71、
「面白い欠陥<バグ>だな」
会議場が静まるのを待って、ヤルンヴィットの男性が言った。
「私たちはニブルヘイムから熱動力移送吸引機器<ポンプ>の管理権限を奪い取った。熱動力移送吸引機器<ポンプ>を通じて一定の未来干渉はできるが、全ての時間軸を司ることは困難だ」
一定の未来干渉とは、おそらく今、私たちと接触していることを指すに違いない。
私とゲオルグは世界樹<ポンプ>を起動させた結果、タービン建屋の管理者であるヤルンヴィットの50人会議と時空を超えて対面することになった。
一方、世界樹<ポンプ>を介さなければ、いかに鉄の森といえども未来の人間と会ったり話したりすることはできない、と言いたいのだろう。
「未来に関与する能力を未だ持たぬ我らが、欠陥<バグ>に期待するとは妙な話だが、まあ10枚も大陸を経た世界だ。こういう理解を超えた事象も起きるのだろうな」
いや、こっちからみればあなたたちの存在のほうが理解を超えてるんだけどね……。
「よかろう。合意する」
それまでとは違う、どこか覚悟の色が含まれた声だった。
「フリッカとやら。お前が本当に学者であるならば最後まで真実を追求せよ。鉄の森がなしたこととニブルヘイムがなしたこと、全てを知った上でどのような歴史が語り継がれるべきか。その選択から逃げるなよ」
ヤルンヴィットの男性の足元から灰色が広がる。
世界が灰色から黒へ、そして真っ白へと溶け出して。
私たちを囲んでいた円卓と50人の人影が灰の空へと吸われていくと、一瞬にして床が透明になった。
ずっとずっと下には、茶色い大陸と鈍い赤色の海が広がる。
全ての初まり。
超大陸と鉄の海だ。
「ほお、これが原初の大陸とやらか」
傍に立つゲオルグが興味深そうに呟く。隣に彼がいるからか、今回は恐怖に立ちすくむこともない。
私も足元に広がる大きな地盤をじっと見つめた。
「赤い山……。あれは噴火しているのかしら。あっ、でも一部緑の地域もあるわ。もしかしてあそこに人が住んでいるのかも」
「君の論文の答え合わせができるとは、なかなか面白い旅行になったな」
ゲオルグが腕を絡めてきた。
大陸を覗き込むあまり前のめりになる私に対し、言外に「離れるな」と言っているのだ。
ゲオルグを安心させるため、私はそっと彼に寄り添い、その胸に頭を預けた。
「そうね。前回は恐くて見れなかったけど……これが世界樹<ポンプ>から見た世界なのね」
「まさかこんなところで自分の血が役に立つとはな」
「ふふ。あなた舞踏会のときにも同じことを言っていたわよ」
「そうだったか」
あのときは貴族であることを振り返っての発言だった。「貴族教育なんて唾棄すべきだと思っていたが、君と踊れるのなら悪くはない」と。
「私ね、あなたがヤルンヴィットの生き残りって言われるのが嫌だったんだけど、考えを改めたの」
「フリッカ?」
「過去は変えられないのよね。私が欠陥<バグ>であることも変わらない。ゲオルグの言葉を聞いて、出自に目を背けるのではなく、それを含めて自分なのだと捉えようと思ったの」
「そうか」
「そうよ。だからあなたの中に流れるヤルンヴィットの血も総じてゲオルグなのよ。前世ではあなたの出自を知らなかったからゲオルグしか好きにならなかったけど、今世ではゲオルグも好きだし、ハリージャであるあなたも好きよ」
だってさっきのあなた、最高に格好良かったもの。
「熱烈だな」
ゲオルグはくすぐったそうだった。指で顎髭をいじっている。
「だが、悪くはない」
照れている夫は可愛らしい。
そんな彼を見上げながら、私はちょっとした着想を得ていた。
『そいつは、私たちがニブルヘイムのソースコードに新たなコードを追加した際に生まれた欠陥<バグ>だ』
先ほど、ヤルンヴィットの男性はそう言った。
つまり私は、鉄の森が世界樹<ポンプ>に改変を加えたことで生まれた転生者の一人だったわけだ。
この大陸には、ヴェーリルや、『ネルトゥスの言葉』で魔女と呼ばれたネルトゥスのように、私以外にも欠陥<バグ>と称された転生者が生まれている。
きっと他にもいるのだろう。
その人たちもだが、どうして私が転生者として選ばれ、再び生を受けることになったのかは未だに分かっていない。
単に確率の問題なのかもしれないと思うこともある。
でも今は、ひとつの可能性を見出している。
ゲオルグが、私を呼び戻した可能性だ。
これは仮説の仮説にも満たないレベルで、論文にするつもりはない。ゲオルグにも言うつもりはないけれど。
私の死に直面した彼の意識がヤルンヴィットの血を介して世界樹<ポンプ>とシンクロしたんじゃないか。
妄想に近い考えだと分かっている。
でも、最初に私が祭祀場に訪れたときは不可抗力で50人会議の地に召集されたのだ。
ヤルンヴィットの血を持つ彼ならば、時と場所次第ではあの地に呼ばれてもおかしくはない。
それが意識的にせよ無意識的にせよ、私が何のきっかけもなく転生する確率に比べたらそっちの妄想のほうがずっと可能性が高いんじゃないかな。
15年前に、ゲオルグの強い感情によって起動した世界樹<ポンプ>が私を産み落としていたのかもしれない、なんて。
自分でもずいぶんとロマンティックな言説だなと思うけれど、まあ、心の片隅に置いておくくらいはいいわよね。
転生者の近くにヤルンヴィットやニブルヘイム関係者がいるという可能性については、今後もっと調査を進めて……とまで意識を進めている自分に気づき、結局学者思考になっていることに苦笑いが浮かぶ。
「戻ろう」
ゲオルグがギュッと手を握る。
「鉄の森はひと段落だ。これからニブルヘイムとの対峙が待っているぞ」
「ええ。そうね」
私も彼の手を強く握り返した。
「でも、あなたとなら大丈夫」
私が死んでも、なお呼び求めてくれた彼となら、どこまでも。
光に包まれた私とゲオルグは、次の瞬間には皇宮の祭祀場に戻っていた。