


 こんな所にいるはずのない国王セドリックが、ドアを蹴破り押し入ってきた。


「こ、国王陛下!? これは、その……っ!」


「言い訳は無用だ。今の貴様の発言は全て聞いていたからな」


 手を上げて合図するセドリックの背後から、王室の騎士達が雪崩れ込んでくる。


「捕らえろ!」


 宰相は暴漢達と共にあっさりと捕らえられた。


 マリーの縄を切り、助け起こしたセドリックはその手を握る。


「マリー、無事か?」

(無茶をさせたな)


「ええ、助けてくださりありがとうございます」

(お気になさらず。計画を知って、私が進んで囮になったのですもの。それに、陛下のことを信じておりましたから、ちっとも怖くありませんでしたわ)


 気丈に微笑むマリーを見たセドリックは、握った手をなかなか離さない。


(陛下……?)


 不思議そうに首を傾げるマリーへと、セドリックの紫色の瞳が静かに向けられる。


(どうされましたの?)


(前言を撤回する)


(え?)


(愛だの恋だのと言うつもりはなかったが、他の男に触れられそうになっている君を見て正気ではいられなかった)


(それは……)


 グッと引き寄せられたマリーは、気づくと彼の腕の中にいた。


(どうやら俺は、君を愛しているようだ)


 ドキドキと聞こえる鼓動の間からそう告げられたマリーは、全身が甘く熱く高揚した。


 そしてセドリックの背に手を回しながら、自らの心を告げる。


(……陛下の心を聞いて喜びに打ち震えている私も、あなたのことを愛しているのだと思います)


 無言で抱き締め合う二人を見た周囲の騎士達は、ひどい目に遭った婚約者を案ずる国王の心情を思い、そっとしておこうとその場を去るのだった。







 予定どおりに行われた結婚式の日、ブランシュに乗って登場した二人は祝福する国民に手を振る。


 当然ながらその中に宰相の姿はない。


 国王の婚約者であり、王妃となる予定のマリーを害そうとした罪で宰相は処刑が決まり、家門は取り潰しとなった。


(清々しいな。長年の膿を出しきった気分だ)


(お役に立てて何よりです。ですが残念ながら、どんなに蹴落としても、ああいう輩は次から次へと湧いてくるものですわ)


 祝福する貴族達の中からは、未だに邪悪な考えを持つ者の心の声がチラホラと聞こえていた。


 セドリックはこれからも、国王として彼らを制しながら重い責任を負わなければならない。


 そしてそれは、王妃となるマリーも同じだった。


「その健やかなるときも、病めるときも、これを愛し、これを敬い、これを信じ、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


 神官の言葉にセドリックが前を向く。


「誓おう」

(俺の手を取ったこと、後悔しているか?)


 同じく前を向くマリー。


「誓いますわ」

(いいえ。陛下となら、誰が相手でも敵ではありませんもの。だって……)


「では誓いのキスを」


 向かい合った二人は、笑顔で手を取り合う。


(君と俺なら……)

(あなたと私なら……)


(きっと最強だから)


 誓いのキスをするその足もとでは、二匹の仔犬がちぎれんばかりに尻尾を振って、二人の結婚を祝福していた。







心の声が聞こえる国王、心の声が聞こえる令嬢に出会う。 完



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生まれた時から心の声が聞こえるなら、人間とはそういう者とある程度は割り切っていると思うけど、同じ悩みを抱える仲間と出逢えたのは心強いですよね。 「国王夫妻に嘘や誤魔化しは通用しない!」 「お二人は目で…
きっとなろう史上最も静かで劇的な運命の出会いシーン。 お互いのために長生きしなきゃですね。
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