84、 あなたはいつでも
けれど。
覚悟した衝撃は別のかたちで訪れた。
「その通りです!」
天井から声が降ってくる。
とともに、灰色の外套を被った男性が飛び降りてきた。
床に振動が響くが、その男性は特に怪我もなく立ち上がる。
少年のような顔立ち、右目には眼帯。そしてゲオルグに似た茶色いクセッ毛。手には立派な槍が握られている。
近衛特兵のヘイムダルだった。
「フリッカ様は陛下の大事な方です!決して害させはしません」
ヘイムダルはすぐさま再び飛び上がると、ソルバルドの持つ剣を槍で弾いた。
ソルバルドは小さく悲鳴を上げ、剣を一瞬床に落とす。なんとかすぐに拾いあげたが、その姿勢には大きな隙ができた。
その間に、ヘイムダルが私たちとソルバルドの間に割って入る。
「フリッカ様、母上、グナー殿。僕の後ろに隠れてください。この男は僕が対処します」
「近衛特兵か……!」
ソルバルドが思わぬ伏兵の登場に呻く。
ヘイムダルもフライアとともに潜入していたのだ。
知らなかった事実、そして力強い仲間の登場に私は心の中で声を上げた。
ソルバルドが再び剣を構えると、騒ぎを聞きつけたエルム家の兵士たちも集まってきた。
一難去ってまた一難。さてどうしたものかしら。
敵兵に囲まれた私たちが一歩も動けずにいると、今度はどこからか地鳴りのような気配がした。
まるで、軍隊のどよめきがここに近づいてくるかのような。
こんなに早く来るわけがない。
でも、エルム家居城に近づく軍隊と言えば、思いつくのはただひとつ。
不安と期待がない交ぜになりながら、私はドアのほうを振り返った。
ドドド、という響きが最高潮に達したとき、不気味な洋館の扉は開かれた。
そして聞こえてきたのは、待ちに待った人の声。
「――ソルバルド・フォン・エルム公爵。先帝派時代からの国家反逆罪にて貴様を処分する」
ああ、また、来てくれた。
抑揚が乏しいバリトンボイス。それでいて、愚者を冷笑するような傲慢さを伴う。
だけど、それが洋館一階に響き渡ったとき、私はやっぱり安心してしまった。
私がピンチになればいつでも駆けつけてくれる大好きな人、ゲオルグ。
黒馬に騎乗したまま館内に侵入したミドガルズ大帝国皇帝は、帝国軍およそ50騎を引きつれて登場した。
「だがそんな罪状はどうでもいい。俺の妻を攫うという最悪の行為に手を染めたな。今の俺はこれ以上なく不快だ」
現れたゲオルグは冷静でありながらも感情を隠すことはない。その姿からはいてつくような威圧感がはなたれていた。
彼の表情は怒りと侮蔑で満ちており、冷たく輝く鷹の目がソルバルドを刺す。
ヘイムダルの横に乗りつけたゲオルグが、颯爽と馬を降りる。
後ろから追ってきた騎士の一人がゲオルグに槍を渡すと、彼はくるりと槍を回して手に馴染ませ、さらにソルバルドに迫った。
皇帝の槍は美しい装飾を纏いながら、シャンデリアの明かりを照り返している。
「今日までは尻尾を掴ませずにうまくやってきたようだが、ここに来て俺の地雷を踏み抜いたな。フリッカに手を出したこと、地獄の果てまでも追いかけて後悔させてやる」
ゲオルグの背後では、バルドルに加え、バナヘイムのパパも騎乗の人となっていた。
パパは相変わらずの笑顔で馬を降りてきたが、その笑顔にはゲオルグ同様に怒りが張り付いていた。
「バナヘイムのステファーノ・コロンナを敵に回すとは、愚かな帝国貴族だね」
パパには珍しい、凄みのある声だった。
「申し訳ないが、この領地に隣接している信仰国家ニーベルンゲンはバナヘイムの友好国だ。派兵を依頼して洋館を包囲してもらった。公爵家と言えど逃げ場はないよ」
ステファーノパパがソルバルドに対して最後の通告を行った。最後は醜く足掻かず、潔く投降しろと言っている。
こんなに早く軍隊が到着するとは思っていなかったけど、その正体はニーベルンゲン軍だったのね。
少数精鋭の帝国軍だけを強行軍で進ませ、他の騎兵は隣国から呼び寄せたのだろう。さすがは大陸最大の国家バナヘイムだ。
ソルバルドは愕然としてゲオルグとパパの話を聞いていた。予想外のことが一挙に進み、信じられないといった様子だった。喘ぐように息をして、ようやく言葉を紡ぐ。
「なぜですか陛下……。陛下は貴い血を持つ鉄の森の生き残り。その血によって世界樹<ポンプ>を使えば、この地は再び大陸の覇者となるのです。我ら貴族はあなたに忠誠を誓うでしょう」
「くだらん」
ゲオルグは一蹴した。
眉間の皺がさらに深くなり、黄色い目は燃えるようだった。
「もはや鉄の森は滅亡し、世界樹<ポンプ>に頼り切る時代は終わった。これからの帝国は自らの力で歩むのだ」
ゲオルグはさらに声に力を込める。半ば怒鳴っていた。
「それに俺は国のためにフリッカを犠牲にすることはない。貴様の話など一顧だにするつもりもない!」
言うや否や、ゲオルグは一歩踏み込んでソルバルドに向けて槍を振り上げる。
「陛下に続け!」
ゲオルグの攻撃が合図となった。
およそ50騎ほどの帝国軍がバルドルの掛け声のもと洋館に一斉乱入してくる。
赤い絨毯が敷かれ甲冑が飾られた厳かな洋館は、一瞬にして帝国軍とエルム家兵士たちとの合戦場と化した。
ゲオルグとソルバルドは槍と剣で応酬を続けていたが、どう考えてもゲオルグに分があった。
とにかく剣で切りつけてくるソルバルドに対し、ゲオルグは的確に相手の狙いを見定め、柄で攻撃をいなしていた。
突いて、守る。
相手の隙を見て、一歩踏み込む。
そうして少しずつゲオルグがソルバルドを追い詰め、ここぞとばかりに槍を振り上げると、ソルバルドの剣を弾いた。
公爵家当主の剣が宙を舞う。
ついに、皇帝の槍が懐古主義派の親玉の心臓を貫く―――!
と誰もが思ったが、すんでのところでゲオルグは槍を止めた。
ゲオルグは膝をついたソルバルドを見下ろしながら、もう一度槍をくるりと回す。
そして大きく息を吐いた。
彼自身が気持ちを落ち着けているかのようだった。
「――バルドル、ヘイムダル」
「御意」
「ここに」
バルドルとヘイムダルがその意を受けて、床に倒れ込んでいるソルバルドの左右に参じる。
「ここで殺したいところだが、先帝派時代からの罪状は相当のものだ。帝都の大広場で処刑を行う。しっかりと縛り上げて皇宮へ連れて帰れ」
「御意」
「御意」
バルドルとヘイムダルにソルバルドの身柄を引き渡すと、ゲオルグは私を振り返った。
数日ぶりに見た黄色い瞳に、私の心臓が高鳴る。