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Key1 白い扉8

 急に視界が広がったというしかなかったろう。彼女が先ほどまでいた白の空間は何も見えない、どこまで広がっているのかも分からないような空間だったが、壁が無いかといえば、きっとどこかに壁があったと思える空間だった。


 境界線があるという空間が言い方としては合っていると思う。見えないけれども何処かに一箇所穴の開いたビンの口ような出口、それがその空間だった。


「もし、水溜りの中に落ちずとも、間違いなくそこに足を踏み入れなければならなかった、のか」


 水槽の色が濃くなりオレンジ色が遠ざかっていく。魚の泳がない泡だけの水槽が一気に水中の青さを、光を通して伝えてくる。先ほどから変化を重ねるこの部屋は、夢の部屋である事を関野に実感させつつあった。


 主の話した内容や、心情によってこの部屋は色彩を鮮やかに変える。水の話をしていたから、水槽の色が濃くなり、オレンジが薄らいだように。


「そうね。初めてだから入り口くらいは示した。そんな感じだと思う。で、あなたはやっぱりおしゃべりの最中に突っ込みを入れるのをやめる事ができないわけ?」


 思わず、関野は口元を結んで軽くうなった。自分でも分かっているのだがどうにも抑えられないらしい。


「あー……その、なんだ。一種の職業病としてみる事はできないか?」


「なによ、新聞記者長くやっていた性でいちいち気になった事に意見しないと気が済まないとか?あ、図星なの」


 また、さっくりと彼女の言葉に切られた気がする。わざとらしい口調な気がしたのだってきっと気のせいだ。口元の顎鬚を触りながら、弁明になってしまう言葉を関野は詳述していた。


「こんなになる事のほうが珍しい」


「じゃあ、いつものとおりに話せるように出来ない。って言うの?」

 

「まともじゃない状況で、まともじゃない相手と、まともとは思えない会話をしていたら、幾ら質問しても足りないし、何にもなしにひたすら聞き続けるのは難しいんだよ」


 もう、すこしこちら側の空気に毒されでもしたのか、後半は子供の言い訳のように語調が強くなってしまった。深くため息をつきたいが、余計な空気を吸ってしまって更に自分がおかしくなるようで、関野はそれをせず、息をつくだけにとどめた。


 関野の吐き出すままの言葉を聴いていた愛華は、片眉を軽くあげて、それからすこし目元を緩めた。


「いいわよ。私もそうだった事忘れていたわ。そうね、あなたが話を聴きやすいほうが私も良いし、ついでに、呼吸するのまで躊躇うくらい落ち着きの無い状態になられても困るわ。そう、だから、多少の突っ込みはこっちも譲歩してあげる」


 あくまで態度は上からだが、多少なりと関野を気遣ったのだろう。空間が夕焼けの色から、白水色に変わった空間は、次に若芽の萌える緑と春の日差しを含んだ空間に変わった。


 部屋の構造が変わってないだけに、なんともアンバランスな状態ではあるが、関野は多少息がしやすくなったのに軽く礼をいうと、愛華はまた言葉をつむぎ始めた。


「エーと……。ああ、そう。だったわ」


 落ち込んだ中が水に満たされていた。落ちた空間こそ無限に広がっていたに違いない。

高いところから何も無い高さを感じる空間。落ちてきた上空に目をやると、ぽっかりと丸い円がある。

 向こう側もほぼ同じなのだが、距離が近かったからその円も白の世界の月に見えた。抵抗力の少ない水は自分の重さのまま、はるか下に見える滑らかな水底に向かって落ち続けていた。


 どこまでも深い沼の御底、胴体をつかんでいた手を離されるように私は踏みしめた。沼底にしかれているのは砂でも泥でもない。やわらかいが沈まない液体というのが一番近いかもしれない。


 踏んだところは砂のように浮き上がるが浮き上がったら水と同化してしまう。

 ここまで自分で自分の夢として認められない世界で彼の言った試しを私はやり遂げられるだろうか?

 不安を残したまま、私は理由もなく「歩き続ける」ということを始めた。


 せめぎあい、跳ね回っている好奇心と不安をごまかす虚栄心。目印になるようなもののない、ほの明るい青と白、そして透明という色。夢の中でなかったらとうの昔に肺が水で満たされていただろう。

 凛としたまでの神聖さを帯びた静けさであるような気がした。それは、一層に私の夢がここにはないとも思わせた。口元から泡がもぐった音で浮上すれば、ここが水中とわかる。


 でも、この泡は途切れない。私の肺は一体全体どういう仕組みで動いていたのだろうか?そして、水で満たされているはずの肺からどうして泡がこぼれるのか。


 途切れぬ泡を連れて、周囲を再度見渡しても何もない。

 ただ一面の沼の水とその底が広がっている。


「何もないこの湖をひたすら歩いてどうさせたいの・・・?シュウラ」


 先を教えてくれる彼はいないのをしっていても上を見上げれば、自分の落ちた水溜りの入り口が金の光を放つ月になっている。


 音なく、私は足を踏み出していった。地平線しか見えない荒野。その後ろを誰かがいたことを示す足跡だけが置き去りにされていく。


 彼との約束は私の手足におまじないを掛けたようにそれらを動かし続けさせた。

どこまでもとは行かなくても行けるだけ、歩けるだけ。そうしているうち、水の中の地平線に一転の黒いしみが見えた。


「あれは?・・・・」


 時間の感覚のひどく薄いこの中で見つけたそれはまるまる五時間掛けて探し当てた目的物にも見えた。

 五時間といえば、大げさかもしれないが、自分の足跡しか出来ない空間で目的物を見つける為に、歩いたり、時々足元の砂を持ち上げて形作ってみたりしながら歩いたのだから、そのくらい経っていてもおかしくないと私は思っていた。だが、それも終わる。


 見えなかった目標を見つけた気がして、愛華は視界に入ったシミ目指して歩いた。こぼれる泡が量を増し、鍵が呼ぶ声のように静かに心が響きだした。


 歩き出してからさらに一時間ほど、ほどなくしてそこに愛華はたどり着いていた。


 そこにはただうず高く積まれた白い山があった。遠くから見ればてっぺんがあるのは見えたはずだった、だが、近づいてみたその白い山は思っていたものよりもずっと高く、そして、ごつごつとしていた。手触りはすべらかな潅木、白い木の山だろうか?この木がどこまでも連なっていると最初は思っていた。


 枝のない見た目からしてもおかしいと思った私の目に、何かの頭蓋骨らしきものが映るまでは。


 そう、それはどこまでもうずたかく積まれた骨の山だったのだ。


 叫んだり逃げ惑ったりしなかったのは、骨だと気づいた私の反応としてはその場で最良だっただろう。見たこともない頭蓋骨や、肋骨、足の骨、そして、並んでいる脊髄のような物体。どれもこの世のものではない異常な形だった。


 たぶんもう少し年がいっていれば、そこからすぐにも離れて逃げ出していたに違いない。

 でも、愛華は離れなかった。骨の山をぐるりと十分ほど掛けて一回りし、骨のかけらひとつを手に取るなど、この物体の生きているさまに思いをめぐらせていた。


「こんなに大きな骨の生き物がいたなんてね・・・。ここは絵本で見た海みたいだけど、息もできるし、水の中のように苦しくない。なら、どうしてこの骨はここに山積みになっているのだろう?」


 骨に触りながら彼女はずっとつぶやいた。そのうち、なんだか骨が愛おしく思えてきた。


 かつて生きていたであろうこの骨は、今でさえ息を吹き込めば動き出しそうなのだ。手に吸い付く感触の小さな頭蓋骨を愛華はゆっくりと撫で続けていた。


 何を思うでもない。ただ撫で続けていくのが心地よかったからだ。と、撫で続けたせいだろう。不意に頭蓋骨が熱を持った気がした。


 それは生き物の熱。


 鼓動を感じる前の自分の肌によく似た熱。なんだか生きているようだ・・・・・・。ふと、そう思った愛華はみつめていた骨山から、手元の頭蓋骨に意識を向けた。


 骨は押し黙ったままで、当たり前だが自分の触れていたところ以外は冷たい。

 しかし、その骨の色の変化に気づいた。とてつもなく小さな色の変化で、目の前の骨と比較してもわからないくらいだが、かすかに、骨の触れた部分に薄緑色の文様が移っている。


「え?これって・・・・・・・・・・・・。私が触れたせい?」


 自分の手と骨をあわせると、その文様が鍵の文様と一致していることを確かめた。


 そう、鍵は自分の中に消えたはずだが、文様はうっすらと刺青のように浮かんだままだった。


 誰も答えない。それはわかっている。ならば、この答えを導くためには?愛華は考えたそして、自分の気づいた色の違いをよりよく見ることで答えを導こうとした。


 それが正解だったのだろうか?骨は触れたところの色違いに気づいたのを見計らったかのように、色を強めて音もなく四散してしまった。


 四散したかけらは、見る間に水に解けて形をなくす。同時にのどを通る水の滑らかさが増した。


 触れたことでの確証はない。でも、触って起こったこの変化を愛華は受け入れ始めていた。

そもそも、骨の山といったが、この山にあるのは骨の形をしたものだった。


 死のにおいが一切しない、無垢の塊とでもいうべきだろうか。硬い種のような感触が近かったかもしれない。


「触れるのは、一つじゃこれではたりないよね?」


 思い立ったように愛華は周囲の骨に触りだした。つかみかかるようにいくつもの骨の面に手を触れさせ感触を楽しみ、そしていくつもの光をあげさせる。


 だんだんと骨は山のてっぺんを覗かせ始めていた。光るごとに息が楽になり、緑はあふれる。そして私の足元にはいくつか何かが芽吹き始めていた。


 あの鍵を芽吹かせたときのように、螺旋を描く光の線がいくつも頭上に立ち上ぼった。

それがいつしか一本の幹のように太い束となったとき、私の目の前にはひとつの頭蓋骨が残っていた。


 最後のひとつ、なんだか今まで見た頭蓋骨よりも威圧感のあるそれは、空になっている目でこちらをじっと見ている。


 大きさじゃない、この頭蓋骨自体が山のてっぺんにあった理由も自然とそこで理解できた。

 触れるのをためらい、指先が後すこしでためらいがちに引いてしまう。


 背後からは光が明滅の脈動を繰り返す。いつしか白の空間に色があり、そして、私の呼吸に泡はつかなくなっていた。

 お互いが見つめあい、幾ばく。言葉と音ともつかぬ発声をしたのは骨だった。


「触れることで私は生まれ、思うことで私はあり、認めることですべてが生まれた。」


 骨は言葉を高らかに歌い上げ、草の文様すべてを絡ませながらひとつの器になった。

 緩やかに手の中へ落ちると、その器には草の模様がついた取っ手が現れ、次に中から本物の水が溢れ出した。


 器の重さはないに等しかったものが次々とあふれる水によってその重さを増して、耐え切れずに地面に置くことにした。

 ん?地面?愛華は更なる変化に気がついた。


 いつの間にか自分の足回りの色が大地に変わっている。あふれた水がこぼれ流れた先では何かの目が芽吹きだしている。


 驚きのまま事態はめまぐるしく成長していた。景色はもはや白ではなく、色が満ちだし自分の鍵と同じ緑色の世界がそこに生れ落ちていた


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