Key2 流転の門13 開錠
「何だって、こんなに黙って付き合ってるんだろうなぁ。俺は」
喫煙できる部屋が病院には無いので、一回の玄関口までわざわざ来て、関野は煙草をふかしていた。一回目の訪問に比べればまだ煙草の味がするだけ精神状態に悪影響が及ぼされてないのが、好ましい事実なのか分からなくなりそうだった。
「愛華の影響かね、こうも深読みするのは」
あんな話の後でもあるが、自分が思っているよりも、相手の話の内容は何だか感じなところだけぼやかしている気がするのだ。それは愛華が聞いているシュウラの話しでもそうだし、愛華自身が何かを曲げて言っているのも感じられる。
話を単純に聞くだけでも事件の事と無関係ではない節を臭わせたのは、おそらく何らかの形で俺がそれを調べる事を考えてだろう。
「煙草が消毒薬くさくなりそうだな、この調子で長い間話をきくことになるようなら。……ちっ、調べない事には先に進ませない気は分かるが」
煙草の吸えなかった反動と肺の空気の入れ替えをするように関野は二本目を新たに吸い出した。煙草がうまくなかったこの前は、嫌な事だがあの部屋の空気のせいかもしれないと思われる。半分狭間にいた状態だった今の方が煙草の味が甘いのだ。
まだ三時半、もう三時半、長く話している気はしないのだが部屋から出たときの看護師たちの反応が、今朝廊下で逃げられた看護士から何か噂が広まっている事が見え見えすぎて、煙草の味が感じられなくなるよりもそちらの噂の方が今は嫌な気分になる。
見ている分には恐らく、心を許した唯一の男性イコール年上のあしながおじさんか、愛する乙女のために長時間居座る記者で恋人立候補者というところかもしれない。
と、そこまで考えてから自分がとんでもない考えをしていることに気づいて、関野は思わず煙草がまだのこっているのに灰皿に突っ込んでしまった。
「おあ、あああ。っ、俺は何やってるんだよ。一体全体」
潰した煙草は水の張ってある銀皿で煙だけ残してあっけなく消えてしまった。おまけに、今吸ったのが最後の一本だったから煙草を買いに表に出る気も失せ、奥歯に物が挟まったもどかしい気分のまま彼女の部屋に戻ることにした。
扉を再度開けてはいる部屋は午前中から窓があけてあったおかげもあって夏の熱気がすこし篭っている。涼しさもこの時間くらいになってくると部屋から出て行ってしまうのだろう。愛華は戻ってきた関野を横目に、新たに絵を描いているところだった。
「あら、部屋からそそくさと出て行った割に随分早いのね。今私のほうは手が離せないのに」
「見てわかるさ。何だ、あの地図に書き加えでもしているのか。それとも別の地図でも書いているのかよ」
そう言った関野に愛華は微笑んでいた顔を真顔に戻すと、じっと顔を見つめた。また何か言いたげな顔だったが、皮肉か毒舌でも飛び出すのだろうと構えていると、口にしたのは意外な言葉だった。
「もう、馬鹿にしないのね。前回会ったときみたいに地図の事否定されるかと思ったわよ」
そう言うと、彼女はまたシャープペンシルをスケッチブックに走らせている。気になって関野が上から覗き込むと、書かれているのは不可思議な形をした杖のような物体だった。だが、上に書かれている玉があったり宿り木の様に絡み合っているのは恐らく彼女が話していた扉を開く鍵を書いているのだろう。
関野が始めてみたその形は、彼女が言っていた通りに木々を模して作られたかのようであった。
「まだ、信じたくは無いが現実に起こりえないことが起こっているのは見ているからな。話の内容は正直言えば半分疑っているし、見えたわけでもないから何ともいえんよ」
「でも、最初のときよりも変な感じにはなっていないじゃない」
愛華も自分の変化を知っているようだ。違和感が無いわけじゃないが、今日で二話の関門になるそれを聞かされていた関野は、終わった後の現実へ引き戻される意識を感じていた。引き潮に乗るように意識があの狭間から滑り落ちた感触があった。
「言わなくても分かるのかよ。お前もそうだったとかそういう理由か」
「あたり、あそこから帰ってくるときは最初のうちは風邪引いたかと思ったわよ。気持ち悪いわ、船酔いしたみたいに平衡感覚おかしくなったわ」
鍵の絵を途中まで仕上げてスケッチブックを音を立てて閉じると、愛華はそう言った。彼女が話し終えてから、また顔色がよくなったように見えるのは午後の日の光で白い肌がすこし色づいて見えるだけだろう。
それから特にこれということも無いと思い、関野は扉のそばに立っていたが、愛華へ別れを告げて取材の準備に戻ることにした。
「そうだ、俺は戻るが、一週間ほど日が開いてからまた来るぞ。お前さんが行った旅館の件を調べてくる事にする」
言い残して帰ろうとする関野は、肩に皺が寄った上着を乗せるとメモ帳を取り出して日付の確認をしようとした。
「旅館の件、何かしら出るかもしれないけど保障は出来ないわよ。私に関することだけど、事件に係わっているのは一部だけだと思う」
ペンを口にくわえてページを探していた関野に、愛華はついでのようにそう付け加えた。加えていたペンを外し、帰りかけた関野は右に反転して、まだ何か言いたげな彼女に尋ねた。
「一部でも何でも、お前がそこに何かあると言ったんだろう。調べてくるのに期間はいるし、その間会えなくなるのは仕方ない。何なら携帯の番号とアドレスでも残しておくぞ」
「ありがたいわね、でも番号だけでいいわ。携帯今もって無いのよ私。両親死んでから、ここにいるのも親戚のお情けとか保険のおかげだからそれ以上にお金を使う事もできなくてね。今は携帯も解約しているの」
白くて無機質な部屋は、そう言った理由だったのだろう。必要な物以外はいらないという事だ。愛華の病状を詳しくは知っていないが、もう一度医者かその親戚とやらに話を聞いてみる必要があるかと思いながら、メモ帳に走り書きで番号を書き留めると、破いた一ページを愛華に渡す。
「携帯が無いんじゃこちらからの連絡は病院通してか。それとも連絡しないほうがいいのか」
「こっちから連絡する以外はしなくていいわよ。貴方からの連絡でこれ以上看護士達の噂を煽りたくも無いわ。聞いたら聞いたで馬鹿みたいな噂だけどね、聞いとく? 」
「いや、遠慮しておく。俺も考えないようにしてる噂だろうし、変な目の正体を知ったらここに来る気がなくなりそうだ」
違いない。と、愛華は小さく笑った。渡した紙をひらひらと振る姿を見納めに、関野は病室を後にした。
それから数日後、記事の素材としては十分ではないにしても、話を編集長は喜んだ。やはり話が出来るだけでも大いな成果であるらしい。早速、被害者から情報を得るためという名目で彼女が泊まっていたという宿近辺の取材へと発つ事を告げても、一言で許可が下りたほどだ。
事故のあった来地颪峠を愛車で通っていく際、峠の途中には供養塔と、花束の塊が置かれているのが見えた。夏の日差しで花束は乾いて色あせているが、毎日誰かしらが来てくれているのかもしれない。供養塔のそばの線香は、まだ煙が立ち上っている。
車はスピードを落とさずその横を駆け抜けていった。ラジオが流れる車内は、クーラー嫌いの関野のため全開で窓が開け放たれており、隣に座る暑がりの千ヶ原にとっては、生ぬるい風だけでは辛抱堪らんと言った体だった。
「事故の犠牲者……、か。それはそうとどうしてお前がついて来るんだ千ヶ原? 男二人で旅館なんぞ俺は泊まる気はない」
道中何度も繰り返した質問だったが、これで五度目になる質問を千ヶ原にしていた。どういうわけか、関野の車でしかも愛華が泊まったという旅館にも一緒に泊まる羽目になったその理由に納得がいかない。
峠の途中カーブにハンドルを投げやりに傾けてぐいっと大回りに通ると、だれきった千ヶ原がパタパタと雑誌を団扇代わりに扇ぎながらいった。
「俺だって健全だ。だけど、来地颪事件の経緯が分かるかもしれないんだろ? だったら行かないわけないじゃないか。しかも、俺の新聞社の知り合いがそのネタの持ち主とくれば。
そのついでに俺も地方の情勢を聞いてこられる、一石二鳥に何か文句あるか」
言いたくはないが、反論するところは多々ある。確かに地方の道路建設の件で取材に行けと言われた千ヶ原の言い分は、分かりはするのだ。だからといって経費削減を盾に自分と同乗して同じ方面に向かい、ついでに宿が一緒になるとは。
その『宿が』というところには納得がいかない。男と同じ部屋で寝るというのは、学生時代に飲み会のあとに雑魚寝とか合宿でという事があったので気にはしないが、わざわざ五十三キロほど離れた山にどうして泊まるのかと言うことだ。
「千ヶ原。お前あの道路建設の件は俺が行く旅館からかなり離れていたはずだぞ。それにお前の行く道路建設のところは俺の車に乗っていくよりも、電車が通っている観光地にも近いところだ。一緒に行く理由が分からない。いくらつるんでいるのが楽しいとか、愛華の件に係わりたいと言っても、ちょっとばかり変じゃないか」
そう、今回の道路建設の記事に関してもおかしかった。県内での事を中心に取り上げていた千ヶ原の記事からはすこしかけ離れている記事だからだ。道中の暑さで緩くなるよりもぴっちりと閉ざされているその返答、彼の口はなぜか堅い気がする。
「ああ、だろうなぁ。おかしいのは分かってるんだがよー」
そういう千ヶ原は運転している関野の横顔を見ている。何を言うでもなく、叉車のエンジン音と窓からの風鳴りが音を作るだけの言葉の沈黙が訪れる。
「おい、いい加減にしろよ。ほんっとうに俺は理由が知りたい。変な心配されているみたいで気味が悪いんだよ。今のお前は」
曖昧なばかりの言葉を返す千ヶ原に、とうとう関野自身が焦れた。峠の途中に空いている停車エリアに車を乱暴に止めると、ギアを乱暴に上げて千ヶ原を睨んだ。愛華だけじゃなく友人にまで言葉を含まれるのはもう沢山だった。千ヶ原が銜えていたもう火が消えた煙草を乱暴に外に放り出すと、千ヶ原の言葉を待った。
勝手に煙草を捨てられた割には、どういうわけか千ヶ原は冷静で、関野の苛立った態度さえも見越しているようだ。新しい煙草をつけるでもなく関野に怒鳴るわけでもなく、千ヶ原はしばらく訪れた静寂にまぶたを落としていたが、やっと関野に話をしだした。
「心配ではあるのかどうか、俺もわからねぇよ」
そういいながらも、彼自身もどういったらいいか迷っているようだ。煙草を火もつけずにくわえて、だるさとそして困惑したような目で関野を見ている。
「その、なんだ。お前がまた被害者の部屋から帰ってきてからか。言い表せないんだが、お前がどっか変なんだよ。最初にお前とあの事件の話をしてからか? だ――。」
そう言い切ると、千ヶ原は煙草に安手のライターで火をつけると、浅く煙を吐いた。
「おまえなぁ、そりゃ多少はあの子に振り回されもしてるんだが」
「良いから聞け。なんかあるのは俺にだって分かる。だからな、もしそうならいつでも俺が力になる。だから何かがある前に俺を頼れ」
関野にそういうと、千ヶ原は乱暴に自分の顔に雑誌を載せると、席を後ろへと大きく倒した。これ以上は何かしら言う気もないらしい。何をそれほど心配しているのかと、釈然としないまま停止エリアから離れる為にウィンカーを叩くようにつけると、ハンドルを回して山間の道を走り始めた。
千ヶ原との言い合いから三十分ほどで、目的地の旅館にはついた。構えはきれいだが、老舗の旅館らしくてところどころで薄くなった壁面が趣を感じさせる。
部屋に荷物を置き、千ヶ原が別件の取材に向かってから関野は旅館の人々に取材を始めた。
手始めに、カウンターの受付に話を聞いたが個人的な情報なのと、なぁなぁに済まされてしまう。続くように旅館を歩きながら、仲居の一人と話をすることが出来た。
「失礼します。数ヶ月ほど前の事件の事について伺いたいのですが、よろしいでしょうか。お手間は取らせませんから」
「お客様、記者の方ですか。あいすみませんが、こちらでも女将からあの事件の事は口止めされているので話せないのですよ。うちの評判落とす事になりかねませんから」
「評判を落とす? なにかこちらであったのでしょうか? 」
「あ、いいえ。忙しいので失礼させていただきます」
関野に突っ込まれた仲居はシーズン中もあってか、そそくさと退散してしまった。愛華の言ったとおり何かこちらにあるかもしれないが、旅館も客商売だ、叩いてほこりが出るようでは人が離れてしまう。スリッパの音をつれて歩き回る事数十分。尋ねた仲居、料理人、清掃係にいたるまでいい話は出てこなかった。女将に口止めされていたり、その事件はいつの頃だった?と言い出すものまで出てくる。
三ヶ月前の大事故の割には、旅館の人々は我関せずの姿勢の人間ばかりだった。露天のある廊下を歩いているところで、関野は呼び止められた。
「もし、貴方ですか。私どもの旅館で来地颪の事件の事を伺いに来ている記者の方というのは」
上品な声に廊下の角をみると、そこから藤色の着物を着た女性が歩いてくるところだった。
「ええ、そうです。こちらでのことも取材させていただきたく。女将ですか? 」
関野がそう聞くと、壮年の女性はゆっくりと頷いた。そうして、女将は手近な広間まで関野を呼ぶと、事件の事についての話を短く切り出した。
「事件は、もう三ヶ月も前になります。うちの旅館はかかわりが無い事は報道もされましたし、これ以上聞かれても困ります」
「事件の事についてもそうなのですが、被害者の方がこちらで過ごされたことは周知だと思います。こちらでその時何か会ったのかだけお聞かせいただければ十分です。ああ、気になるようでしたら名刺を渡します。こちらで確認を取っていただいて構いません。旅館の評判を落とすのではなく、事件の真相を探す事が今回の目的なので」
関野がすらすらと喋るのを、顔を伏せたまま聞いていた女将だったが、返答は
「どういわれても、こちらには係わりはございません。これ以上尋ねられるようでしたら営業妨害として訴えさせていただきます」
すげなく答えを返すだけだった。意思を伝えるだけ伝えると、女将は関野が引き止める前に本館にむかって歩いていってしまい、これ以上この旅館では収穫をすることは出来なくなってしまった。
「ふ――。なんかあるらしい気もするけど、肝心のところで勘が違っているのかもしれないなぁ。これじゃ」
頭を大きく掻くと、溜息交じりに部屋に戻ることにした。歩き回っていた彼を見ている仲居達は通るたびに足早に立ち去ってしまう。本当に情報が出てこない。
旅館には滞在中はまともな応答がしてもらえないだろうと、関野は周辺での情報が取れないかを聞いて回る事にした。
季節は夏、日よけに上に乗せていたハンカチぐらいでは日差しは防ぎきれない。冷房の効いたホテルから出た温度差で、一気に汗が噴出して、シャツが体に張り付いた。
「あーくそっ。ここになんかあると思ったのになぁ」
「何があるんじゃ? にいさん」
いきなり横から声が飛んできた。反射的に横を振り向くが誰もいない。くいくいと、裾が引っ張られて下に目線を向けると、曲がった背で小さめな剪定バサミを腰のベルトにつけた老人がそこにいた。
「じいさん、脅かすなよ。俺が探している情報。事故のときに来た家族の事だよ」
「あああ、可愛い女の子がおった家族かぁ。気の毒な事になったの。やっぱりあれか、まだ、頭の方かなんか悪いのか? あんときもなんかいっとったからなぁ」
老人はそういいながらまた旅館のそばにある植木にはさみを入れ始めた。旅館の外に出てからの事件について知る人物の登場で、気持ちがはやりながら、メモ帳とボールペンを取り出すと、軽快なはさみの音を背景に、関野は老人が知っている家族についてゆっくりと聞きだすことにした。
「その、じいさん。可愛い女の子って、何か言っていたのかい? 出来るなら何言っていたのか知りたいんだが」
老人は枝をぱちぱちと切るばかりで、言葉ではない間延びした音を出すばかりだったが、ひらひらと後ろでに左手を動かしつつ、こういった。
「最近煙草も値上がりしているな、にいさん。兄さんの持ってる煙草がどんな味をしとるのかね」
老人の動き続ける手のひらに自分のポケットから出した煙草数本を、おしつけると、おうおうと老人は頷いてはさみを休ませずにぽそぽそと話した。
「ありがたや、最近の奴はどうにも高くてな。あとでじっくりすわさせてもらうさね。
あー、そうだったなぁ。確か、雨がまだやんどらんときだったなぁ、露天の近くの松が伸ばし放題だったんで、それをきる事になってな。
たまたま、んむ、たまたまでね。女湯の近くだったんよ、その松が。刈り込んでいる音もしとるし、音を聞きもすれば、お客さんもすぐいっちまうとおもっとったんだが。
なんやらぶつぶつぶつぶつ話す声が聞こえてな、そいで気になってな、ちっとばかり枝を切る音を少なくしたのよ。
まぁ、あんまーり聞こえはせんかったが、最後にその女子の声が、いやな、どなったからよーっくきこえたのよ。
『私はもうそんな気は無いわ、もう嫌なのよ!! 』って言う怒鳴り声がしたのさ。その声がその日のうちに出てくお客なんで見送ったのを覚えとるなぁ。で、もう一本くれんかの」
「…………ああ、あと五本くらいはやるよ、じいさん。あんたのおかげで思っているよりも早く帰れることができそうだ。まだ、他に情報はないか? あるなら教えてくれ」
老人から得た情報は、愛華の情報ではさして価値が無いかもしれないが、関野には愛華の話す内容の手がかりになる万金の価値ある話だった。だが、旅館の住人から聞きだせるのもこの老人からだけかもしれない。しゃわしゃわとセミが鳴き、日差しをさえぎる植木の手入れを続けつつ、老人は関野から煙草を受け取ると、また、切れ切れに話を漏らした。
「にいさん、ありがたいなぁ。こんな老人の与太話を聞いてくれるとな。
周りの人間にも、あんまり聞かれん話しなのによ。
あーとな、あああ、ちっとばかりまてよ。んーー。あー、そうだそうだ、俺も女子の声を聞きはしたんだが、そのあとがおかしくてなぁ。
風邪ぎみだったし、植木の手入れしながらきいとったんで聞き違いだとも思うがな。
そんときもうひとーり、確かに誰か男の声もした気がしたんだがの。男湯にはいりに来る客はおらんかったし、水音もせんから不思議だったんでよくよくおぼえとるよ。
同じ旅館の爺にもきいたんだが、そんな若そうな男は泊まっとらんかった」
老人はそうまでいうと、「後はないでな」と言い残して、植木の間から庭のほうへ向かっていってしまった。
書きとめたメモ帳をしばらく関野は見ていたが、セミの声と道路から昇っていく陽炎の中で、老人の言った後の茂みの前で動かずにたっていた。言葉が足りない。愛華がここで話していたのはそういう気がないとは何だろうか。
そして、最後の老人が話していた言葉も気になった。精神疾患を抱えているとされている愛華の話をしっていれば、こういうところでその兆候が出始めていた。それだけで済まされていただろう。
だが関野は違う。愛華の話をきいているので彼女にも疾患以外でそれなりのわけがある。もう嫌だというのが何に掛かっているのか、そんな気が無いというのは、一体何のことなのか。
どちらも同じ事を否定しているように聞こえる発言は、愛華が何かをすることを拒絶しているのを意味している。憶測は出来ないが、おそらく現実とは関わりが無いかもしれないあの世界についてだろうか? 男というのが誰なのか気になるが、愛華の話し相手になった人物はいるのかもしれない。
愛華の言った事件に係わる一部を確かに手に入れる事が出来た気はした。けれども、取っ掛かりを得たのはいいが、この先が何処へ上っていくのだろうか?
あたる日差しの暑さの反面で、日陰の中で手招いている謎があの病室より冷えた気配を放っている。頭のハンカチで首筋に流れ落ちる汗は、ふき取ってもふきとっても関野の意思ではとまらなかった。
第二章がおわりましたー。複線をそこそこばら撒いて切れてしまった感がありますが、三章で半分くらいは回収できたらと考えております;
続く三章ではどんな展開になるのか、まだ7pとばして3p程しか書いておりませんが、準備が出来次第あげていきますので楽しみにしていてください。