83、 ごめんね
フライアがシルバーワゴンからエルム家の侍女服を取り出し、私とグナーはそれに着替える。目立つピンク髪は帽子で誤魔化した。
背の高いフライアとグナーの後ろに隠れてそっと廊下に出る。
巡回の兵士の死角を縫う格好で、壁際や柱の陰に隠れながらエントランスを目指した。
幸い、柱や装飾品が多く設置されている関係で隠れ場所は多い。フライアの手際よい指示によって、途中までは順調に進むことができた。
だが、ようやく一階にたどり着いたとき。
無慈悲な声がフロアに響く。
「そこまでだよ」
ヴェーリルだった。
その背後からは後ろに手を組んだソルバルド氏が優雅な足取りで登場する。
グナーが私とフライアの前に出て、庇う姿勢を取った。
「邪魔者が紛れ込んでいたか。ヴェーリル、皇妃殿下以外の2人は殺してしまっても構わん」
「……父上、話が違います。怪我はさせてもいいとは聞きましたが、殺すとは」
「間諜となれば話は別だ。加えてたかがメイド一人、殺してもどうとでもなろう」
「しかし」
ここにきて、初めてヴェーリルが父親に抵抗の意を示した。
やはり彼は裏切りたくて裏切ったわけではないんだ。この光景を見て私は確信する。
建屋の起動という死の恐怖を何度も強制させられた彼の心痛は察するに余りある。これまでも何度も抵抗しようと思っていたが、その意思さえ奪われてしまったのだろう。
「あなたのやろうとしていることは妄想よ、ソルバルド」
私はグナーを押しのけて言ってやった。
「帝国軍はすぐそこよ。大人しく降参することね。追い詰められているのは私たちではなくあなただと思うわ」
「……噂にたがわぬじゃじゃ馬娘だな」
ソルバルドは再び狂気の光をその目に宿した。
「殺しはせんが、私自ら少々痛めつけてやるか。残りの2人はひと思いに殺してやろう」
「父上、おやめください」
ヴェーリルの制止も聞かず、ソルバルドは腰に佩いていた剣を抜いた。飾りかと思っていたが、どうやら実戦にも使えるらしい。
「お嬢様」
グナーが耳元でささやく。
「私が飛び出しますので、その隙にフライア様と裏口からお逃げください」
「あなたを置いて行けっていうの? そんなことできるわけないでしょう」
「ですが、あの男は狂気に取りつかれています。お嬢様にどんな危害を加えるか分かりません」
「嫌よ」
「ごちゃごちゃうるさい!」
小声でやりとりしていると、ソルバルドが途端に剣を抜いてこちらに突進してきた。
グナーが私を抱きかかえて横へ飛びのく。フライアも後ろへ飛んだ。私とグナーは廊下へ転がった。
「皇妃様!」
フライアが叫ぶ。
敷かれている絨毯が衝撃を吸収してくれたおかげで私にもグナーにも怪我はなかったが、ソルバルドとの距離は縮まってしまった。私たちは廊下に転がっている状況で、立ち上がる余裕はない。
剣を振り回しながら、ゆっくりとソルバルドが近づいてきた。
次にその剣身を振り下ろされたら、かわすことはできないだろう。
「父上、おやめください!」
ヴェーリルがソルバルドの腕を掴むが、それも振り払われた。もはやこの狂気の男には誰の言葉も届いていない。
細身の剣が、私たちの頭上で振り上げられる。
覆いかぶさるグナーが、さらに力を入れて私のことをギュッと抱きしめた。
このままだと彼女が切りつけられてしまう。
ソルバルドが平坦な声で最後の言葉を放つ。
「私に逆らったことを後悔しろ」
「グナー、逃げて!」
グナーが耳元で息を吸うのが分かった。
そして彼女は大きな声で叫んだ。
「この方は、私の光です」
普段声を荒げることのない彼女の言葉は、状況にそぐわぬほどに凛としていて、洋館中に響き渡る。
「私の光であり、皇帝陛下の光であり、ヴェーリル様の光であり、フェンサリル領の光です。そして、ニブルヘイムや世界の光でもあります。この光は、決して途絶えさせません!」
私の息が詰まる。
無慈悲な光を瞳に湛えたソルバルドと目が合う。その瞳に躊躇はない。剣を下す動作が、私の目にはっきりと映った。
無駄な抵抗だと分かっていても、私はグナーの背に腕を回すのを止められなかった。
グナーの頭をとっさに掻き抱く。そして、勢いをつけて回転し、彼女と自分の体を入れ替えた。
体の位置が上下逆転したことで、私がソルバルドの剣を直接背に受ける体勢になった。
「フリッカ様!? 何を」
土壇場での私の行動にグナーが絶叫した。
でも、絶対にグナーを殺させはしない。
この親友に、ずっと助けられてきたの。
今度は私が守る番よ。
「お嬢様! 手をお放しください!」
ごめんね、グナー。
悲しませてしまって。
「お嬢様!」
ごめんね、パパたち。
親不孝な娘だったけど、許してね。
ごめんね、ゲオルグ。
私また、死んでしまう。
あなたを置いて逝ってしまう。
私ね、実はあなたが大の寂しがり屋なのを知っているのよ。
だから今世では、もう二度と寂しがらせないって決めていたんだけどね。
今度は一緒に生きたかったのに。
あなたと泣いたり笑ったりして、ずっと同じ時間を過ごしたかったのに。
もっと「大好き」って言いたかったのに。
あなたに完成した論文を渡して、一緒にお祝いしたかったんだけどなあ。
振り下ろされる剣は、止まらない。
前世で体験した、あの恐怖のときが来る。
私はそっと目を閉じた。




