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Key1 白い扉5

 向き直ってから少し間をおいて、彼女はぽつぽつとつぶやくように話し出した。


「ことの始まりはどこからだったかしら……」


 そういいながら彼女は関野のしかめ面を見つつ話を続ける。


 愛華がそれは7歳のころにまでさかのぼるということを関野はメモを取りながら聞いていた。


 今にしてみれば遠くにあり、霧深く包まれたところにあるくらいに過去の話になるわ。

 あのときの後悔をいまだ引きずっては、私は、夕闇の異界に溶け込むことをやめる事は、できなかった。


「本当に夢物語かよ」

 関野のペンを握る手に力がこもり、僅かにボールペンがきしんだ。


「いらいらしても結構。だけどね、出られない事は忘れないで頂戴?最近は体調がよくなってきたから下手にあなたが動いたらあなたのせいにして体調が悪苦なることだってあるわよ」


 厄介すぎる言葉に、関野は思わず下唇を強くかんでから、そっぽを向いて咳をすると、


「続けろ」


 と、メモ帳のほうに意識を集中させた。

愛華はそれにうなずくと、語り始める。


 まどろみを抜け、いったん落ちて、眠りについた意識を新たな形で再構築させる。そこで、私は彼とであった。


「彼?何だ、登場人物紹介もなしにいきなり」

「黙って聞いてよね」


挟んだ側からぴしゃりと注意され、頭をかきながら関野はまたメモ用紙に目を向けた。


「やぁ、アイ。久しいね。君の時間でどれだけたった?」


「相変わらず不定形だな。私の中でまたまどろんでいたの?」


 会話が成り立っていないようで、ここでの会話はこんなもの。私が話すことは、彼には楽に伝わり、逆に彼の話すことも私には伝わる。


「そう、あの時から……」


 ため息のように言葉をこぼした愛華は、離している間、時折窓の外の景色を懐かしむように見ていた。


 過去、あの日、私はあの夢で彼に出会った。 夢は現実の逃避だとも、心理学方面からの考えもなかった子供のころ、飛ぶ夢を見ていた。


 近所の空を飛びまわり、どこまでも果てない上空に向かって飛び上がる夢。


 その夢を見たとき、電柱の上にいる影を見たことが私をこの異界、現界とはまったく違う世界へと誘うつむぎ手と出会ってしまった。


 はじめまして、というわけでもなく、彼は一人電柱の上で腰掛けて夢の中を覗き込んでいた。


 孤独感も、面白みもない顔。それが私の中の好奇心を誘った。 彼の瞳はどこかを見ていた。何をというわけでもないのに、何かを見ているのだ。それが何なのかはわからなかった。


「そろそろ、移ったほうがいいのだろうか?俺も、居過ぎた気がする」


 独り言を言ったあと、彼は座ったまま、ふぅっとため息をついた。そうして、ため息をつくと同時に体が透けていく。


「ま、まって?」


飛んでいた体を浮かせたまま、思わず私は彼に声をかけてしまった。消えた体がこちらを振り返って、そうして瞳がこちらみたとき、ようやく彼の体が何だったのかを見ることができた。


 揺らいだ霧のようだった体は私の視線を得て、固定化していくようにその形を定めていく。

 はじめに見たときのあの不可解な形は何だったのかはわからなかったが、とかく、あれを彼と決めたときに彼の姿は決まったと、今でも思う。


 年齢としては十代後半、格好はその、なんと言っていいのかわからない。……透明な袖のシャツ、それの上に羽織った後ろに長く伸びた先端に金細工のついたチョッキのようなもの、くるぶしで止められた弛みあるズボン、そして足先に靴はなく、素足のままだった。


「な、に?」


 言い留められたのを、信じられないといったように彼は私を見据えた。

 電柱に乗ったままの彼は、固定化した体を馴染ませるように、

幾度となく握りかえし、今ここにあることを自分で納得させるようだった。


 ようやく、彼自身の体が揺れていたのが納まると、彼のほうから私に話しかけてきた。話しかけた彼の声は姿と同じように、最初は掠れて、最後にははっきりとその重みを加えた。


「気がついたか。……珍しいことだ。こんな年齢で私の形を見定めるとは。そして、資格があるとは」


 本当に驚いたような素振(そぶ)りだった。見た目と言葉遣いが変だと後々から考えれば分かったが、彼の姿はその時はそれで当然と思っていた。なにせ、ここは自分の夢だったからだ。


「世は広いな、いかに現界との接点が薄いとはいえ、私もいささか気を散らしていたようだ。そして、独り言の後ですまない。初めまして。見し人」


 彼はしゃべらなかった言葉を一気に溢れ出させるように私に向かって盛大な独り言を言って、ようやく、挨拶をした。


 彼の言葉の大半は当時の小学一年に上るか、あがらないかくらいの私にとっては半分以上が意味のわからない単語の集まりであった。


 けれど、彼の言葉が何を示しているのかはかすかに感じていた。彼が長い間何かを求めていたことは。

 たどたどしいながらも、彼に私は質問を重ねてみた。


「あの、その、…。あなたは、私の夢の中で生まれた人?」


「いや、そうじゃない。さて、……。そうだね夢の中にしか居ないといえば正しいがそうでない。かといって現界に関与しないかといえば、そうでもない。 いやまったく、僕という存在は不確かこの上ない。

だけど、君に答えよう。僕は君の夢の中に生まれたんじゃない。僕が、君の夢の中に現れたのさ」


「?作られたんじゃないのなら、その、私の夢で生まれたんじゃなくって、別のところからやってきた?」


 彼はしどろもどろしながら答える私の回答を聞くなり、

 軽い音を立てて手をたたいて見せた。


 にっこり笑ったところから察するに、どうやらそれが正しいらしい。そうしているうちに、彼はくるりと宙で一回転して見せると、  腰の脇に涼やかな音色を立てる一総の鍵束をもった。


 そうして音をわざと立てるように、私の目の前にその鍵束を突き出してきたのだ。

涼やかに鳴らした鍵の束は、とても薄い霜の柱を束ねた音にも聞こえるほど透き通った響きを伝えた。

 そして、彼は私の前にさらにそれを突き出した。


「取ってみるといい……。君なら、取れる」


「何で?なんで?この鍵束からどうして、取れるの?どこにも開けるつなぎ目がないし……。それに、これどこがひとつの鍵なのかわからない」


 鍵の束はとても、細かな毛の束のようにも見える。かぎ一つ一つがとても細かく、そして、くっつくようにして連なっているので、鍵は空いている隙間など無いのだ。


 迷っている私を、薄く微笑みながら彼は見ていた。まるで、さぁ、早く、とってくれ。と、そういわんばかりに。


 私は、恐る恐る手を伸ばした。空中で浮いたまま、旋回する鍵の束にそっと、指先を滑り込ませた。

 鍵の束は見て感じたとおり、とても滑らかで、それでいて砂糖粒に触れたような微細な凹凸を感じさせた。

 どれかひとつを取ろうとしても、この鍵はなかなかひとつで取れない。

 すべるたびに何枚も重なり、時に力を入れてずらそうとすると、紙をずらす如くにさらに分裂する。

 つかめないもどかしさから、ついに、鍵をひとつにすることを諦めて、私はその中のひとつに思えた鍵を抜き取ることにした。


「ね?これとっても、いいの?本当に取れるの?」


「取りたいって思えば、あるいは鍵が取れると思うなら」


 彼は変わらずに微笑んだまま私を見つめている。そうして、差し出した鍵束に顔を向けると、いつ取れてもおかしくないという感じで、じっとその鍵束と私の指先を見つめた。


 取れるはずだから、彼の言葉はとても取れる響きには取れなかった。でも、取れないというわけでもなかった。何でなのか、彼の言葉からは何も取れない。


 ただ、言葉をこちらに投げかけてくれるだけ。

 私は、取れるという、彼の言葉を信じた。

 只信じた。


 取れるという言葉がどちらにまったく傾くわからない状況での判断なんて初めてだったが、それでも、私はありえないかもしれない言葉をひたすらに信じた。そして、ともすれば壊れかねない鍵を自分に向けてチカラをこめた。


リィ   ン


 触れた指先に残る鍵は、つながっていた輪の部分のところだけを崩して私の指の中に取り残された。


「こ、こわれ」


触れた指先の感触のまま、そこに白く白く残った鍵が私の手のひらで形のままこぼれた。

 と、それは金平糖のように崩れ、砂に変わり、そしてついには私の体の中に吸い込まれてしまったのだ

崩れ吸い込まれた鍵は手の内から淡い輝きを見せながら明滅している。

 吸い込まれた感触は指の間に砂が通り抜けるようで、それがもぐりこむ痛みは一片たりとも、なかった。


「な?なんで?はいっちゃった。……はいっちゃったよ」


もちろんあわてにあわてた。体の中に鍵がもぐりこむなんていう異常現象、大人でもそうだろうけど、7歳の私にはもっと受け入れがたい事だったからね。

鍵の光を宿した手は、夢の太陽とは違う白を放ちながら、掌から私に向い根を伸ばしだした。


「ああ、久しい。幾年、幾年月、どれだけ会わなかったんだろうか。ああ、久しい」


 鍵束を腰に戻した男は、感銘深く言葉をこぼした。そうして、愛おしそうに、私の手の中で宿る光が浸食をはじめ、変色し、変形を重ねていくのを見つめている。


 痛みも何もないこの変形は、私の中で鍵が化学反応を起こしているようにも見える。

 けれど、痛みはない。私自身を傷つけるでもなく、ただ、掌から腕へと侵食を進めながらひたすらに変わっていく。

 変色を間近で見ながら、私は鼓動が跳ね回るのを押さえようとしていた。何が起こっているのか、考える事ができない。


 そうこうするうちに、鍵の光で背景の私の夢さえも、形成を新たにしていた。

 形成が始まった空間は只純白で、三次元である事が確認出来るだけの空間だった。重力、光、大気、全てが不安定。


 鍵ののたうつ輝きを見ながら、周りの空間と、何処でもない場所に座っている男とをみながら、オロオロとする事しかできない。


 形成はその間にも進み続け、白の空間は、夢とは根本が違っているように見えた。私の夢でなく、しかしそこにあるだけという空間。

 すえば肺に絡みつくような呼吸、着いた足場は水上を踏むよう。鍵の腕から感じる重力波は絹羽の手触りを思わせる。


             ドクン


 急速な変貌の中、一つの鼓動を私の中から聞いた。

 と、痛覚を感じるまもなく、手の中で私の肉と交じり合っていた鍵が、私の手を触媒に育ち始める。

 先ほど感じた鼓動の正体が、手の甲に薄い萌黄の曲線を浮かび上がらせる。

 それは、草葉の細字を刻み、怪しく花開くつぼみだった。


 手の甲、草葉の文字の中心は脈動を残しながら手を波立たせ、白色から、萌黄、翠、木緑ともいえる色を纏って、生まれてきた。


 力強く抜け出る鍵の頭部は白空間を映し出す虚空を孕んだ玉、それをがっしりとつかみ支える腕、宿木が絡みつくような鍵の腕には持つ手が幾重にも蝶の羽のようにつき、鍵先にゆくにつれて、


それは螺旋を模すように身をくねらせ、最終的に完全な姿を現す頃には、何の錠前をあけるのか分からない形状の先が完全に抜け出た。


 抜けきった鍵の異形さに圧倒されるまま、自分の目の前を鍵は浮遊した。

 そして、私は鍵自身を、いや、鍵の珠玉にはじめて見る、彼女であり

 己の会ったことのない部分を見た。


「これは・・・・・・いえ、この鍵は私なの?」


「察しがいい。察しがいい子は嫌いじゃないね。案外これは・・・・・・なんとやらかもしれないねぇ」


 彼は鍵束をいつの間にか腰に戻し、白空の大気に座り続けていた。

 振動を続けていた空間の安定は、鍵が顕現しつくしたと同時に収まりを見せる。


 今思えば、あれが世界が生まれるという胎動のようなものなのかもしれない。

 言葉で言い尽くせぬばかりではなんともいえないが、鍵が生まれたことは、そこに一つの世界が生まれたことと等しかったように私は思えたのだ。


 鍵を中に浮かせたまま、私はどこにも居ないはずの自分を見ていた。

 それは決して見えないところにはないのに、見つけることが難しい。そんな雰囲気を漂わせている。

 鍵の不思議さに気を奪われていたが、唐突な変化をもたらした鍵の持ち主の名前さえ、自分は聞いていなかったことにはっと気づいた。


「あの、いまさらなんだけどあなたってだれなの?私の夢の外から来たおにいちゃん」


 鍵を持ったままの私を見ながら、彼は降りるしぐさをして、一跳びで私の目の前に降り立った。

 そして、ゆるりと袖をたわめつつ私に向かってこう言った。


「私は、あるいは俺は、守人であり繰り人。またヤウヌーツであり、イトヒラキノヌシとも呼ばれる。好きに呼んでくれればいい」


どれもこれも、ちょっと、こむずかしい。

うーん と軽く唸った後、私は彼のこむずかしい名前など考えもせずに、勘でいきなり彼をこう呼んだ。


「シュウラ!なんかそれっぽいもん、だから私にとって、あなたはシュウラ!シュウラに決まりだからね!」


別段驚きもせずに彼は、そうならそれでいいよと造作もなく返すと、手近の扉を開け放った。

消えていたはずのまっさらな空間からいきなりドアノブをつかみ出した、というのが見ているほうとしては正しいかもしれない。すると、眼前には一室の陽だまりのあたる喫茶店があった。


「君がこれから好きなように扉を開けるがいい。鍵はできた。ほかのどの人間のものでもないお前だけの鍵が」


できた鍵でどの扉を開けてもいいといった彼は、私の中にできたのか、はたまたまったく別の空間なのかは分からない喫茶店のテラス席に座っていた。


 シュウラは常にどこか異質だったから、だからこそ好奇心を刺激させられていたのかもしれないと思う。


 はっとして扉に駆け寄ったが向こう側は一枚絵と化している。二次元の景色がそこにある。それでも私は彼の要る空間に行こうとしたが、伸ばした手は届くことはなかった。

 扉の中の入ることのできない一枚絵、彼の空間はもはや私のものではなくなっていた。


「夢というのはね、人によって定義が異なる。現実からの逃避空間、願望の実現空間、ねじれよじれて人の望みと欲が眠りの中で異界を作る」


 笑うようなのどを鳴らす音ともに扉の枠が分解をはじめ、こちら側とあちらへの通行をできなくしていた。シュウラはそれにかまいもせずに言葉を続ける。


「だが、稀に、ごくごく稀に、そんなことかけらも望まずに真に別世界の扉をたたく人間がいる。それが私を見ることのできる人間だ」


 声音ひとつ変わらない。壊れた木枠の小山の中で、一枚絵はひとつ写真となっていた。


 シュウラは手には白い陶器のティーカップをいつしか持っていた。だが、中身が入ってないのだろう。中の白い空間をこちらに向けると離れたカップは、指先でゆらゆらと振られている。


「わたしはなにをえらんだの!!私はいったい何をしてしまったの!!?」


 答えるはずがないとわかっていてもたたきつけた。彼は問いを浮かせ、私に続ける。


「鍵を取れた人間にもはや選択肢は存在しない。異界を見たのならば、そのすべてを見るがいい。人外魔境、透遠山河、それがお前に課する仕事だ。もっとも私にとっての、にもなるがな」


 言うだけ彼はいうと、一枚の写真はひらりとひるがえり、物の隙間にすべり落としたように、空間の隙間に落ちた。


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