Key3 紐鎖の岐路5
それよりすこし前の時間、愛華は扉をじっと見ていた。関野が旅館を調べに行くといってからまだそんなに日が立ったわけではないが、いつもだったら一週間のうちで二~三回しか来ないはずの毎日々の記者が扉の向こうでまた話しかけているののだ。
「でな、佐原さん。俺の言う事わかるんだろ? だったら俺の話に少しくらい耳を傾けてもいいと思うんだ、な? 情報の提供が一人だけなんてそんな、独占的なことは許されてないんだぜ。だから~~~~」
関野が言っていた対処方法を考えておくべきだったと、今更ながらに思う。まだこられてから数十分しかたっていないのに感情が昂ぶって神経に負荷が掛かっているのがわかるくらいだ。
扉の向こう側で話し続けている塚本という男に扉を開けさせるつもりなんてさらさら無い。が、ナースを呼ぶには彼の話声は一時期よりも随分と場所を心得ている。おかげで叩き出すにも叩き出せない。
扉に枕か、隣に置いてある花瓶を投げつけてやりたいが、折角落ち着いてきた病状とやらが不安定になったところを医者に見せて入院が長引くまねをしたくなかった。
「っ。嫌な客ね、彼の言った通り。かといってあの数ヶ月間の時とはまた状況が違う」
枕をかぶるようにして愛華は小声を布団で音を殺していた。塚本が軽くドアを叩く音も鬱陶しいが、黙っている以外に術は無い。
ドアを開けられて入ってこられるのは嫌だ。実際には鍵を掛けられる作りではないが、精神状態の不安定さを理由に医者が入るのを禁じていたからこそ、ドアの向こうとこちらを隔てられた。
だが、昨今の関野との会話での状態改善が認められるという事で、いまでは許可を取られたら……。
枕から顔を上げて扉を背に、窓の外をみる。おまけに今日は調子の波が特に悪い日和でもあった。息をついて布団を引き寄せて身の内からにじみ出てくる悪寒に耐える。
「ちがうの。違うんだったら」
低く言葉にならないほど小さな声は、僅かにあふれてからベッドに落ちて染み込んでいった。その間にもノックの音は響いてきて、断続的なそれは豪快に叩かれていたときよりも恐怖を引き立てた。
悪い予感についての的中率は、愛華は抜群だった。布団を替えていた看護婦が病室の前を塚本がちょうどいる時に通りがかったのだ。
「あら、貴方も面会の方でしょうか? 」
その発言に塚本は目を細めて笑顔で看護婦に返した。
「ええ、面会したいんですが入れていただけなくて、向こうが認めてくれないと入れてもらえないんですよね。こちらの患者さんは」
「まぁ、面会でしたら時間は少ないですけど可能ですよ? 最近別の記者の方とお話しする事が出来るようになりまして、状態も良好ですからどうぞ? 貴方も彼女の助けになってくれるとうれしいのですが」
善意の看護婦はそういうと、愛華の部屋の扉を何度かひねると、部屋へと塚本を通した。会釈もそこそこに塚本はすぐに愛華の部屋へと入る。
窓のほうを向いている愛華はこちらのから表情が見えないが、部屋で先ほど動く気配がしていたから間違いなく、起きているはずだ。
「やー、こんにちは。久しぶりになりますか、私毎日々新聞社でライターをしている塚本 将一と申します。実は貴方が実真東の記者の方と話が出来るようになったという事で、よろしかったら私にもお話を」
塚本は言葉ぶりを優しくして、足音を潜ませるように愛華へと歩み寄っていく。ゆっくりとした足取りだがその顔は獲物の喉笛に噛み付きそうな笑顔だった。
が、塚本が近づいてくるのにも反して愛華は一向にそちらを向こうとしない。おびえているのだろうと高をくくって愛華と正面から話すために前に立ってみると、髪が顔を隠している状態でよく見えない。それにも構わず、塚本は愛華との距離を縮めるようにそばに寄り添う形をとった。
「佐原さん、きっと貴方にも辛いお話だとは思います。でも、貴方も事件を解決したはずです。ですから、すこ、ん? 」
傍に行っても反応がほとんど無い。むしろ誰も寄せ付けなかった彼女にしてはおとなしすぎる反応だ。塚本がその髪を書き上げてやると閉じた双眸に軽い寝息が聞こえ、窓を眺めていた形のまま彼女が眠りについているのが分かった。
「いやだなぁ、佐原さん。寝たふりなんてしなくてもいいじゃないですか」
そう言って彼女の肩を軽く揺さぶりを掛けてみるが、揺さぶられた愛華の体は寄りかかっていた背もたれからずれて布団に倒れるだけだった。寝たふりを続ける気なのかと更に揺さぶっても、寝息が聞こえるばかりである。
更に別のところに触れれば起きるだろうと塚本が彼女の頬に触れても、起きる気配は無い。軽く叩いたり鼻をふさいだりもしたが眠りから目覚めることはなかった。
それを見て大きく舌打ちをすると、塚本はあろうことか愛華の胸元に手を突っ込んだ。寝たふりをしているならこれで目が覚めるはずだ。だが、入れられた手が下着の上でうごめいても愛華が起きる事はなかった。
起きない相手にこれ以上のことをしようとすれば、看護婦がまだ近くにいるはずであろうここでは見つけられれば犯罪者になりかねない。胸元に突っ込んでいた手を抜き取ると、動かない愛華の横から伸びた髪を数本引き抜きそれでも起きない愛華を見下ろしながら塚本は悪態をついた。
「さっきまで起きていたはずだよなぁ。一体どういうことだ。わざとらしく大人をからかおうとしているにしては、おきねぇしな。ついでに不感症か? 世間のいろはもしらねぇ餓鬼が俺の質問を避ける事がどういうことになるか、次に来たときには覚悟しろ。その化けの皮をひん剥いてやる」
そういうと、抜き取った髪をゴミ箱に突っ込んで捨てると、塚本は病室から荒々しく立ち去っていった。
残っている寝乱れた状態に等しい愛華からは、まだ寝息が聞こえている。セミの声が静まった病室に響いても、愛華は眠りから覚めなかった。いや、覚められなかったのだ。
「きっしょく悪い感触がしたけど、アイツあたしの体に何をしたのかしら」
「さぁね。今は僕も向こうを見てないから何とも言えないよ。アイ」
同じ形の病室で二人の話し声が響いた。とはいっても、そこは愛華の夢の狭間での病室でだ。
塚本が寄ってくる足音を聞いていたとき、不意に意識が遠くなり音も視覚も斑になったのを感じた、気づいたら愛華は布団の上で動かずに色彩を変える病室に落ちており、目の前にはシュウラが座っている状態。急激な眠りは目の前にいるシュウラが引き起こした以外考えられない。
「で、どうして私をいきなり引き込んだのよ。貴方こっちには干渉しないんじゃなかったの? 」
「あれ? 君は都合が悪そうだからわざわざこちらに引き込んであげたのにね。今来た奴とは波長もソリも会わないように感じていたのだけれど、僕の気のせいだったかな」
「礼は言うわ。ありがと、それでおしまいよ。でもなんで呼び出すのよ。それだったらもう用事なんて無いじゃない」
愛華はそう言って、自分の意識を目覚めさせる為に集中した、だが起きるまでにはいかない。引き起こされた雑音のような五感全てに響くノイズ、意識が乱れて眩暈がした。
そう、彼は何処にも座らずにまた空間に座っていた。重みを感じない体で空間に座っているのだ。そうしてこちらを見つめ続けている。瞳を開かずとも分かる、昔に比べて彼の目は感情が出るようになっていた。それは楽しみを輝かせて、さぞ面白そうに自分を見つめているのだろう。浮かんだ空間の反対側は彼女の空間ではなくなっているのを感じ、更に連なる圧迫感に再度目を見開いた。
「呼び出したのは助けるだけじゃないって言いたいのかしら? だから邪魔をする」
愛華の喉の奥から唸る怒声が吐き出されていく。怒りをはらんだ声にも、返す声はまったく感じないように明るかった。
「そう、今起きるにはまだ早いね」
シュウラの目線は愛華の右手に注がれていた。今は袖まですっぽりと服が覆っているが、愛華は目線に気づき急いでその左半身をシュウラの目線から遠ざけた。
「知っているでしょう。私がこの空間で貴方と隣り合せで居る時は、すぐにも目が覚めたいってこと。まだ約束は果たしてないし、その時は来てない」
ベッドの側とシュウラが座っている空間側の空気が激しく撓み、脳髄にまで響きそうな重金属が共鳴する音が響き渡る。それは、どちらかが空間を飲み込もうとする作用で起きる空間の喰らいあいだった。
視認する波紋以上に互いの空間が大口を開けあって支配権を争う、シュウラ側の空間は愛華が居たときと同じ白を基調とした一室を保ち、愛華側は窓にその激情を表して荒れ狂う風雨をみせた。押しやれば押しやるほどお互いの空間が歪曲して音が激しくなる。
双方で喰らっていた空間はゆっくりと愛華からシュウラの空間を侵していった。窓の景色が水滴に覆われ、空間の色彩は怒りのままに赤や黒さまざまな感情を乱舞させた。
だが、無言の攻防はシュウラの周囲まで来てその動きを止める。すでに白の空間はシュウラの直径一メートルの球体でしか残っていないが、それ以上は塗りつぶされる事を拒絶するように空間が弾き返しているのだ。
愛華が反らした左半身の左腕に力を込めるように右手がその左肩をきつく掴んだ。
「おやおやそれだけか、まだ足りないね。もっとも、その気がまだ入ってないというのが正しいかな? 何せ存外君は優しいからなぁ」
「うるさい。とっとと出ていけ。私は約束した事を、それを果たそうとしているだけだ。決定打が無い今来られるのは嫌なんだよ。」
圧迫されているはずの白の空間は座ったままのシュウラを包んだまま愛華の空間を拒絶するようだった。力を込めても肩透かしをされるのに近い、そしてシュウラ自身は抵抗しているのをおくびにもださず、空の茶器をこちらに向けた。
何も入っていない茶器はこちらに向かったと同時に、大きく水を噴出した。愛華は即座に握っていた右手を水の直撃を防ぐ為に掲げるが間に合わない。白の空間はその水ごと槍のように愛華の空間に向かって広がると逆に愛華の内部の空間をその水で埋め尽くす。
愛華の空間は、その水を飽和させて内部に新たにシュウラの空間を作り出す形となってしまった。
空気がまたも泡の形をとり、水が喉に詰まる前に口元を愛華は押さえた。茶器の出した水に自らがおぼれる事になっても、余裕をたたえたままシュウラは立ち上がる動作をすると、張り付く足音を響かせて愛華の傍に歩み寄ってきた。
「やれ、君の空間はどうも乱暴だね。そんな作りの空間を作るような事を僕は教えたつもりはなかったんだけどな。ああ、それとも喋らない方がいいならこのまま空気じゃなくてこれを水としてもいいけど。君の意見が聞けないのは困るからね、空気にしてあげよう」
幼い子供をあやす様な口ぶりでそういうと、ひとつシュウラは指を弾いた。その音で空間に満ちていた水音はさっと引いて、緩やかな静寂が訪れた。
シュウラを見ていた愛華の口元から色のついた空気の泡が大きく泡音も無くこぼれると、愛華はきつく眦をあげたままシュウラに掴みかかろうとする。
そんな動作を見ていてもシュウラはつかみかかろうとする愛華に任せるままそこで立っているばかりだった。動かないシュウラに愛華は殴るようにシャツをぐいと掴み、自分の顔近くに引き寄せる。 争奪に負けただけではないその怒りが、最初の声を奪っていたが、息が整うと歯でかみ締めたような言葉がシュウラに向かって放たれる。
「いい、私はね、約束は守る。貴方が言った事を忘れたわけじゃないんだからね。でなきゃ私はこうして貴方と話してもいたくないのよ」
「分かっている。だから確認にきただけだし君に対して不安があるから来たわけではないさ。現界との接触は直接的には出来ない」
引き寄せて掴んでいた手をシュウラは慣れた手つきで剥がすと、またペタペタと歩いて空間に腰掛けた。
白に一新され直した空間で彼は新たにお辞儀をしなおすと、愛華へゆっくりと告げた。
「さぁ、どんな事に現界がなっているのか聞かせてくれるかな? 僕が思っているよりも面白い事になっているのならいいのだけれどね」
怪しく微笑んだその面を白の空間で愛華は油断無く見つめていた。声も立てずに笑う彼が憎らしいが、これ以上突っかかっても自分が疲れるだけだ。本当は呼吸するのも嫌な空間だが、足元にかかっていた布団を引き上げ話をする体制になると、夢の空間でぽつぽつと彼らは話し出した。その間、数時間は現実の愛華は目覚める事は無かった。
重かった空気が乾いた口の中で吐き出されて、昼よりも鈍い輝きの光が目に入り夢の空間から帰ったのだと悟る。うっすら明けただけの重い瞼が夕方の光にたじろいだ。
「眠って起きて、こんな時間じゃあっちとどっちかって話よね」
のしかかる気だるさを追いやるように無理やり目を開いて愛華は渇いて張り付いた口の中から言葉を追い出した。
想像以上にふらつくのはあちらとこちらの違いだ。狭間から帰ればこうなる事はあったが、あれほど長い時間をあの空間で過ごせばこうもなるだろう。傍にあった水差しをとったがすでに水は空。仕方なしに起き上がって水道の傍まで歩こうとして、ベッドから降りたところでシュウラが居た空間に目が止まる。
誰も居ない、現実の世界に彼はいられないからそこにいるはずはない。ふらつく足取りで歩き出した愛華の足はそれでも、シュウラが居たであろう空間を通らないようにして水道のところへと向かっていた。
「分かっていたって、押さえられるものですか」
起着たばかりの愛華の手に握られたカップの取っ手を手が白くなるまでそこを掴んでも、夢で引き起こされた怒りの渦は収まらない。投げつけないようにカップを掴み続けているのが面倒だが、何度も息をついて洗面台のところで強く拳を叩きつけてその怒りを押さえつけた。
乱暴にひねった蛇口から噴出す水にコップをつけると、自分も手のひらを差し出してその水を掬っていた。掬った水が指の隙間から零れ落ちていく様を見ながら、自分の感情をそこに置くように何度と無く水を掬っては滴らせた。水滴が自分の服をぬらして、替えが必要になるほどやっても、その日の怒りは去ってはくれなかった。
「何度も言ったはずなのにね、でも……。変わらないわ」
手が冷たくなり白さが増して青くなりだしたころになって、愛華はやっと自分の顔に水を叩きつけるように洗う事ができた。赤く燃えていた火を灰に埋めるように怒りを内の深くに宿らせて、髪から顔から水に濡れた自分を鏡で見て、愛華は着替えダンスに向き直った。
びしょ濡れになってしまった服をさっさと脱いで着替えてしまうと、濡れて残った服をくしゃくしゃとまとめてベッドの下から篭をだして空いたそこに放り込んだ。新しく着替え終わった服は薄青のパジャマ。事故に遭う前には一番お気に入りであった服だった。
口角の下がった無表情に近い怒りの顔が服を見て、更に下がった。潜ませた怒りに変わるそれは熱じゃない別の感情で、思うほどに下がった口が震えた。
「だからなんだって言うのかしらね。私は今も選んだのに、今更後悔でもしているのかしら? 分かっているのよ。耳にこびりつく位言った言葉だわ」
言った端から、声が震えて自嘲気味に笑っていた。彼女自身が決めたはずの秘め事は今でも揺らぎを与えられれば震える。理解していたって納得など仕切れない事だから。
もう一度服をみつめ青いパジャマの袖を掴んでから、天井を反り返るように見上げベッドに倒れこみ笑い泣く表情のまま、今は居ないおかしな新聞記者が隣に居なくてよかったと静かに息をついて後数時間で始まる夕食までの時間をどう潰そうかと、愛華は自分の左手に咲いている緑の花を宿す蔦を柔らかくなぞった。
その新聞記者とシュウラにしか見えないであろう蔦は初めて作られたあの日から随分と複雑に育っている。腕の中ほどにあるその花もまた、服の下で隠れて見えてはいないがその疼きは愛華にも育っている事を嫌でも教えている。
夕闇に怯える歳では無くなった自分が、今日の日の夜がやってくるのが怖かった。
震える理由は分かっていても止められないのだ。その理由がたどれば自分にしか行き着かないのを知っていても。
愛華がそんな事になっていたとは露知らず、居酒屋でその後たわいない事を話していた関野は、千ヶ原が酒にほろ酔い気分になってきたところで、勘定を払うと店を出る事にしていた。
「はー。旨かった旨かった。久しぶりに贅沢したから明日からカップ麺とか受け付けなくならないか心配だぜ」
「食いも食ったりだな、此処のおごりで俺からのおごりはチャラだぞ、いいな」
顔が桃色から酔いどれの赤に変わった千ヶ原の肩を支えると、関野は会計を済ませる前に鍵だけ千ヶ原に渡して席に座っているように言って先に車へと乗せた。
途中から気づいたことのおかげで後半は話半分になってしまいがちだったが、千ヶ原はそこを気にしないで居てくれたようだ。まだ給料は入ってないから今回の出費は少々痛いけれども、無用なひずみが出来ずにすんだことだけでも喜んでおこうと関野は思った。
客が引けてしまった店内はまだ夜の九時だというのに関野達とカウンターでうつらうつらと眠りこけている地元の男と店主らしき男性が網の上の焦げを取る姿、そして今払おうとしているレジの前にいる朗らかな笑顔をした女性だけだった。
「ありがとうございます、店には紹介でいらしていただいたのに随分と味が気に入っていただけたようで。お連れの方もご機嫌でしたね」
上着のポケットに入れていた焦げ茶色の傷がついた財布を取り出そうとしていた関野に、その女性はにこやかに話しかけてきた。財布を取り出し札を数えながら関野はその雰囲気に引きずられるように答えた。
「はは、いえいえこちらこそ。随分余所者なのに騒いで煩かったのでは? 些か騒ぎすぎたのじゃないかと、えーと、一二、三やで、四千とこれで会計しますね。領収書は一応切っといて欲しいんですけど、実真東新聞株式会社で」
関野がそういうと、出されたお金を相手は無言で受け取った。関野がおかしいと思い顔を上げると、朗らかだった目の前のおばさんは、何だか沈んだような顔つきをしている。会計を素早く打ち込んだ彼女は手の平に押し付けてつり銭を返して、困った顔をしてこう言った。
「お客さん、まだあの事件の事で何かしらを探ってるんですか? もうあの痛ましい事件に何があるって言うんですか」
「何がといっても、やはりあれだけの大事故ですからね。不可解な事も多い、それを上から調査するように頼まれて今はこちらに来てるんです。痛ましい事故ではありましたが、知られて無い事実を探るのも私の仕事の一環ですから」
「おい若いの。あの事故は此処らでは無暗やたらと語るもんじゃないって言われてるんだよ。でないと、憑かれっちまうぞ。来地颪峠の連中にな」
横から野太い声が関野の声をさえぎるようにかかった。それまで焦げを剥がしていた店主がこちらに向き直っている。片手に網を握ったままの姿で太い眉が鼻に向かってやや傾いていた。店主はそういうと、網を下ろして調理台の所から押し戸をあけてこちら側に来ると、丸太で作った椅子にどっかと腰を下ろして関野に鋭い声で注意をした。
「事件の全部を知らないのは誰も彼もだがよ、世の中関わり合いにならない方が上手くいく事が多い。憑かれるって言う迷信は俺ぁ信じてないが、悪い事は不幸しかよばねぇよ」
「それは、忠告ですか? それとも何かご存知ですか、仰られたくないなら聞きませんが」
「忠告にはちかいだろうよ。んだがあの事故については知らん。昔話の黴た言い伝えばかりが残る土地だ、そいでも土地のもんに取っちゃ常識でな」
店主はそういうと、まだ話が途中だが背を向けて客の後片づけに机を見て回るため関野から離れていった。何とも言えず立ち尽くす関野に、レジのそばで立っていた女性が関野へ話しの続きをつないだ。
「父さんたら。ごめんなさいね、他所のというか記者の人たち好きじゃないのよ父は、あたしも、だけど。あの事件の事寄って集って聞いてったのも知っているからね。ここじゃ『余計な事聞くと加の路にいくぞ』っていわれるから」
「いえ、旅館の方からもほとんど何も聞けなかったので、そう言った文句があるとは知りませんでした。でも加の路、此処にくるのが脅しになるんですか。昔お化けでも居たんですか」
関野も不思議だったので、そう聞き返すと女性は父親の手伝いをするか迷ったようにしていたが、店主はそれに顎をしゃくって関野を示すと何も言わずに皿を音立てて運び出した。
「良いみたいですから、少しお話しますね。此処に伝わっている古い言い伝えがありまして。もちろん昔話ですから他愛も無い話ですよ」
「来地颪、それと此処に伝わる伝承ですか。時間は気にしなくてもいいので、出来るならそれも詳しく教えてください」
関野はそういうと、手元にあった財布を素早く上着に突っ込んでメモ帳を取り出すと彼女の話に聞きいった。