Key2 流転の門6
愛華が叉すこし中断してから話し始めるということなので、先ほど甘すぎるといわれた汁粉の代わりに緑茶を買いに部屋を後にし、ナースステーションの反対側にある自販機の前に立ったときだった。
「どうやってあの部屋に入りやがった」
背後から朝のだみ声が呼びかけてきた。小銭入れを探っていた手をポケットに突っ込んだまま、後ろを振り返るとあのキャスケットの男が立っていた。あざとく、油断のならないような雰囲気の男は、部屋に入る前に階段で見かけた男だった。
先に飲み物を買おうと叉自販機を向きなおし、関野が何かを言おうとする前に男の唇が先に動いていた。
「無視、かよ。まぁいいがな。もう一回聞くぞ、どうやってあの糞生意気な仮病患者の部屋に入りやがった」
「別に、彼女が入れてくれただけだ」
横柄かつ粗暴な言い回しに、関野も言葉が硬くならざるを得ない。愛華が喩えていった電波ラジオという言い回しもこの口調と乱暴さからきているものだろう。なるほど、まさしく波長の合っていないラジオのようにやかましい。
答えた関野が、取り出し口からお茶の缶を取り出す前に、男は先に取り出し口に手を突っ込むと、缶を奪い取った。
「あれが?ッハ、嘘付け。何をやってもいれようとしないあの冷血女がどうして部屋にお前みたいな奴を入れるんだよ。それとも何か、顔も見ないアイツを言葉巧みに誑しこんだのか? そのほうが説得力あるなぁ。そういや、前にも一回会ったことあるよなぁ?俺が間違いじゃなければな」
「あるかもしれないな。一度見たことのある帽子をかぶっている」
男はそのまま奪い取った缶の蓋を開けるとそれを美味そうに飲む。あまりに粗暴なさまをみるに、こいつはどうやら同じ新聞記者としてみるのも嫌になる部類に傾いている男らしい。
「へぇー。俺の帽子を覚えていてくれるとはお前見所あるな。この年代ものの帽子に目が行くやつは、目利きと相場が決まっている。いいぜ、俺は毎日々新聞ので、塚本 将一。何とでも呼んでくれ。で、ついでにお前が手に入れた情報もお裾分けしてもらえたら万々歳さ」
「俺は実真東新聞のものだ。関野幸一。生憎とまだそれほど情報は得てないので渡すものは無いな」
名乗りはしたが、ひくりと、相手の笑顔が引きつった。関野も無表情に徹した顔でそれに答える。飲みきってもいない缶をゴミ箱に捨てると、塚本と名乗った男は、関野ににじり寄った。身長差はあまりないが若干相手のほうが背が高い。ナースセンターを隠すように立ちふさがった塚本のおかげで、関野は視界をさえぎられた。
背後は窓で目の前には塚本、何をする気だと、にらみ合いとなったときだった。足元の激痛に思わず下を見ると奴の足が、自分のつま先を踏んづけていた。
「足癖の悪い奴だな。だから入れてもらえなかったんじゃないか? 患者に怪我をさせかねないからな」
関野は踏みつけられたの痛みに耐えながら、出来るだけ穏便に悪態をついてやった。あいつがどういう奴かは知らないが、騒ぎ立ててもいいことにはなるまい。
塚本もそれが目的なのだろう、更に力をこめると見えないように胸元の辺りをつかみ、引き寄せると、関野にひくくつぶやいた。
「言っていろ。お前が何を知っているか知らないが、俺より後から来て、勝手に気に入られて部屋に入り、ついでに情報まで手に入れるなんて納得がいかないな? 俺が探した情報も流してやるから意見交換がしたいって、言ってるだけなんだがなぁ? ええ」
「そっちこそな。意見交換がしたいって? っつう。そう言うのならもう少しまともな意見交換の場でも作ったらどうだ? ここから見たら不審人物丸出しだぞ」
互いに引く気のない状態が続いていたが、睨み付けていた塚本が大きく舌打ちをすると、足をどかして下がった。離したとはいっても、睨み付けているのには変わらない。愛華とは違う種類の毒を含んだ目がこっちをじっと見据えている。
「なら、意見交換の場でも今度設けてやろうか? 関野って言ったか今度俺に会ったときには必ず吐いてもらうぞ。ついでだ、その缶をいただいた礼にいい事を言ってやろう」
そういうと、塚本の目線は関野の胸元に移った。メモ帳を見ているようだ。
「そいつに何か書いてあるんだろうが、あいつの言う事何ぞ、全て嘘っぱちだ。信じると馬鹿しかみねぇよ」
何を答えるでもなく鈍い熱で痛みを教えるつま先のまま、関野は振り返りもせずその場を歩き去ろうとした。また背後で大きな舌打ちが聞こえ、同様に乱暴な足音がエレベーターに向かって遠ざかっていった。
「っ~~~」
奴が行ったのを足音と扉の閉まる音を聞いてから、関野は足先を右足でこすった。革靴なんて上等なものを履いてないが、移動するのに見栄のする方がいいので合皮の履き慣らした靴を履いていたのがアダとなった。長年も酷使も相成って、靴の先はうすく口を開けている。
駄目になった靴先を見ながら、これからさらに面倒な付き合いが増える予感は当たるのだろうと、関野は大きく溜息をついたのだった。