Key1 白い扉2
「ここ、ねぇ。辛気臭いところだ。正直、なんで俺みたいな追っかけ記者にお鉢が回ってきたのやら。気が知れんね」
呟いた煙を最後の一服にして、入り口前の吸殻入れにタバコを消し潰すと、朝の空気にはかなり不釣合いな病院の中へと、足を踏み入れた。
病院内は患者がそれぞれの科に続く廊下を忙しげに行きかい、少し落ち着き始めたところなのか、入り口付近は人の行き来が少なく、関野が入った自動扉が砂利をはさんだ音を起てて閉じる音もそんな廊下の足音にまぎれて病院の一部になった。
とりあえず、目的の人物のいるという病室を聞かねば。受付を探して目を動かすと、白い服を見た。玄関の前で整然と並んだ受付機械の横カウンターには、せっせと動いている白い服のナース。
患者の受診順番の整理を行っている看護婦は俺が近づくと、受診表から眼を上げてこちらに答えた。
「おはようございます。新患の方でしょうか?それとも、お見舞いの方でしょうか?」
「ああ、見舞いです。えと、ここ最近入院した奇跡の患者に会いに来たのですが。何号室でしょうか?」
と、途端に看護婦が固くなった。
「え、あ、……ああ。そう、なんですか。記者の方ですよね?」
ついで眉も少しきつくなった。あまり歓迎をされてないらしい。
この手の記者がさぞかし多かったのだろう。病院内まで構わずにやってくるウィークリー関連の記者、突撃を専門とするところが来ないはずもない。数ヶ月前のこととは言え、病院自体に大勢の記者が押しかけていたのはテレビにも映っていたことだった。嘘を付く気もないし、断られたらどうとでも言い訳がつく。 看護婦に聞かれたままに、俺は答えた。
「ええ、実真東の記者です。無理ですか?」
「いいえ、構いませんけど。またですか。……部屋に入るときは細心の注意を払ってくださいね。その前に、入れるかどうかも分かりませんが」
「はぁ?患者さんに、攻撃でも受けるんですかね?」
軽口の俺の返答に、看護婦の唇がきゅっと締まり、震える声がソレに答えた。
「えーと。それは、違います。」
そういった彼女は、口元をつぐんで逡巡した後、なぜか声が和らいだ。
「患者さんは攻撃もしませんし、唯そこにいるだけなのですけど」
一拍、軽く咳をして、看護婦は哀れむように俺を見た。
「来た記者の方をえり好みして、扉の前に来た途端に『入るな』って言うのですよ。もっとも、入れって言われた人なんか見たことないのですけどね」
「あれ?じゃあ、他社が出した記事は?直接受けたことになっていますけど、毎日々(まいひび)新聞なんかは」
看護婦は、俺がそういったのを聞いて今度は気の毒そうな眼で見てきた。朝っぱらからこんなに色々見られるなんて、いや、俺はどんな相手を取材させられているのだ?
確かトラックと普通自動車の玉突きによって起こった事故の爆発の巻き込まれながら、骨折だけで済んだ患者の体験を聞かせてもらうだけだったはずなのだが…………。
「そうか、そうか」
納得したように看護婦は一人頷いた。よりいっそう哀れみというか、同情というか、あまり見られてうれしくない眼差しが向けられる。
「あなた前みたいな新米記者さんなのね。それにしては汚れているけど。まぁ、いってみなさい。どうなるかは分かっているけど。くれぐれもドアを叩たきつけるような真似とかはしないで下さいね。患者さんは、心療内科の別館三階三一八号室です。」
看護婦はそういうと、ソソクサと資料整理に戻っていき、後に関野だけが納得のいかないまま残され、疲れた表情にはさらに、不快感を表すしわが刻まれた。
不快感を持ったまま、階段を重く上っていくと、心療内科の黄ばんだ色の札がかかっているところまで来た。
病院の中でも、ここに居る人たちはそれぞれ、抱えた悩みが違う。 何が在ったのかは分からないが、現状では自分の思考や感情を支えられなくなってしまった人たちがここで疲れを癒している。
関野の心療内科についての意識はそれくらいだった。
しかし、それなら、事故の患者が何故ここに居るのだろう。心身にそんな支障はないと報道されていたはずなのだが。……
疑問符を浮かべたまま、関野は病院の階段を一足一足、患者の部屋へ向かって踏みしめていた。時折聞こえる悲鳴のような鳴き声に、びくりともするが、構わず三階までの階段を上りきった。まだ眠気が払えてないのか少し足元がふらついて、階段の手すりをつかむ力が強くなる。
(体を動かしてないわけじゃないが、いかんせん寝不足でまともに歩けないな。)ふらついた足元を見て、自分も若くないのか?と思って少しばかりへこんだが、頭を振って眩暈ごと眠気を放ると髪の毛を握るように頭をひと掻きして、階段の3階踊り場を離れた。
階段を上りきって踊り場を抜けた先、ナースフロアがようやく見えた。人は少ないが、消毒薬と薬物の匂いが一段と濃く香った気がして、関野は微かに咳き込んだ。
吸い込んだ空気が少しだけ違う。病院の空気も、場所で感じ方が違うのだろうか?
そうして、昼間だというのに、ひっそりとした午後の昼下がりを思い起こさせる廊下を三一八号室に向かって、足を進めていく。そして、とうとう問題の三一八号室の前に付いた。名札のかかる個人室、『三一八号室 個人 佐原愛華』の前に。
どういうわけか、看護婦さんがすっごく気の毒がっているのは、薄汚れた関野さんが、下っ端新聞記者だと思ったからですね……。無精ひげ生やしてクタクタのスーツじゃ、そう思われますよ、関野さん。