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Key2 流転の門5

 咳き込む音がその時話をさえぎった。ペンを走らせていた関野は、筆を止めて少し青くなった彼女の顔を見つつ、質問をした。

 

「消える男ね。で、そいつは正体が分かったのか? 」

 

 初めて出てきたシュウラ以外の人物だったが、普通の人間ではなかったらしい男について、愛華に答えを促した。日差しが入っているところから陰になっている愛華の場所では分かりにくかったが、みればだんだん青白くなっていくようにも見える。

 

「第二関門が終わる前に、シュウラが教えてくれたわよ」

 

 咳き込んでいた喉をさすり、声の震えを抑えるように喉元に手を当てていたが、愛華の声は震えていた。色の変わった顔と息苦しさに呼吸がすこし荒くなっている。男の話になってから彼女の様子は悪くなっていく一方だ。話を聞いている関野にもその苦しさは伝わっていた。

 

「どうした?思い出したくない事なのか、そいつは」

 

「ええ、あの関門が越えられなかったら、私も彼らと同じ目にあっていたから。あれは、思い出したくも無いこととは言い難いものだけど、気分が悪くはなるわね。話すとすこしだけ」

 

 喉に手を当てたまま、愛華は言い切った。押さえている喉元の指先がすこし白いことから、強く自分の喉を押さえているのだろう。息を止めやしないかと心配になり、関野は思わず椅子から対上がった。

 

「そんな風に自分の首を絞めるな。息が出来なくなったら話も出来ないぞ」

 

「わかっているわ。でもね、押さえていないと息がとまりそうで苦しいの。大丈夫」

 

 愛華がそれをとめると、自分の喉からゆっくりと手を引き剥がした。引き剥がすときにも力を緩めなかったのか、喉元にはうっすらと薄紅の爪がなぞった掻き傷が残った。

 病室の一線に弦を張るような細い緊張が関野にも伝わり、外を雲が走っていったのか、部屋に一時の影を落とす。

 

「そのまま、それは俺が聞いてもいい事なのか? 」

 

 落ちた影が走り去るのを待って、関野は愛華にたずねていた。

 

「聞いてもらわないと話にならないっていたら? まだあと1つ試練の話が残っているのにここで私が止めたら。あなたも私の事件の真相を聞けないわよ」

 

 引き剥がして互いを押さえ込んでいた手をゆっくりと下ろしながら、彼女の声は元に戻っていった。

 震えなどでとめられるものか。彼女の雰囲気がそう語っている。自分の体は震えているにも拘らず。関野は彼女のそんな姿を見て、頬のあたりを掻いていたところ、時計を見てから愛華を見ずに言った。

 

「んー。なら俺が少し休憩を取るぞ。今日は夢の中じゃないしな。」

 

「はぁ? まってよまだ話せるって言っているじゃないちょっと」

 

 関野はそういうと振り返りもせず席を立て、ドアをガチャガチャと開けて病室からさっさと出て行ってしまった。振り返りもしなかった彼の背を、まだ収まらない震えを抱くようにして、愛華は自らを暖めた。

 

「なによ。冷血漢。」

 

 震えている声に反応する人がいるのでもないのに、どうしてかつぶやいてしまっていた。白い部屋がまた自分を圧迫しているのを感じながら、自分を暖める事だけに意識を向ける。いつもよりも震えが収まりづらいのを腹立たしいと思いながら、指が白から赤になっても愛華は握り続けた。

 

「ほれ、お前も休憩だ。」

 

 集中していたはずの意識が別の振動で破れる。その前に誰かの声が降った気がした。何かシーツに重いものが沈んだ気配に震えの収まらないまま抱え込んでいた頭ごと体を起こすと、ベッドの足先に汁粉とかかれた小豆色の缶が転がっている。

 

「何で汁粉?」

 

 汁粉の缶に愛華は質問していた。嫌いではないが甘ったるすぎるそれをじっと見ていると、隣から声が降った。

 

「ココアとかポタージュが売り切れていたからな。お茶系はお前の好みが分からないから、とりあえず汁粉にしてみた。」

 

 続くコーヒー缶の蓋を開ける音とともに、先ほど部屋を出て行ったはずの関野がこともなげにいすに座りなおしていた。戻る時のドアの音が耳に入らないほど自分が憔悴していたのだろう。ブラックコーヒーを飲みながら関野はお前も飲めと、缶を振って勧めている。

 

「一瞬言葉が出なかったわよ。」

 

 汁粉を持ってくる関野の感性にか早業にか、愛華は何にか言葉を置く事はしなかったが、足の先に落ちている缶に手を伸ばしてとると、飲むでもなく胸に当てるように抱いた。飲むより先に、自分の体以外のぬくもりが欲しかった。

 暑さをはらんだ表の空気でさえ自分には冷たい。誰か生きている、今ここにあるという証拠の熱だけが、ぬくもりを自分に思い出させてくれる。

 

 愛華の震えは渡された季節感のない缶のぬくもりの中で、ゆっくりと収まっていく。缶のぬくもりのおかげだけではなさそうだが、それを気にするとなにやら負けた気分になるようで、何事でもないように愛華も習って缶を開けた。

 開いた飲み口から長い間飲んでなかった汁粉のにおいを嗅いで、そっと口をつけるとまだ少し熱くて、喉に残る甘味は、通り過ぎた愛華の舌先に軽いやけどを残した。

 

「何かあったか?戻ったら余計に震えているようだったが? 」

 

「発作みたいなものが起きただけよ。それにしても、夏場の病院でしかも入院中の女子の患者に汁粉持ってくるあなたの感性が素敵だわ」

 

 悟られまいと愛華が嫌味ったらしく言ってみると、案の定関野は『可愛げが無い』と、目線をはずした。

 

「へーへ。俺は女の相手なんておふくろぐらいで充分だと思っている男なんでね。飲みたくなければ飲まなければいいだろ」

 

 休ませるつもりで缶を置いてやったんだが、と関野は内でぼやいていた。やっぱり曲者である認識を変えないほうがいいのだろう。何事もなかったかのように汁粉をちびちびと飲む彼女は、何を考えているのかやはり分からない。自分の言葉をずらした気もしないではないが、愛華にも含むところはまだあるのだろう。それほど仲良くなっていない相手に突っ込まれたくない領域もあるはずだ。

 関野は汁粉を飲む彼女を見ながら、本来の目的である事件の話についてまだ切り出せていない事に気が付いた。

 

「おい、休みにこれを訊くのは野暮かもしれないが、事件の話について触れても大丈夫か? 夢の話できつくなったなら何か別の話をするって言うのもありだろう。少しばかり話してくれないか? 」

 

 愛華はその問いかけに、軽く肩をひそめた。その瞳は関野から目線をはずさずに、じっとこちらを見ている。

 

「無理。なのか? それとも」

 

「少しくらいならいいわ。だけど、事件が起こる前からの話でもいいかしら。思い出しながらこっちも話すけど、直接事件の事について話すのはね」

 

 濁した言葉からは、やはり事件の事も辛いという感情が伝わってくる。愛華が話す気になった事だけでもいい兆候だと自分に言い聞かせ、硬い笑顔で関野は返した。

 

「ああ、いいさ。少しでも話してくれるならありがたい。進展がないと俺も会社から文句が来るからな」

 

 記者である自分と被害者である愛華との関係は、彼もわかっている。けれども、目の前の患者に対して同情を感じないかといえば、そうでもない。相手がどんな状態であっても情報を聞き出してこそが自分の職業なのだ。言った言葉とは裏腹に、関野は別の言い方があったと思い、自分のライターを右手で握りかえしていた。ライターの握られる音を聞きながら、その相手である彼女は汁粉を途中にして隣にある机にそっと置くと、夢の話よりも、切れの悪いかたちで事件について語った。

 

「確か、そうね。あの日は両親と旅行から帰ってくるところだった。」

 

 伏せるでもない瞳は、彼女にとってはもう遠い過去に向けられていた。ひどく霞がかかったように過去を見ている愛華は、自分の右腕をそっと手のひらで叩き、過去を言葉に出そうとしている。

 

「あの日の前、すこしだけ家族で揉め事があったのよ」

 

「揉め事? たちいって聞いてもいいのか」

 

 たいした事じゃない。というように鷹揚に彼女はうなずくと、そばにある汁粉をもう一度手に取り含んでさらに続ける。

 

「本当にたいした事じゃなかったわ。たかだか、帰る順を遅らせて近場の美術館と併設している菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)を見に行きたい。そんな話だったのよ。」

 

 彼女の語る花は五月に咲く花で、少し開いていた窓から来る鳥のさえずり、セミの声。前に来ていたときには感じなかった表の音は愛華の話し声にそっと重なり、あの事件から流れた時間を感じさせた。

 

「母はね、そこまで回ったら帰る時間が遅くなると、猛反対していたわ。父と私は乗り気でね。その晩は……そうね、明日も帰るって言うのがあったせいかみんなですぐに眠ってしまったわ」

 

「寝てしまったのなら、睡眠不足とかはなかった、ということでいいのか? しかし、父親が運転していたはずだろう。事故は対向車が突っ込んできたにしてもだ」

 

「対向車が突っ込んできただけじゃなかったと、私は思っているわ」

 

 はっきりと愛華はそういいきった。事故の燃え盛っている車体を思い出したかのような恐怖を含んだ声で、それは彼女の身の内で燃え盛っている。みれば、叉すこし震えが走っている。でも、いったい何を知っているのだろうか?

 

「対向車が突っ込んできたわけじゃなかったって言うのは引っかかる。事件の話をすこしは聞いてきていたが、警察の見解とも違うみたいだ」

 

「そういうなら、そうでしょうね。警察の見解ではそうとしか見えないでしょうしね」

 

 どこまでも含んだ物の言い方は、あらゆる方位になぞを張り巡らせているようだ。彼女が知っている事故の原因は、それ以上に知ってはいけない何かを警告しているようにも関野は聞こえた。

 

「本当に、お前は何を知っている? 辛いだけじゃなくってなんというかな、お前が何か事件は別の事が原因という言い方がどうも引っかかる」

 

 窓を向いていた愛華の顔が叉こちらに戻ってきた。部屋に入ったときと同じ、あの自信に満ち溢れた表情の半分、そしてその半分はうかがい知れない感情だった。あえて言うなら、悲しい? 何かに対して悲しがっているような、そんな表情だ。

 

「そうね。今話しているのもだけど、やっぱり事故の事を話すのはすこしきついわね。もう少し話を加えるなら、あの旅館の事ぐらいかしらね」

 

「旅館?そこに何かあるっていうのか? 」

 

「ふふっ。どうかしら、案外私のことだから貴方をからかっているだけかもしれないわよ」

 

 そう言いながら目を浅く閉じる彼女は、関野の目にもあまり話を続けられる状態には見えなかった。やはり、精神のほうにも負担がきているのだろう。

 

「その、なんだ。やっぱり苦しいんだろうな。もうあれから数ヶ月経っているが、両親の事は?」

 

「聞いているわ」

 

 愛華の返答は速やかだった。先ほどまで見せていた瞳の温もりが冷えていくような冷たい無表情の顔、まだ、そこに触れる事を許さないのを如実に物語っている。

 

「即死、だったのがせめてもの救いだってね。って言われたから」

 

「な?!そのまま告げるような奴が……ああ、そうか」

 

 思わず声を荒げた関野は、自分の言葉に気づき渋面を作った。そう、先ほどの毎日々新聞の口汚い男は、たまたま関野が見かけたからいたわけではない。彼は時間帯がすこしずれていたなら、扉の前で遭遇していたかもしれない男だった。

 入る前に愛華がいっていた、男に対する悪態ももしかしたらと関野は思うと、やりきれない思いになってくる。

 

「俺の業界の奴らじゃ、そうまでして情報を吐かせようとする奴だっていたな」

 

「そうみたいね。中には事故被害者の親族連れてきて泣き落としとか、さらにどうしようも出来ない事をする人もいたわ」

 

 多種多様な探りの手がいくつも彼女に伸びていたのだろう。一時はテレビ番組の出演依頼まで飛び交ったというほどだ。だが、彼女がそれを許さなかった。いや、拒絶したから番組自体は存在しなかった。

 それでも、情報を求める手は休むまもなく次から次へと彼女に対して網や釣り針を張り巡らしていたに違いない。

 

 布団の上で座っていた愛華だったが、やおらそこから立ち上がると靴下のまま窓辺へと歩み寄る。唐突過ぎる愛華の行動に、関野もそれを見ているしかなかった。

 愛華はそう言ったあとで、いじくっていた髪まとめのゴムを両方とも乱暴にはずした。緩く編んでいただけの髪は開けていた窓から、吹き込む夏の風にあおられてすこし舞い上がると、肩からすこし下に収まった。

 

「だけど、私は何も出来ない」

 

 髪を解いた愛華の面差しは縛っているときよりも幾分か大人に見える。知っているからこそ、そうとしかいえないと彼女は語った。

 

「事故で被害者にならなかった人間がいるなら、分かるわ。少なくとも被害にあったあたしだってそうよ!被害にあわなかった人間に何かしら言う権利はあるかもしれない。でも」

 

 声がしおれ、風に揺れる髪の隙間から彼女の目が潤んだのが見えた。どこに言うでもない。何処かに言えるものでもない彼女の本音がそこにあった。

 

「なのに、どうしてこんなに攻められなくちゃいけないのよ」

 

 誰にもいえないから、それは出来ないから。何処へとも無く呟くしかない。愛華はじっと見えているはずの窓の外を目に写すだけだった。

 

「お前さんも、人間だったんだなぁ。……ふぅ」

 

 何も言えずにそれを見ていた関野だったが、穏やかに流れていた風が止まり、彼女の髪が顔を覆ったのをみて、一歩、窓辺へ踏み出した。 そのまま、歩みを止めずに愛華のそばによると彼女のベッドの脇に立つ。急に陰った日差しと背後の気配に驚いて、愛華が顔を向けると、静穏な面持ちの関野が、愛華を見下ろしていた。触れるでもなく、何を言うでもない。何もいえないからこそ、そこにいることしかできない。

 

「一週間前に、あんな事があったせいで多少は身構えていたんだ。だがね、そうやって強烈に感情を出しているほうのが年相応に見えるし、何よりも、お前さんのためにも良いと俺は思う。」

 

 そういう関野の顔を、すこしだけつりあがった目で言葉無く愛華は見つめていた。何も返答が無いのを見ながら、関野は続ける。

 

「俺にはわからない。何がどうとか、そうだな、記事のネタにお前を労わる素振りをしているのかもしれないと、思うときもある。けどな、そういうことだとしたって、その場その場で思って出来る事しかやってないからな。結局何がしたいのかはその場の感情が一番なんだよ」

 

 そういった関野を何の感慨もなさげに愛華はじっと見ている。まだすこしつりあがった目は関野を見るばかりだったが、言い過ぎたのだろうかと、関野が声をかけようとして、やっとその唇が開いた。

 

「その場の感情が一番ね。だったら今一番の感情はお茶が飲みたい。あまったるーいののおかげで喉がひりついてしゃべりづらいのよ」

 

 どうして、どうしてこうも自分が慰めようとしたり、励まそうとしたりする事をこの少女はぶち壊すのだろうか。いいことではないにしろ、正直なところを話したはずだと思っていた関野は、ピシッと何かがヒビいった音を聞いた気がした


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