72、 対決! ニブルヘイム
鉄の森の空間にいたのは一瞬のことで、皇宮では大した時間が流れていなかったようだ。
意識が戻った瞬間に部屋を見回したが、グナーもキノコもバルドルも、先ほどとまったく同じ姿勢だった。グナーには「お嬢様? どうかされましたか」と問い返される始末。
かなりの長い時間、あの灰色の国にいたと思っていたのに。
一体どういう原理なのかしら。
そうだ、ゲオルグは? 隣に立つゲオルグを見上げる。
彼もまた私を見ていた。丸眼鏡の奥の目が悪そうに細められた。
「戸惑うのは後だ、フリッカ。こいつを起動させるぞ、いいな?」
私を安心させる柔らかい声色には、先ほどまでの体験が内包されていた。彼が一緒だった事実を再確認した上で、私たちの目的を思い出す。
そう、世界樹<ポンプ>を起動させ、ニブルヘイムと対峙すること。
私は短く「ええ」とだけ返した。
ゲオルグが、壁に平行して浮かぶ光の板の上で手を滑らせる。
再び不快な高音が響く。床がかすかに揺れた気がした。
いよいよ世界樹<ポンプ>が起動するんだ。
一体何が起きるんだろう――――。
刹那、光の線が、祭祀場のドアから最奥の壁を突き抜けた。
正確に言うと青白く光る、人の指くらいの太さの線だった。無音だ。光の線はドアそのものを貫いて、ゲオルグが触れていた光の板をも貫通している。
部屋の中にいる全員が、いっせいにドアのほうに振り返った。ドアの外には衛兵が立っているはずだが、何の音沙汰もない。
「陛下、これは」
「光線銃か? 見たのは初めてだな」
光線銃って……確か北に隣接する経済国家グルヴェイグの武器商が一時期ニブルヘイムから受注をしていたっていう戦争兵器じゃなかったっけ。
でも結局、その危険性から受注契約を破棄して、今では出回ることのない幻の武器になったっていう……。
となると、扉の外に立っているのは。
バルドルが私とゲオルグの前に立つ。キノコも続いた。グナーは震える手で私の手を握った。
真ん中だけが丸く焼けこげた木製のドアが開く。
姿を現したのは、前開きの白いローブを纏った銀髪の男性だった。
おそろしく肌が白く、背が高い。
右手に持つ黒い長方形が光線銃に違いなかった。
彼はニブルヘイム人だ。
直感と、これまでに聞いてきた全ての情報の蓄積、いずれもがそう告げている。
ヴェーリルに聞いた通り、まさに「学者肌」の雰囲気だ。あの白いローブが「ハクイ」というやつなんだと思う。
外にいる近衛兵が倒れているのが見えて息を呑んだが、ぱっと見で大きな怪我はなく、身悶えしているようにも見えるので殺害されたわけではなさそうだった。
いずれにせよ集団がやってくると思っていたところに、こんなに若くてヒョロい男性がたった一人でやってきたものだから、部屋にいる全員があ然としていた。
「偉大なるミドガルズ大帝国、第11代皇帝陛下」
銀髪の男性が喋った。
光線銃を向けた相手に敬いを込めた挨拶をするそのちぐはぐさに、またもや戸惑う。
「世界樹<ポンプ>の起動はお止めください」
「俺に指図するか、ニブルヘイム人」
「ニブルヘイムだと分かっているのならば話は早い。我らはあなたたちのことを監視しており、現帝国および皇帝陛下が我らの敵ではないことを知っています。だからこそ、ここで世界樹<ポンプ>に手を出してはならない」
手を出せば敵とみなす、ということだろうか。
銀髪の男性の表情は乏しく声も小さいが、その発言内容は剣呑としていた。
ゲオルグは会話を続ける。
「しかしここで俺を害すればニブルヘイムにとっても歓迎できない結果を招くのではないか。俺が殺されれば国内の懐古主義派が騒ぎ出す」
「おっしゃる通りです。ですがそれでも世界樹<ポンプ>の起動は止めねばなりません」
「面白い。貴殿らにとって鉄の森は相当にやっかいな相手だったのだな」
突然現れたニブルヘイム人もそうだが、それを相手に一歩も動じないゲオルグも肝が据わっている。
「余計なおしゃべりに付き合うつもりはありません。皇帝よ、世界樹<ポンプ>の起動を止めてください。さもなければあなたの命はない」
男性が光線銃の前面をゲオルグに向ければ、ゲオルグの前に立つバルドルもかすかに体を動かした。獲物を狙う肉食獣のごとく前かがみになる。ニブルヘイム人に狙いを定めたようだ。
それに気付いたゲオルグは養子を制し、代わって私に視線を向けてきた。
謀ってやれってことね。
いいわ。世界の管理者相手に、論文交渉といきますか。
「銀髪さん、あなこそニブルヘイムの中でどういう立場の人なの?」
急に私が質問を投げたものだから、無表情だったニブルヘイム人が虚を突かれたという表情をした。皇帝と話をしていたつもりなのに突然小娘がしゃしゃり出てきたのだから無理もない。
「あなたは誰ですか」
「皇妃よ」
「皇妃? この国の皇帝は配偶者を持たず、子もいないはずだ」
そこはチェックしているのね。
ヤルンヴィットの後継者が出現しないかどうか監視しているのかも。
でも、私の存在は知らないっぽい。
となると彼らは皇妃の存在は確認していたけど、フリッカという人間の存在にはそれほど注意を払っていなかったことになる。
つまり、転生者であることに気付いていない。
「結婚したばかりなの」
「彼女は俺の妻だ。それは断言しよう」
「そうですか」
ゲオルグも要所でサポートをかけてくれた。
「で、その皇妃様がどういう了見で質問を?」
「私は皇妃であり、学者でもあります。だから鉄の森と世界の管理者の関係も、一般の人たちよりは理解できる」
「世界の管理者とはくすぐったい言い方です。それよりも学者が皇妃に? 評判通り11代皇帝は変わり者なのですね」
やっぱり私のことは知らない。
重大な事実をひとつ、確認することができた。
逸る気持ちを抑え、ひとつひとつ慎重に会話を進めなければ。
「私は陛下とともに超大陸や50人会議を“見て”きました。だからこそ、あなたたちが鉄の森を脅威とした理由も分かる」
「超大陸? あなたも世界樹<ポンプ>起動に参加したというのですか」
銀の眉がしかめられる。
その仕草にありったけの嫌悪感が込められているように感じた。銀髪の男性は続ける。
「鉄の森が世界樹<ポンプ>を戦争に利用するたび機器は悲鳴を上げ、大陸は朽ちていく。身勝手な理由で大陸を我が物にしようなどという国家に世界樹<ポンプ>を触れさせるわけにはいかないのです。もしもミッドガルド11世が端末から手を離さないというのなら、この国も一瞬にして滅ぶでしょう」