死神の円舞曲 -白骨の貴婦人は幼馴染伯爵に溺愛される?-
セシリア・ド・グランヴィル侯爵令嬢は、その際立つ美貌で社交界を魅了していた。淑女たちは彼女に憧れを抱き、紳士たちは彼女に惹かれ、その心を差し出した。しかし、彼女は上辺だけの美しさに陶酔する人々に失望し、心を閉ざしていった。
セシリアは自分の美貌にばかり目を向ける人々の軽薄さに辟易していた。苛立ちは冷淡で傲慢な態度として表れ、いつしか周囲は彼女を称賛しながらも、彼女の冷たい眼差しに反感を覚えるようになった。
しかし、そんな彼女の人生は唐突に終わりを告げる。26歳の若さで、病か毒か、謎めいた死を迎えたのだ。葬儀では彼女の生前の振る舞いを非難する者も多くいたが、ただ一人、彼女の死を深く悼む者がいた。
エドモンド・モンテリオン伯爵――柔らかな金髪とエメラルドの瞳を持つその年若い男は、セシリアの棺を前に静かに佇み、涙を流していた。
「セシリア。君を失うくらいなら、僕は悪魔にだって魂を売り渡そう」
葬儀から幾ばくかの時が過ぎ、誰もがセシリアの死を忘れ去った頃。とある噂話が社交界の片隅で囁かれた。美貌のセシリアの墓が暴かれ、その遺骸は忽然と姿を消した、と――。
* * *
死ぬこと自体はそれほど恐ろしくはなかった。
むしろ、薄れゆく意識の中、安堵すら感じていた。誰もが私の美貌にばかり目を奪われ、上辺だけを褒めそやす。そんな世界から解放されるのなら、むしろ望むところだった。
両親も、友人も、求婚者たちも――彼らが愛していたのは私自身ではなく、『美貌のセシリア』だったのだから。
現世の意識を手放した私は、穏やかな闇の中、揺蕩うような感覚に身を委ねていた。これが死なのだとしたら、思いの外悪くない。
――どれほどそうして時を過ごしただろうか。自分の境目を曖昧に感じ始めたある時、何かに強く引かれたように感じた。その違和感にあたりを見回すと、温かく私を包んでいたはずの闇はいつしか晴れていた。代わりに、かつて住んでいた屋敷、花の咲き乱れる庭園、テラスから見た夜明けの空……見覚えのある様々な景色が次々と通り過ぎていく。
一体、何が起こっているのか。そんなことを考える間もなく、いつの間にか周囲の景色は私は見覚えのない部屋で固定される。薄暗い部屋の中、暖かなロウソクの光だけが私の顔を照らしていた。その温もりに、ふと「実は私は死んでなかったのか」と思いかけた。
だが、不意に手を動かした瞬間、今まで感じたことのない異様な感覚が走る。木片同士をぶつけた時のような、軽い感覚。それが指先から全身に伝播する。
カタカタ……。
その音は確かに、動かそうとした私の手元から鳴っていた。何事か確かめるために右手に視線を向ける。するとそこには何と――むき出しの白骨があった。
私は思わず叫び声を上げる。すると今度は喉元からカタカタと骨同士がぶつかるような音が聞こえた。これは一体、どういうことなのか?
そして自分の体を見下ろした瞬間、今以上に信じがたいものを目にする。
「これは……?!」
私は、ドレスを纏った骨格標本のような姿に転じていた。体のあちこちを見渡すたびに信じがたい現実が容赦なく突きつけられる。髪も肌も、かつて社交界から称賛された美しさは失われ、ただ白骨だけが私の姿を形を成していた。
「これは一体、どういう事なの……!?」
背後から聞こえてきた声が、その悪夢に追い打ちをかける。
「お帰り、セシリア」
振り向くとそこには満面の笑みを浮かべた貴公子が立っていた。彼の明るい金髪には見覚えがある。
「……あなたは……エドモンド?」
私がかつての幼馴染の名を呼ぶと、彼の表情は歓喜の色に染まった。
「僕のこと、覚えていてくれたんだね。セシリア。僕が君を甦らせたんだよ」
エドモンドからは頻繁に手紙が届いていたような気がするが、こうして対面するのは久しぶりだった。彼はまるで子どもが贈り物を自慢するかのように目を輝かせながら語った。その無邪気さが、私を苛立たせる。
「この姿を見て。死神のようなこの姿……これがあなたの望んだ結果なの?」
私は彼に詰め寄り、荒げそうになる声をなんとか抑えて問うた。しかし、彼はまったく動じず、微笑みさえ浮かべている。
「君を甦らせる、この方法しかなかったんだ。君とまた会えて、本当に嬉しい」
「あなたは……」
狂っている。そう言いかけて、止めた。きっと今の彼に何を言っても通じない。ふと、エドモンドの背後に姿見があるのに気が付く。姿見には、豪奢なドレスを纏った不気味な骸骨が映し出されていた。これが、今の私。
エドモンドはそんな私に跪き、白骨だけになった手を恭しくとる。まるで、『美貌のセシリア』に傅く男たちと同じように。
「セシリア。もし君が僕に褒美をくれるなら……僕と、舞踏会に行ってくれないか? 一夜だけでも構わないから」
突然の申し出に私は戸惑った。まさか骸骨の姿で社交界に顔を出せというのか? その無謀さに眩暈さえ覚える。そもそも、望んで甦ったわけでもないのに何故褒美を与えないといけないのか。
「なんで私が貴方のために、こんな姿で舞踏会に参加しなければならないの?」
「君を舞踏会でエスコートするのが、ずっと夢だったんだ」
エドモンドは熱っぽい目で訴えかけるように私を見ている。私はそんな彼に、半ば呆れた気持ちで問うた。
「……この姿のままで行けというの? 大騒ぎになるわ」
「僕が用意したドレスと仮面がある。誰も君の今の姿には気づかない――君が望むなら」
彼は煌びやかな仮面を差し出し、部屋の隅に置かれた豪華な深紅の衣装を指し示した。
「『美貌のセシリア』はもういない。今さら公の場へ出るなんて……」
そう呟く私に、エドモンドはただ静かに微笑むだけだった。その微笑みが妙に癪に障り、私は思わず目を逸らす。
しかし――ふと、胸の奥で誰かが囁く。美しさを失った私を人々がどう見るのか、ずっとそれを確かめたいと思っていなかったか、と。
ただ美しい、それだけで周りの人間は私に傅いてきた。しかし、今の私はどうだろう。見すぼらしい骸骨と化した私は、今や『美しさ』の対極にある。
あの社交界という舞台で、人々の目に映る今の「私」を見てみたい――そう思う私は、エドモンドのように狂っているのだろうか。
「エドモンド」
私が彼の名を呼ぶと、彼の瞳が期待と喜びに輝く。
「いいわ、舞踏会に行ってあげる」
「ありがとう、セシリア……!」
エドモンドの瞳が歓喜に満ちるのを、私は冷めた気持ちで見つめた。彼の熱意が、私の中の何かを揺さぶる。それが期待なのか、あるいは不安なのか、今はわからない。
私は骨ばった指を伸ばしエドモンドが差し出した仮面を持ち上げ、姿見に映る自分の骸骨の顔にそっと重ねる。
「仮面の向こうの私を、人々はどう見るのかしらね……」
呟いた言葉は、自分自身に向けた問いだった。その答えを確かめるために、私はもう一度、あの煌めく舞台に足を踏み入れよう。
ロウソクの炎が揺れる部屋の中、私は仮面越しの視線でエドモンドを見やり、薄く笑った。
* * *
夜が更け、私たちは馬車へ乗り公爵の私邸で開かれる舞踏会へ向かった。馬車の車輪が石畳を踏みしめる音が響く。馬車の中、窓ガラスに映る仮面をつけた私は、一見過剰に着飾った貴婦人のようだった。エドモンドは私の隣で上機嫌に窓の外を見つめている。
「もうすぐだよ、セシリア」
馬車が公爵様の館の正門で止まった。私はエドモンドに手を取られ、馬車を降りる。ドアマンが豪奢な扉が開くと、屋敷の中からは優雅な音楽と人々笑い声が洪水のように溢れ出してきた。
会場に足を踏み入れると、天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアが私を迎えた。煌びやかに輝く会場に、多くの貴族や使用人たちがひしめき合っている。
エドモンドにエスコートされてダンスホールへ向かうと、すれ違う貴族たちは次々に私たちを振り返った。最初は仮面とドレスで全身を覆った私が悪目立ちしているのかと思ったが、どうやらエドモンドに注目が集まっているらしい。確かに改めてみると、金髪碧眼の彼はまるで童話に出てくる王子のようにも見える。
私がエドモンドの横顔を眺めていると、それに気が付いたエドモンドは恥ずかしそうにはにかむ。
「君に見つめられる日が来るなんて……まるで夢のようだ」
「あらそう」
ダンスホールに足を踏み入れると、煌めくシャンデリアの光が天井から降り注ぎ、広々とした空間を鮮やかに照らしていた。ホールの中央では貴族たちが音楽に合わせて踊りの輪を作り、女性たちの豪奢なドレスが軽やかに舞う。けれど、その華やかさは、私にとって決して目新しいものではない。
「セシリア。君と踊りたい」
私はため息をつき、「いいわ」と短く答えた。すると、エドモンドは手袋に包まれた私の骨の手を大切そうに自らの手で包み、子供のような笑みを一層深めた。
そして、私たちは舞台の中心へ向かう。私たちがホールドを組んだタイミングで、優雅なワルツの調べが流れ始めた。私はエドモンドのリードに合わせ、慣れたステップを踏む。体の揺れに合わせて、骨の身体がカラカラと小さく鳴る。
「エドモンド」
「何だい、セシリア」
私が彼の名を呼ぶと、やはり彼は幸福そうな表情で応えた。『美貌のセシリア』に名を呼ばれてそんな表情をする男はいくらでもいたが、骸骨に名を呼ばれそんな顔が出来るのは彼くらいだろう。
「ここで仮面を外したら……あなたは怒るかしら?」
「何故? 僕はセシリアと踊っていられるのなら、何でもいい」
「そう。なら……覚悟なさい」
私は仮面に手をかけた。その瞬間、ホール中の視線が私に集中しているのを感じる。貴族たちは、エドモンドと踊る謎めいた貴婦人の正体が気になるのだろう。
そして――私は仮面を外し、ホールに投げ捨てた。死神のようなこの顔がシャンデリアの下、晒される。
あちこちから息を呑む音が聞こえる。目の前の光景を信じられず、驚愕の表情を浮かべている者たちがひそめき合う声が聞こえる。
「何だ、あれは?」
「まさか……死者が……?!」
ホールにざわめきが広がる。驚愕、恐怖、不信。様々な感情がこもった瞳たちが私たちを見つめている。私たちはそれを全て受けとめながら、ワルツを踊り続ける。
いつしかホールで踊っているのは私とエドモンドだけになっていた。人々は私たちの踊りに釘付けになり、固唾を呑んで私たちのワルツを見守っていた。
音楽が止み、私たちは静止する。エドモンドが深く一礼し、私もそれに倣う。ホールはしばし、張り詰めたような静寂に満たされる――しかし、それはすぐに割れた。
「なんて……なんて優雅なんだ……!」
どこからともなく上がった声を皮切りに、拍手が広がり始めた。それは徐々にホール全体を包み込み、やがて大きな歓声となる。
「骨の貴婦人だ……!」
「あんなにも優美なダンスを見たことがない!」
彼らは私自身に賛辞を送っているのか、それとも生ける骸骨という特異な存在に熱狂しているだけなのか。それでも、『美貌のセシリア』にも送られたことのないような盛大な喝采に包まれるのは、悪い気はしなかった。
「ダンスは楽しめたかい? セシリア」
エドモンドが耳元で囁く。
「……そうね」
私は呟き、顎に手を当てる。そして、カタカタと音を立てながら口元を歪め、エドモンドに微笑んだ。
「まあ、悪くない気分よ」
* * *
ダンスホールでの一件のあと、私たちはすぐにエドモンドの屋敷に帰った。あのままあの場にいれば暇を持て余す貴族たちにどうされるかわからない。
部屋の片隅、窓から差し込む月明かりが、私の骨の身体を一層白く姿が浮かび上がらせていた。白骨の指を絡ませながら、私はエドモンドに笑いかける。
「ああ、楽しかった」
「それは良かった。僕も、セシリアと過ごせて、まるで……夢のような時間だった」
「骨になった女に愛を囁くなんて……滑稽だと思わないの?」
エドモンドはその言葉に対し、優し気に微笑みながら、ただ静かに彼女の前へと膝をついた。そして、微笑みをたたえたまま、真剣な眼差しで私を見つめる。
「僕は何もおかしいとは思わない。君を愛している。それだけが真実だから」
私はしばし間をおいて、再び彼に問いかける。
「……では、その愛を試してもいいかしら?」
「もちろん」
私は白骨の手をゆっくりと彼の肩に置き、骸骨の顔をエドモンドに向けた。二つ空洞の眼窩で、じっと彼を見つめる。
「私にキスをして」
エドモンドはその言葉に一瞬の躊躇も見せず、答える。
「もちろん。でも本当に……キスをしても?」
「どうぞ、できるものなら」
彼はためらいなく、けれどそっと、私の骸骨の顔へ顔を近づけた。そして震える手を伸ばし、私の頬骨に優しく触れる。
唇が触れた瞬間、エドモンドの目には涙が浮かんでいた。
「セシリア……僕の宝物……僕の奇跡……」
私はしばらく黙ったまま、間近でエドモンドを見つめていた。若く美しい青年が、白骨に口づけて喜んでいる。その光景は、傍から見ればまるで悪い冗談のように映るだろう。
けれど、そう考えてしまう私も、外見の『美しさ』に囚われていたのかも知れない、エドモンドの喜びに満ちた表情を見て、ふとそう思った。
「本当に、どうしようもない男ね」
私は小さく笑いながら、エドモンドの柔らかな金色の髪を撫でてやった。子犬のように無邪気に私を見る彼を眺めながら、心に今まで感じたことのなかったような温かなものが満ちていくのを感じた。
* * *
あの舞踏会以来、私たちは人目を避け、エドモンドの屋敷で誰にも邪魔されることのない静かな暮らしを送っている。
エドモンドは変わらず私を愛し続けた。白骨となったこの体を、生前の私そのもののように優しく抱きしめ、語りかけてくる。そんな彼に呆れながらも、時折自分が満更でもないと感じていることに気づき、その度にため息をつきたくなる。
「セシリア、ここは気に入ってくれたかい?」
エドモンドが庭先に置かれたテーブル越しに問いかける。風に揺れる野の花の香りが、かすかに漂ってきた。
「そうね、静かで悪くないわ」
彼が淹れてくれた紅茶を見つめながら、私は答えた。もちろん、この体では紅茶を飲むことはできない。それでもその香りを楽しむことはできるだろうと、エドモンドは毎日必ず私に紅茶を淹れてくれた。
「こうして君といられるだけで、僕は満たされるよ」
彼の言葉に、私はまた小さくため息をついた。どこまでも一途で、どこか自分本位な男だ。それでも、かつて『美貌のセシリア』として過ごしていた日々より、この奇妙な生活の方がずっと心地よく思えていた。
「あら、今日の紅茶は少し変わった香りね」
「ああ、この紅茶は君のために僕が特別に用意したものなんだ。気に入ったならまた用意するよ」
「……へえ、そうなの」
白百合の奥にわずかな刺激を感じる紅茶の香りに、私の胸がかすかにざわめいた。私はこの香りを知っている。これは確か――私が最後に飲んだあの紅茶の……。
エドモンドに問いかけたい衝動が一瞬胸に湧いたが、結局、言葉にはしなかった。今さら私が答えを求めることに何の意味があるだろうか。
夕暮れが近づき、庭に差し込む光がやわらかく変わる。風に揺れる木々の葉が影を作り、私たちをそっと包み込む
「セシリア、君は僕の宝物だよ」
エドモンドのその言葉を聞きながら、私は静かに眼窩を閉じた。彼の手の温もりが私の指を優しく包む。こうして二人だけの世界に閉じ込められたまま、私たちはひっそりと生き続けるのだろう。
それが永遠に続くのか、いつか終わるのか――それは、今の私には知る由もない。
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