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「下に見ているというのは、その通りです」
否定されるかもと思ったが、エテメン・二グルは即答した。
「管理者が管理下にある者を下に見るのはある意味当然のこと。だからこそ管理しているのです」
「それはそうね。だから管理を見直すときが来てるって言ってるのよ」
「我々は非難されても構いません。大陸が無くなるよりはずっといい。私たちはそれよりもひどい世界を9回見てきた。いわばこれは“償いの管理”です」
ヤルンヴィットの50人会議は「ニブルヘイム自身が荒廃を進ませ大地を捨ててきたのだ」と指摘していた。
彼らが過去にしてきた行為とは侵略か、搾取か。
他国との戦争という可能性もある。
いずれにせよ9回も大陸を捨てなければいけなかったなんて、過去には相当な凶事が行われてきたに違いない。
いや、待ってよ。
だったらさあ。
「9回も失敗してきた人たちに管理されるほうが問題じゃない!?」
やっぱりヤルンヴィット神興国がニブルヘイムに反旗を翻す理由が分かるなあ!
戦争もダメだけど、管理者が学ばないのもダメよ。仮にも学者がそれでいいの!?
「あなたたち科学者なんでしょ? だったらあなたたちが最初に変わりなさいよ」
「世界の管理とは口で言うほど簡単ではありません。私たちだって間違いを犯す」
「いや歴史に学べよ」
私の観察が正しければ、これまでの会話の中でもっとも二グルがたじろいだ場面だった。
ハクイの裾も戸惑いがちに揺れている。
やっぱりこの人も私と同じ学者ね。
学者仲間を説得するんだと思えば、怖くないわ。
「皇妃の言う変わるとは、どういう行為を指すのですか」
「大陸で生きている人を信じなさいってこと」
私は胸に手を当てて声を張り上げ、先ほどと同じ内容を訴えた。
「人々は自分たちの力で真実を知り、歩くときが来ていると思うわ。 世界樹が破損している以上、次の大陸を創れるかどうかも不明。今の大陸では人々自身が変化して生き続けていく選択肢こそ必要よ」
横にいるゲオルグが私の発言に頷き、援護射撃を繰り出す。
「言論出版の自由化も最初から全てがうまくいくとは思っていないが、国民が考えていくきっかけを作ることはできるはずだ」
こういうときに頼りになる夫に改めて感謝の念を抱く。
ゲオルグと私の発言に、二グルは唸った。感情の見えない灰色の瞳に、一瞬だけ何とも言えない光が宿った気がする。
「これまでにない斬新な発想を持つ皇帝と皇妃ですね」
「斬新なのは俺というよりも、フリッカだがな」
「なぜ皇妃はそこまでして大陸の人を信用したいのですか」
それほどメリットがあるようには思えません、と続けられた彼の発言は、私が勢いあまって被せた言葉によって途中でかき消された。
「論文を出版したいからよ」
「論文?」
「9枚の大陸が打ち捨てられても、世界樹が朽ちても、そして創世神話がなくても、人々は大陸で生きていける強い存在だって証明するための論文ですもの。読者を信用しなきゃ、こんな内容を書けるわけがないでしょう?」
興奮した私は、ゲオルグが「おい、フリッカ」と制止するのも聞かずに二グルの手を取る。
彼の手は同じ人間と思えないほどに冷たかった。
「だからあなたたちの話を教えてちょうだい」
「私たち? 私たちの何を聞きたいというのです? 愚かな失敗談ですか」
「ニブルヘイムの話よ! 科学って何? どんな勉強をしているの? すごく聞きたいわ」
二グルは私のテンションに言葉を失っていた。
しばらく手を握られたままにしていたが、やがてぽつりと呟く。
「皇妃の言うことは主客転倒といいますか支離滅裂といいますか」
人間離れした冷たさが、私の手から熱を奪う。でも、逆にそれが気持ち良いとも感じる。
この神さまの冷たさにも、何か理由はあるんだろうか。
「ふふ」
冷たい手の持ち主がそっと笑った。
「でも、あなたの気持ちが初めて理解できました」
その言葉を、世界の管理者から引き出せた自分を、褒めてあげたい気分だ。
「論文を書くのは、私も好きですから」
◇
こうして帝国建国以来、公式としては初めてのニブルヘイムの客人をもてなすことになった。応対は出版室にて。
グナーの淹れてくれた紅茶を、私とパパ、エテメン・二グルが囲んでいる。
「まさかニブルヘイムの客人と話せるなんてね。長生きはするもんだ」
騒動を聞きつけて定宿からやってきたパパは、二グルとちゃっかり握手をしていた。
二グルは「私は帝国の観測をして日が浅い。あなたたちの動向を許可するかどうかは自分一人で決められるものではなく、少し時間が欲しい」とのことだった。
世界樹<ポンプ>を起動させないという条件の元、他のニブルヘイム人と協議することを約束してくれた。
二グルはまだ新人担当者だったのか。
これがベテランだったら私のことも知られていたのかもしれない。タイミングの勝利だ。
「ニブルヘイムの話を聞くことはできない?」
「それも協議させてください」
「償いの管理の詳細が聞きたいわ」
「ですから少し待ってください」
「参考石碑もしくは書物などはない? 見せてもらいたいのだけど」
「大人しく待っていてくれたら、何か持ってきます」
ゴリ押しする私の体を、二グルは必死に押し戻していた。
しかしこれで二グルの交渉が上手くいけば、私の論文にはニブルヘイムという後ろ盾がつくことになる。最強のカードだ。
そして「創世神話」を作る必要性についても、当事者である彼らの話を盛り込むことができるのだ。
最高だわ。
完璧な論文の出来上がりを想像した私はニヤニヤが止まらなかった。
「ねえ、パパ! これなら論文出版してもいいわよね?」
「もちろんこれからの改稿内容次第だけど、ゴールには一歩近づいたと言っていいだろうね」
私はパパと抱き合う。
そのお祭り騒ぎについていけない二グルは紅茶を飲みながら無感動で私たち親子を見つめていた。
虹の祭祀場では、世界樹<ポンプ>の起動を見送った。
それは二グルとの約束事でもあり、ゲオルグも了解してのことだ。
逆に言えば、もしも世界樹<ポンプ>を起動させることがあれば、ニブルヘイムが本気で帝国を潰しに来るという事実が確認できたということでもあった。
そして、祭祀場での出来事の裏ではもうひとつ重大な事案が動きつつあった。
帝国軍の動きを察知したエルム領の懐古主義派がついに動き出したのだ。