Key2 流転の門2
聞くたびに事件の悲惨さの具合が上がっていく。詳細詳しく知っているような千ヶ原のいう写真を見たら、現場の生々しさまで感じるかもしれないだろう。事故の現場説明だけでも胃の中から苦いものが込みあげてくる感覚を思い出してしまった。
苦虫を噛み潰した関野のそんな表情に、それにもかまわないように千ヶ原は話を続ける。
「ついで二つ目、その骨折だけですんだ奇跡の患者は、どういうわけか車外に放り出されていた。しかもずいぶんご丁寧に爆発の被害が一番薄いところに、だ。被害を一番受けた車に乗っていたはずなのにな」
『奇跡の患者』。口の中で反芻したが、これについては事件の報道記事にも載っていた愛華にとってあまりよくないことも思い出す。
「それは、俺も知っている。自動車のドアが外れてそこからシートベルトをつけていなかった彼女が飛ばされたという話だろ。だが」
関野は暗い事実を知っていたが、口に出しては言えない。その事故の死亡者の中で遺体が一番ひどい状態だったのが愛華の両親たちだった。
「そうだなぁ。お前が今担当する羽目になったその子、両親についてはあまりに陰惨としか言いようが無かった。彼女も知ってはいるだろうけど、事故の記事としては事欠かないほどの悲劇的展開だ。こぞって新聞だけじゃなくて週刊誌もネタにしたらしい」
頷いている千ヶ原の顔にも不快感が滲んでいる。いくら記事にするのが仕事とはいえ、『人の不幸が蜜の味』となるまでの外道には落ちたくないと、千ヶ原はよく口癖のように言っていた。そんな彼からしても、記事に仕立てねばならなくなれば、行かされるのがこの仕事の常だった。
「まぁ、おいおいその話については俺も思うところがあるから、お前のほうが落ち着いたらで良いから相談にも乗ってくれ」
事件の事でしんみりとしてしまった空気を散らすように、千ヶ原は頭の上で関野の煙草の煙ごと空気追いやる動作をしてから、最後の点についての話を始めた。
「最後の三つ目、こいつが怪奇事件といわれて言われている元になったともいえる事柄だ。生き残った人々は車からすべて引きずり出された時、『なぜ引きずり出すんだ?』という内容のことを全ての人間がいったそうだ。」
関野は自分の息が大きく飲み込まれ、喉が大きく動くのを感じた。付いていた肘が白いテーブルとの摩擦音を立てて擦れた場所が薄く熱を持つ。目を覚ましているはずだよな、と関野は改めて組み込んだ腕の内側をつねった。疼痛を感じつつ、自分の前にいる千ヶ原の顔を見ながら自分がここにいるはずだと深く思わせる。
そうでもしなければ、また病院の空気が床下から湧き出してきそうだった。上手く回らない言葉を、もう乾いてしまった唇をぬらして関野はその口を開いた。
「どうして、そんなことが起こった。事故の悲惨さを一番にわかっているのは彼らだろ。火が近くに迫っているというのに。」
険を増した関野の顔に千ヶ原はそのままで、と軽く手を立てた。
「そうさ、事故の起こったことを、誰の目にも明らかな事故を認識できてなかったんだよ。もし、近くで通る車があの他に無かったら、あの中にいた人々は何が起きたかを分からないまま死んでいただろう。当人たちは誰もが口を揃えてそういっている。」
「精神鑑定は?心理的な傷があって記憶喪失とかそういう類のことは?」
関野に宿った色を千ヶ原も見て取ったのだろう。少し待て、と関野を待たせると、新たにコロンビアを入れなおして自分の傍らに置いた。冷めるまで時間がかかるであろうそれを口に少しだけ含ませ、目元を軽く指でつまみ関野に新たに向かい合った。
「関野、さっきよりもいつもの顔に戻っているな。戦う男の顔ってやつ。そういう顔つきなら話しやすいってものだ。全員が最多で三回の鑑定を受けている。事故の衝撃を理解しているものと、まったく知らないものどれも事故が起こったこと理解しきってないものがほとんどだった。で、そこで扉の君だけは違った。彼女が『奇跡の』と呼ばれるのは現時点で、意識を持っていたからさ。」
冷め切る前に話しきってしまうかのように千ヶ原の口調は後半早口だった。自分でも滑らかに煙草に手が伸びているのに、関野は火をつけてから気が付いた。事件の概要だけなら知っていたが、こんな事だとは知らなかった。彼女と話していたのがどういうことなのか、やっと一端を掴めた気もする話である。煙草をすうのが早くなる気もしたが、そのまま千ヶ原に、目で進めるように促した。
「その意識っていうのが真実だって言うのはどこまで本当だったのかも気になるな。彼女の精神鑑定は?」
「同じく最多で三回ほど行われたが、異常を感じる言動はあっても、多少の心理的支障はある以外はほぼ現場の状況と一致。何故逃げられたかについては、車から出られたの一言。ついで、言いたくない。真相に迫るべく数多の専門医、心理相談員、警察、誰にも話をしたそうだがな。」
「あ? 扉の君伝説はどうしたんだよ。出てこないっていうのはどこに行った。」
関野が突っ込むと、苦笑した顔で千ヶ原は自らを指した。
「それは、俺たち新聞記者の間で通じる名前だってことだよ。マスコミ関連は基本警察の見解からしか情報を得てないのが実情だ」
言いながら、なぜか千ヶ原はあたりをきょろきょろと見回しだすと、耳朶の辺りをきつく握るような動作をした。どことなくせわしない雰囲気も漂わせてくる。何か言いたそうだが言い出したくない、そんな形で口が開いたかと思うと、思いっきり引き結んでをすう度繰り返していた。
「何かいいたいことでもあるのか、千ヶ原。それとも話し辛いって言うなら別に話さなくても良いぞ」
「いやな、そんな話したいことじゃないって言うのは。違うというか。お前だって話したくないことじゃないのか」
「ああ? 何がだよ。俺にも共通で話したくないことなんてあったか」
関野はまるで分からないという調子で、煙草をくわえたまま千ヶ原に聞き返した。そんな関野の問い返しにも、やはり千ヶ原は陸に上がった魚のように口の開け閉めを繰り返しているばかりだ。
数分、そんな状態が続いたが意を決したように千ヶ原が聞き返しに答えた。
「なら、率直に聞かせてもらうぞ。お前どうやって彼女のところに入れてもらったんだ? 菓子か、弱みか、同級生でも呼んだのか? それともお前の顔が、あ、いやそれは無いな」
「彼女も結構言いたい放題言ってくれたが、お前もよくよく考えてみれば遠慮が無いんだよな、千ヶ原。俺は数回押し問答して。それが彼女の回答に当てはまりでもしたのか、それで入れてもらったんだ、お前が考えているよう」
「んなんだとぉぉおおお」
答え途中に千ヶ原から絶叫に近い大声が飛んだ。その声に、近場を歩いていた記者仲間や、事務若い女性が驚いてこちらを振り返ったり、角からこちらをのぞいている。関野は思わず煙草を口から落としそうになって、手で煙草ごと口周りを押さえた。火傷しかけたが、机の上に灰が落ちただけで本体は落とさずにすんだ。
危なく下のカーペットに取り落としそうになった関野と、周囲の人々に何度も頭を下げつつ千ヶ原は小声で言った。
「そんなもんだけですんだのかよ。ほかの奴らがどんな目にあったと思ってやがる。怒らせるだけならいいが、下手したら事情聴取沙汰になった奴までいたって言うのに」
その言葉に関野も目を見開いた。愛華に関していい思い出がないのは自分だけだと思っていたが、どうやら人がそれだけ裂かれたのはやはり彼女の病気や病院対応、それだけじゃなくあの性格も原因だったらしい。
「ほ、ほんとうなのか、それは。俺はそういった話を聞いて無くてな」
そういう関野に、千ヶ原は自重めいた笑いを含んで喫煙室の天井を見上げながら、関野と同じように煙草に火をつけた。魚の症状はもはや出てないが、軽く肩が震えているのと眉の間が狭まり、その様は堪え切れない怒りを語っているようでもあった。
「かくいう俺は扉の前で三時間。粘ったがそれに対する言葉は最初の『約束じゃない』の一言だけ。質問を続けて、時には黙り、被害者の好みだっていう菓子類のつめ合わせ五千円相当を持っていったんだが、ああ、思い出すのも忌々しい! あいつは何したと思う? 扉の前で菓子を持っている俺の事を『いやあああ!私の服を破らないで! 変態! 』と言いやがった。おかげで事務所からすっ飛んできたナースに警察呼ばれかけるわ、モップで背中打たれるわ」
そこまで言って、千ヶ原は打たれたのであろう背中をとんとんと叩いて見せた。変質者扱いされる羽目になるとは……、自分がいかに好待遇で、彼女に迎えられていたのかという事だ。そうなった理由は今思い出したくは無いが。
「で、そのまま帰ってくる羽目になったのか。警察は呼ばれずにすんだのか?」
「呼ばれはしないけどな。ほとぼりが冷める前で俺はまだ事件中ごろだったからそういう待遇になったらしい。後でもそういう事が起きたらしいのを別の社のやつから聞いたけどな。だが、問題はそこじゃない! 俺が持っていった菓子をあの野郎、いつの間に扉を開けたのか分からない素早さで奪いやがったんだ。今思い出しても頭に血が上りそうになる。あの菓子を食いやがって。俺も楽しみにしていたのに。」
悔しそうな溜息をつく千ヶ原に思わず噴出しそうになる。堪えかけわずかに煙が鼻から漏れて、自分の前で揺れて消えた。愛華なら今千ヶ原が言ったことくらい難なくやってのけそうだ。
「たかが菓子くらい、情報仕入れるために俺だってそれくらいのことはする時だってある。事件初期で警察を呼ぶっていうことが起こったのに俺はおどろいたがな。」
口元が引きつっている関野を睨みながら持っていたまだ長い煙草を銀皿に突っ込むと、ちょっと冷めたコロンビアを飲み、千ヶ原は口を少し尖らせた。
「くそ、「フォレスト・ルーベンス」だぞ。あの銘菓、『フォレルベ』! バームクーヘンが絶品なんだぞ。関野、菓子嫌いじゃないならお前だって一度食ってみればいい。絶対に俺の悔しさがわかるはずだ。」
「わかった、わかった。脱線はそこまでにしといてくれ。それで、結局彼女は何一つ語ることなく現在に至っているという事でいいのか?」
軽くなったはずの空気がまた少しのしかかってきた。どうやらあの部屋の前に立った記者の数は関野の想像を超えるところであるらしい。軽口を叩いていた千ヶ原もそれには黙りこくってしまった。
「ああ、そうだな。まだお前以外にはそこまでかたっている奴はいないだろうな。新聞仲間ではあの怪奇事件を取り扱う事さえ嫌う連中が多くなっている。俺たち実真東のとこから毎日々、早駆、地両千、果ては唯事新聞とかいう宗教関連の新聞社までもだ」
自社以外に千ヶ原があげたのはライバル社である二社と、新規立ち上げの一社。いずれも記事に関しては余念が無いまでに情報を仕立てる。だが、それ以外に、あの情報追及には遠慮の文字が無いと言われた唯事新報までもこの事件を嫌いだしているという事実には驚かされた。千ヶ原の話を聞いているうちにどんどん自分がかけ離れた事柄に引きずり込まれているのが分かってしまい、関野はすでに三本目になる煙草に手をつけていた。
「ああ、悪い。そろそろ俺も行かなきゃならない。仕上げ作業に掛かっているのが一件あってな。叉なんか合ったら俺のとこにも話をつなげてくれよ? 多少だが知っている限りの事は手伝う」
千ヶ原は、そういいつつ吸いかけの煙草を銀色の吸殻いれに突っ込み関野のそばを離れた。
後に残ったのは関野が吸っている煙草の煙と、不明瞭な背景ばかりだった。