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Key4 終章 夢刻の奏門3

 その出来事は、愛華が思っていたよりもよい状況を運んできた。


「君には強い薬を投与しすぎたようだね。すまなかった」


「別に、気にはしていませんから。だってそういうことになるのを知っていてああした行動を取っただけですもの、そして薬が強くなるのも分かっていました」


 薬液での失血があってから慌しく病室を看護婦が訪れて、患者が叉管を抜いたの何だのと騒ぎ出したのも、どうでもいいことだった。主治医である医者が駆けつけてきて騒ぐ看護婦の隣で薬液が抜けたあとの愛華の傷跡と濡れた髪、そして顔についた薄い血の色を見て手当てを優先させてくれたおかげで愛華の点滴が故意ではなく、眠っている間に起こった事だと判断されたのは運がよかった。実際、眠りについていたわけだからそれ以上追求されはしなかったのだ。


 看護婦はまだ何か言いたげであったが、愛華がナースコールを押したのは事実だし、乾ききっていない血が付くボタンを見てしまっては助けを求めたようにしか見えない。


 過去に逃亡を図ろうとしたり、常軌を逸した言動をした患者ではあったが死のうとした事はなかったので、昨晩の点滴が外れたせいで貧血を起こしたから意識が朦朧としたのだと言う話に昨晩彼女が寝静まってから決まったらしい。

それを朝食後の回診に聞かされているのが今である。


「そのことも、聞いたが。君は何でああいった行動を取ったのかな? 出来れば教えてもらいたい。最近になってようやく君の感情の昂ぶりも押さえられてきて、人と長い間はなす事もできるようになってきた。どうしてかな」


 担当医はその白衣につけていたボールペンを取ると、愛華にそう穏やかに尋ねた。片手にあるカルテには速記で何やらが記されており見ても読めない。愛華はおきてからもまだ残る薬の効果のせいでだるいまま背もたれに埋もれて医者を見ている。

 その顔をみながら枯れた声で医者に顔だけむけて言った。


「単純よ、外で音がしたうえに、私に良くしてくれている見舞いのお客に暴力をふるったから。あとは、すこしは今いる場所から出たいと思ったから」


「なるほどなるほど、君は治る事に対していい方向に向かっているんだね。よかったよかった。なら、また面会できるようにしておこうか? 」


 医者の発言はどろどろとした愛華の脳内でもはっきりと形になるほどに嬉しい言葉だった。すこし見開いた目に、医者はいい反応だと大きく頷くと愛華ににこやかに話を続けた。


「そうだね、きみが嬉しそうで何よりだよ。君がああいった行動を取った理由もわかった、それに、君が殴ったあの男性についての話も警察や、ほかの看護士から聞いてね。

 僕は見てないけど、どうやら最近君が辛くなっていた原因にもなる事を彼はしていたそうだね? 」


 誰かに見られていたのだろうか? いや、あの声と扉の前で色々やっていたのを見咎められてないはずがない。愛華はそう思うと、小さく頷いてみせる。

 医者はそれに頷き返すと、やっぱりそうかと、顎に手を当てて困ったように眉尻を下げてみせた。


「看護士から聞いたのは、半分は大げさだろうと思っていたよ。なにせ、君の病室に入りたがる記者は最初の一月ほどであれだけの数だった。そのために措置として謝絶と言う形をとったのは知っているね? 」


「ええ、私も入れるつもりもありませんでした。でも、誰かと繋がりは欲しかった。もう、私は一人ですから」


「ああ、そうだね。そうだった。僕も辛い事を言わせてしまったね。大丈夫、もうあの男は此処には来ない。君があの男を避けていた理由も分かったし、君が仲良くしている見舞い客のおかげで体調が回復したのも聴いて、あの時この目で確かめさせてもらった」


 塚本の動向が暴力的だった上に関野にまで被害を出した事で、病院側としてもそういう男には遠慮してもらいたいところだろう。事細かには言わなかったが、どうやら塚本に対しては今後病院側から個人請求として備品や暴力行為による名誉毀損などで訴えると言う事らしい。手短に医者はそう言って、カルテのページを静かに閉じると愛華の開き始めた目を見つめてペン先で頭を掻きながら言った。


「そう言ったことで、昨晩の自分から点滴の不具合を言い出したことや、君が大切な人を助けようとした行動は君が外でも暮らしていけるいい兆候だと僕は思ってね。もしよければ、今後は面会の制限を外して、点滴もやめようと思うんだが、どうだろうか? 」


 その言葉に、愛華は穏やかに微笑み返していた。


「先生。すごく、うれしいです。私はやっと薬なしでいられるようになるんですね」


愛華はそういうと自分の手のひらを開いたり閉じたりしながら、そっと頬に当てて唇をゆるく上げた。ゆっくりと笑うその穏やかな顔をみて、肯定したとみた医者も微笑み返すと、カルテに丸をひとつ描いて愛華へ手を振りながら部屋をあとにした。

 あとに残った愛華の手は頬に当てられたままで、医者が出て行った後でも頬に触れていた。そうして時計とセミの声を背景に、数分して頬から手を離してこう言った。


「笑い顔、きつくなりすぎてなかったかしらね」


 愛華の微笑みは緩い笑いから確信をもったことへの自信で、大きく半円を描く喜びを表していた。頬から離した手にも震えが走り、続くように声を押し殺した笑いが腹の辺りを痛くして漏れてくる。


 それは、好機を喜ぶ笑みでもあった。愛華は面会を許可されるとは思ってもいなかったのだ。元はと言えばあの塚本と言う男が引き起こした自分の発作だったが、悪化していなかったかといえば、実はどちらとも言えなかった。


 関野が来る前にアイツが言った言葉にぶちきれたのは事実だが、だからといって精神錯乱の状態にまで陥ったわけではない。看護婦たちが勝手に判断したところもあった。

 

「ふふ、ふふふふ。あの時はしばらく彼とは話せなくなる事を承知でやったけど、まさかねぇ? こんな事になってくれるとは思わないじゃない」


 愛華は小さく窓に向かって呟くと、堪えきれない笑いを大形だけで笑う事でおさえようとした。ベッドの上から降りると、まだふらつく足に力を入れて日が差し込んでくる窓辺へと彼女は立った。ドアから誰かが来てもその後姿は、窓で外を眺め手いるようにしか見えない。華奢で儚げなとでも形容できるだろう、だが、窓側から見た彼女はその言葉とはまるで逆の形だった。それは豪胆、そうして昂然と言うべき笑みだ。

しかし、その笑みの形はくずれると、恍惚としたように愛華は天に向かって笑った。さながらその顔は狂ったように笑っているようにしか見えなかっただろう。口からでるのは喉で笑う小さな破裂音のような笑い、セミたちがその破裂音も聞こえないほどに鳴いている。

 彼女が思っている以上、事態の進行速度はその結末へと向けて転がり始めていた。


「さぁ、どうでるかしら? ねぇ、関野さん。もうすぐ、もうすぐなのよ。私が約束と、いえ契約を果たせるのは」


 愛華はそういうとまだ頂点に上るには遠い太陽をまぶしげに見上げていた。そして、必ずやって来るであろう探求者をじっくりと待つことにしたのであった。

 白い病室はじっとりと汗ばむ熱気が忍び寄ってきているのも関係ないように、ひっそりと窓から差し込むところ以外では冷気をためているようだ。どちらが何処へ転がるか、それを知っているのはこの部屋だけかもしれない。



 高音の機械音、それが何度となく鳴り響いている。耳に入っているはずの音をかぶった毛布の中から聴いていた。もう日は昇っているし、携帯の着信も多数来ている。

だが、流れ落ちる汗にも構わずに眠ろうとしている男がいた。紛れも無く、それは疲れきった関野だ。

 病院からの処置を受けてから彼の時計で六回目の目覚まし音になるだろう。目覚まし音はもう二十回ほどなっているが、消す気にもならない。時間の過ぎる長針がずれる音がしてから、けたたましかった音は止んだ。

掛かった毛布越しで天井を見ている関野の額には汗の粒が浮かんでいて、その玉はすこしこけた頬を伝って落ちていった。暑苦しいほうが現実だ、そう言い聞かせながら脱水症状にはならないようスポーツ飲料と、買いだめしてあった簡易食品で病院から戻っての間、彼は自堕落とも言える生活を送っていた

腕で毛布を押しやって木目の天井をみれば、小電気のついたままの明かりが昼間の日差しに負けているのがわかる。じっとそれを見ていた関野は、むくりと起き上がると汗で濡れた服と顔を洗いに洗面台のところまで歩き出した。

病院での愛華の事件、続くように市田氏によって語られた別の事実と事実に近づくたびに現実はどんどん遠くなっていってしまう。石鹸の泡があまり立たないまま水を出して、そのぬるい流水を顔にかけて息を吸った。


「っぷう」


 洗いづらいと思った自分の顔の無精髭は結構な長さまで伸びていた。あまりいいひげ面とはいえないそれを見て、関野は持っている電動剃刀でさっそくそれらをそり始め、つけた泡が切れ切れになる頃にはやっとまともな顔になることが出来た。

 だが、鏡に映っている自分はまともなのだろうか? 不摂生がたたっていたのもあってか、やはり水分不足もあってか、その顔はこけて以前はしっかりとついた肉も薄くなっている気がする。いくら顔をなぜても変わりようは無いので、叉部屋に戻ろうとして脱ぎ捨てた上のTシャツを足元に感じて足でどかすと、シャツの下で床の色がすこし変わっているのが見て取れた。


「今日は。……何日だ? あれから」


 そう呟いて、上半身を晒したまま関野は部屋に戻って箪笥をあさり新しいシャツを探し出すとおざなりに着ると、布団の上で胡坐をかいて座り込んだ。

カレンダーを見れば、既に日数はあれから結構たっているのが分かる。洗ってきたあとの布団の周りを見れば、周囲にはメモ帳と、それから分かりそうな予想を書いた紙が複数、いや、数十枚は散らばっていただろう。その中心は布団だった。

六日前、もぐりこんだままで、見向きもしないようにしていたその皿に書き散らしたメモの散乱を、関野は見ないようにしていた現実を思い出して、自分で息をしている事でさえ信じられなくなって着ていたから放棄していたのを思い出す。


「そうだったっけっか。いや、だが」


 言葉にならないままで、やっと起きて動く気力が出た関野は、この惨状を何とかする事からを手始めに動き出す事にした。

メモの散らばりを見ながら、ゴミが散らばっているかのようなそれをどう扱おうかと思いつつも関野はその資料を整理し始めた。

散らばった紙一枚一枚に極力目を通さないようにして、壁際にまで散乱していたそれらを集めると、一冊の本ほどの厚さになるほど散らばっていた事がわかった。見ようとしないでいたがやはり見えるものも中にはあり、特大のバツ印が付いて、違うと大きくかかれたものや、赤字で大きな赤丸でいくつも囲ってある項目なども見えた。


「アイツが一体何をしたいのかについて、か」


 読まないようにしていたはずなのに、目はいつの間にか文面を追っている。現状把握など望んでいるはずが無いのに、関野の手は次の紙をめくって、殴り書きで読めないと見るとすぐに捨てる。それを繰り返していき、何でこうなったのかについても思い出していっている自分が信じられなかった。

 市田氏のことについて書かれた複数のメモ書き、そこには関野が導いたひとつの考えがあった。

 市田氏は確かに精神的な負荷に耐え切れずに、あのような状態になったと見て正しいだろう。だがその先にある文面は、自分でも書いたと思えない内容で、それは読むごとに口から自然と形になって出て行った。


「市田氏の、あの思考状態ではまともに考えていると考えるのは無理。だが、それではどうして彼があの夕日を知っているか? 仮定、それは、俺と同じ形であの世界に入った。

 しかし、それは不可能。彼は扉の外でといった、状態が違う除外」


 思っているよりも形になり出て行く言葉に、自分が何を考えているのかを考える事を、関野はやめていた。今はただ、ページをめくりそれを得る事だけに集中するように、自分に働きかけるだけでいっぱいになっているのだから。

 水分不足の割には、めくる指にはもうじんわりと汗が滲んでいて、乾いたページに張り付くと感嘆にそれははがれていく。


「次、の仮定。では、何故彼は俺と同じ景色をみたか?

 俺が見たと仮定している世界、では、見る条件は? オレンジの光を真っ先に見た点では共通する。しかし、空間に入ったときの色は違う場合もあり、相似ではあるが同じと言い切れない」


 そう呟きながら次々とめくられていくページの最後、そこで、関野の指はとまった。

 そのページに差し掛かってしまうと、自分の言葉も止まってしまう。それは、あり得ない、あってはならない仮定だったからだ。それでも、関野は固まっていた唇をほぐすように何度か噛むと、言葉をつむいだ。


「もし、もこの俺たちの共通点が、違う事だと、仮定したとき。絶対的な相違は、化け物の存在だ。

 化け物の姿を見ていない俺と、化け物を見たと言う市田氏。それが市田氏に向けてはなった言葉。思いたくは無いが、愛華の話が、もしも、事実ならば」


 最後の行に通じる文字は、自分が今震えているのと同じように大きくぶれていたが、関野にははっきりと読めた。

 そこには、『シュウラの存在を認める必要があるかもしれない』と、書かれている。


「そんな馬鹿な事があってたまるか! 」


 関野はそういうと、持っている自分の資料の束をまた壁に投げつけた。雑誌の厚さの紙束は壁に当たる前に散らばり、壁際のあたりに降り積もると、紙同士がこすれあう音が響きあいながら関野の部屋に響いた。胡坐をかいていたまま後ろの布団の上に倒れると、一度思い立ったあまりに奇天烈な自分の発想のせいで、此処まで混乱していた事が思い出された。


 煙草をくわえようとしてケースをのぞけば、もう既に煙草はない。天井の木目をみていても一度自分が導いた考えを否定しきれる要素もない。何もかもが手詰まりに近い状態だった。


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