Key2 流転の門9
「いいね、本当に物分かりがいい子だ。夢を見るのに見えない事がどういうことなのかを分かっているのがまたいい。そう、影響は徐々に徐々に自分を蝕むのだよ」
「怖がらせないでよ! どうやったらここから出られるのよ。あんな風になりたくない。何が起きているのかを分からないまま夢で闇を見るなんていやよ」
夢の闇がどういうものか、それは自身が夢を見ているはずというまやかしにとらわれ続ける事だ。連眠は夢でもなお、自分が見えなくなる。おそらく、己の形さえいつしか分からなくなってしまうのだろう。
「……連眠の恐ろしさが、俺には分かりかねるな。俺は夢なんぞ見ないほうだし、見ていても覚えてないんだが」
関野には、愛華が何故それほど怯えるのかが分からなかった。夢は夢、覚えているのかどうかも曖昧だから夢なのではないのだろうか。それを覚えていないというだけで、どうしてそれほど恐ろしい事になるのだろうか? 過去の愛華よろしく疑問符を浮かべている関野を、ぎょっとした彼女はより多く、噛み砕いてそれを説明する必要があることに気づいた。
「分かってないみたいだから、より、詳しく言うわよ。たとえば、あなたは夢を見ている。寝ていてみているはずで、起きてから覚えていない夢でもよ。当然、そこには寝ているって言う事実があって、だから夢を見ているということがある。」
そういうと、身振り手振りをしつつ、自分が持っている用紙を何枚か引っ張り出して、単純な棒人間と、いくつかの丸を描いて見せた。人が一人眠っている絵は布団がついでに書かれているので、どうやら夜に寝ている人らしい。
もう一人の人は、眠る人の頭上の噴出しで、立っているところから察するに夢の中の人物なのだろう。しかし、これが何だというのだろうか、余計にこんがらがってきて、眉が寄ってくる関野に、愛華はシャープペンシルを指し棒代わりに、軽い音を立てて夢の人物を指し示した。
「でも、もしもその夢が無いものだとしたら? 無論覚えてないから、影響が無いように見えるかもしれない。だけどね、貴方が寝ている間にその存在を自分で証明するのは何?眠っているという認識の事実よ」
「そりゃ、周りにいる人間がいないから俺が寝ているって考えればいいだけじゃないか」
「違う。寝ているという事を認識するのに暗闇、夢、何でもいいから記憶のとんだ時間という空白がいるの。だから眠ったって言う事を認識できるのでしょう」
どこか論理が飛躍をしているようだが、眠っている間は確かに暗闇か、夢を見ているかをしてそこから覚める事によって朝だとか、昼間だとかを認識しているのかもしれない。あまり納得しがたい事だが、それでもしぶしぶ頷くと、愛華はそんな関野に更に説明を続けた。
「ところが、よ。その夢であるという認識をする空白さえ取り上げられたら、どうなると思う? 」
「空白を取り上げられるだと? まっるで意味が分からんぞ」
「瞼を閉じた瞬間光が入るのよ。朝の」
やはり分からない。起きるなんていうのはそんなものじゃないのだろうか? 怪訝そうな顔ばかりする関野に、イライラした調子で愛華は説明が無駄かもしれないと大きく溜息をついた。
「だからね、眠っているはずなのに目を閉じたら朝がきているのよ。夢の中で眠る、眠りの眠りが引き起こすのは、今の生きている状態であるはずの空白の時間さえなくなるの。夜の闇で何時間寝た。短時間でも眠った。そういう感覚が一切なくなるって言っているの」
その説明で、やっと関野も連眠の意味を理解しだした。そう、自分が生きている時間が飛ばされるという事なのだろう。眠っている時間といえども、自分が生きている時間だ、そこに安らぎや、夢のような活劇があったりする。
だが、目を閉じたとたんに朝になったら? 眠ったはずなのに眠ったと思えず、眠りを欲しても時間が飛ぶ、その空白を感じる暇さえなかったら?
関野はつかれきってどことも分からずに眠り、意識が飛んで気づいたら朝だったという経験はある。だが、時間の認識が飛ぶような場面に遭遇した事はない。そういうときにも、空白の闇があったからだ。
やっと、連眠についての認識が出来たらしい関野を、愛華は頬に手を当てて面白くも無さげに見ていた。
「相変わらず物分かりの悪い人よね。私と違って」
「連眠見たいな経験はしたことが無い。分からない事を分かれと言うほうが難題だろうが。まぁ、でも恐ろしいって言うのは、お前は関門のときに気づいたのか? この説明を」
はなしを聞く限りでは、愛華の子供の頃という事なので今より更に若いともなれば、いったいいくつになるのか。椅子の背もたれに顎を乗せるような格好になって、関野はぐったりと外海の部屋で力を抜いた。
「私は説明よりも、感覚で分かったの」
ディープブルーになりつつある部屋の中で、愛華もその色を楽しむように髪に指を絡ませていた。水中から見上げるような形をとる鮮明な色のダンスは、部屋をどんどん海の沖合いへ流すように深い青へと変えつつある。
形の定まらない人間の様なモノ、それは愛華が気づいた『連眠』という罰だったという。
自分もこうなるかもしれないと思うことで、それは余計に妄信するように自分に固着しつつあった。顔色が青くなっているであろう愛華を面白げに見ていたシュウラだったが、不思議そうに口元が緩められると手がこちら側に伸びてきていた。それに気づかずに余計に混乱する彼女に、手は差し伸べられた。
トプン 石が池に落ちるような音がして、愛華の頭を何かがゆっくりとなぜていた。軽い感触のそれが何なのかみれば、シュウラがゆっくりと手だけで、こちら側の自分の頭をなぜているのだ。
「ねぇ、いっただろう。僕は親切なんだよ。今回の鍵の保持者は今まで導いた人間よりもずっと、きれいな色の鍵を持っていた。手助けぐらいしかしないが、君は僕に気に入られている。それは誇るべき事だ」
頭を撫でる彼の手は幼子をあやすようだが、やはり何処か違うところを見ている。それでも、愛華は自分を慈しんでくれるように頭を撫でてくれる彼にすがるしかなかった。たとえそれが、自分ではないところを見ていたとしても。
「誇るよりも、ここから、次のとこへあたし、いきたい。とまりたくないの。止まって何にも無い事になんかしたくないの」
シュウラは、その言葉を待っていたかのように、愛華がそういうと撫でる手をぴたりと止めると、また同じ水音を立てて、瞳の向こう側に手を戻した。そうして湯飲みを片手で握ると、茶をひとすすりしてから愛華を指差して言った。
「何度でも言おうか、僕はね、結構親切なんだよ。君が行くべきなのは最初に示した。だけど、もう一度だけ言おうか。今回は、どこまでも、『進む』事だ。あとは進むをどう君が考えるかにも掛かっている」
シュウラは言葉通りに、手助けのつもりであろう助言を与えると、開いていた瞳の空間をぱちりと閉ざしてまた消え去ってしまった。
後に残る草原の風は、愛華の顔に冷ややかに当たっていくばかりだった。