73、 前世で私を殺したのは
「でも肝心の世界樹<ポンプ>は故障して、“堕ちた森”に沈んでいるんでしょ?」
これはヴェーリルの受け売りだ。
「次の大陸を生み出す力を吸い上げることが難しい状況で、鉄の森に引き続きミドガルズまで滅ぼそうというのは乱暴よ。それこそ大陸の混乱につながるわ」
「そこまで見てきたというのですか」
「夫とともに端末? に触れたら見えたのよ。50人会議はあなたたちとの関係性も教えてくれた」
嘘だ。
大嘘である。
ヴェーリルから聞いた話をそれっぽく盛っているに過ぎない。
でも仕方ないでしょう、神さまを相手にした一世一代の大勝負なんだから。
ここで「こいつは対話に値する相手だ」と思わせなければ次のステージに進むことはできない。
「でも、別に鉄の森に呼応するつもりはないわ。私たちだって混乱なんて望んでいないもの。あなたたちニブルヘイムと立場は変わらないと思う」
私はそこで言葉を区切った。
今度は、先方に判断してもらうターンだ。
銀髪のニブルヘイム人は、こちらを凝視している。
彼の中で世界樹<ポンプ>の起動を何としても止めたい気持ちと、ことを荒立てたくない気持ちがせめぎ合っているのが感じられた。
しばらくして口を開いた彼の口調から、かろうじて後者が勝ったのだと分かった。
「ニブルヘイムは大陸が平和であるべきとの願いから、各地に観測者を置いています。私はエテメン・二グル。帝国担当の観測者です」
「エテメン・二グルさん、ね。観測していたのならば分かるでしょう。ゲオルグがいなくなったら帝国が再び内乱になるってことが。まずはその光線銃を下ろしてほしいわ」
「世界樹<ポンプ>が不安定な状態で起動させることは絶対にあってはなりません。何が起きるのか、私たちにさえ分からない状況なのです」
皇帝は片手を上げた。
「俺たちが世界樹<ポンプ>を起動した理由のひとつはニブルヘイム人を呼び出して対話をするためだ。そちらがフリッカの会話に応じるならば起動は待つ、と約束しよう」
ゲオルグが壁から手を離すと、光の板も消えた。
二グルは光の板が完全に消えるのを見届け、一瞬だけ躊躇した後、光線銃を下ろした。次いで口を開く。
「つまり私はおびき出されたわけですか。興味深いですね」
いきなり光線銃を撃ってきたり皇帝に横柄な態度を取ったりした彼は、決してプライドが高いわけではなくて純粋にぶしつけなだけのようだ。
現に今、彼は自分の立場を悔しがるでもなく分析している。
「世界樹<ポンプ>を起動させてまでニブルヘイムとしたい話というのは、私も気になります」
ゲオルグはわずかに口角を上げつつも、目をつぶって腕を組んでいる。彼自身が口を開くつもりはないのだろう。
「そろそろ人は、自分たちの力で歩くときが来ているのだと思うの」
私が発言を再開すると、予想しなかった言葉が出たとでもいうように二グルの動きが止まる。
「世界樹<ポンプ>がどうなるか分からない以上、人々はこの大陸で成長していかなければならない。自らこの地盤に立ち、自ら考え、歩き続けていく選択肢を復活させないといけないと思う」
「驚いた。そんなことを考える人間がいるんですね」
肯定の言葉だが、冷笑的な含みもある。
「私と皇帝陛下は、ミドガルズで言論出版の自由化を図ることにしたの。その中で、これまでの大陸が放棄されてきたこと、鉄の森の存在、そして世界樹の本当の機能について書いていきたいと考えているのよ」
「学術書、ということですか。時期尚早にもほどがある。第一、誰も信じない」
今度の言葉にははっきりと侮蔑の色があった。
ただ、二グルは光線銃を振り上げるそぶりは見せなかった。
いきなり殺される局面は乗り切ったのだと信じたい。
「特別に教えますが、学問が活発なバナヘイムでも何度かそういう論文を出そうとした研究者がいたようです。しかし全員殺されました」
「えっ」
「急すぎたのです。それに、どれもこれもが創世神話やニブルヘイムを悪だと決めつけていた。学者や研究者とは全ての情報を平等に扱うべきで、我らの取り決めで焚書と判断されました」
ひえーーー!
私は心の中で叫んでいた。
やっぱり私を殺したのはニブルヘイムだったんだ。
しかも理由は「掲載内容の不公正」!
論文失格即殺害ってこと!?
こわすぎる。
ヴェーリルが言っていた通りなら、この人たち学者の集団なのよね。
やっぱり身内には容赦がないわ。
パパのアドバイスを聞かないで出版したら、今世でもまた殺されていたのかも。
15年前の真実が明らかにされて、スッキリした半面わずかな恐怖が尾を引く。
そして隣から滲む怒りのオーラ。ハッとそちらに目を向ければゲオルグの握りこぶしが震えていた。
まずい、彼、キレてる。
「貴様らが15」
「ゲオルグ―ッ!15歳の誕生日パーティーのときに食べた鶏肉のパイ包みがすっごい美味しかったのーっ!また食べたいな~~~っ」
モゴモゴする彼の口を慌てて塞いだ。
ゲオルグが二グルを殴りつける前に、彼の体にしがみついて必死にとどまらせる。ここでブチギレたら全部意味がなくなっちゃうでしょ。
怒ってくれる気持ちは嬉しいし、私にも怒りがないわけじゃないけど、発散するのは今じゃない。そしてその相手は、エテメン・二グルでもない。
ゲオルグをどうどうと宥めてから、私は再び二グルと向き合った。
「時期尚早って言うけれど、それは、あなたたちが全てを管理していたからでしょう」
誰だって全てを管理され監視下に置かれたら、自分で歩く気なんて無くすわ。
対するエテメン・二グルは先ほどと変わらぬ調子で続けた。
「世界はこれまで10枚の大陸を経てきました。全て合わせてざっと127億年」
億年、というのがどれほどの長さを表すのかが分からない。
途方もないほど長い長い時間なのだろう。
「その間、人類は10回生誕したが特に変化はありませんでした。それがこの地盤で突然変わると?」
「だからそれは、あなたたちが成長の種も機会も全て潰しながら管理してきたってことじゃないかしら」
憤りが声に表れる。
これは先ほどとは違う種類の怒りだ。
自分が殺されたこととは別のもの。
ニブルヘイムの世界管理に傲慢さを感じたのだ。
ヤルンヴィットも十分に傲慢なのだが、彼らが反旗を翻したくなる理由もなんとなく察せられた。
「ニブルヘイムが人間を見下して管理していたなら、変化も成長もなしえないわ。そんな状況で知識を与えたって無駄よ。そもそも知識って、変化や成長のために伝わっていくんだから」
あなたと、そしてその先にいる誰かの生活が、より良くなるように。
この視覚、歌、言語を通してあなたに通じ、あなたが受け取った知識を、またどこかの誰かへ届けてほしい。
知識を伝える者と伝えられる者には、どこかの誰かがこの知識を大切に感じ、再び誰かへ伝えてくれるだろうという漠然とした信頼が存在している。
少なくとも私はそう思っている。