70、 鉄の森
そうしてまた、私はあの灰色の空の下にいたのだ。
天井が溶けた球体型の建物。中央には3層になった鉄の円卓がある。鉄の森の国家運営を担った50人会議。私は円卓の真ん中に立っていた。
円卓の周囲には、床から溶け出した黒い人型が群がっていた。途中で球体になってしまう者もいれば、私が見慣れた人間の姿に変わる者もいる。50人の中には、鉄と人間が入り混じっていた。
『ニブルヘイムの人型じゃないか』
円卓のどこかにいる誰かが喋った。
『ニブルヘイムの指金か?』
『いや違う。こいつは私たちが生み出した欠陥<バグ>。ニブルヘイムはこいつの存在を知らないはずだ』
鉄の球体が喋ると、ポチャリという不思議な音を伴う。
『こいつらが熱動力移送吸引機器<ポンプ>を起動しようとしている? しかもこれは未来軸の話か?』
『会議の合意も得ずに、欠陥<バグ>ごときが熱動力移送吸引機器<ポンプ>を動かそうというのか。早く海に沈めたほうがいいな』
溶けた鉄が私の周りに集まってきた。
こわい。
私は再び死の恐怖を味わっていた。
「待て」
そこに響いたのは、最愛の人の低い声。
気付けば隣にゲオルグが立っていた。
「熱動力移送吸引機器<ポンプ>を起動したのは俺だ」
私と同様に円卓の真ん中に立つ彼は、堂々とした口調で述べた。
『一族の者か』
『いつの時代の一族だ』
偉そうで、いつも他人を見下すゲオルグ。「爵位に興味はない」と言っていた彼だけど、支配者の椅子のほうこそが彼のために用意されたのではと思わせる風格があった。
その風格の理由はきっと、今の彼が見せている姿にあるのだろう。
そう、彼は生まれたときから、超文明を率いた一族の運命の中にあったのだ。
「俺はハリージャ・フォン・ヤルンヴィット。ヤルンヴィット神興国が滅んだ1000年後に、熱動力移送吸引機器<ポンプ>を起動した」
『ヤルンヴィットが滅んだ? まさか』
『だが彼の観測時間軸ははるか先だ』
議場の戸惑いを、ゲオルグは一蹴する。
「生き残りは俺だけだ。もはやヤルンヴィットの栄光など見る影もない。だが俺は起動した。ニブルヘイムと再び戦うためだ」
私はゲオルグの顔を見上げた。
彼は50人会議を欺くつもりなんだ。
ゲオルグの黄色い瞳がギラリと輝く。
『ニブルヘイム! 我らの宿敵』
『我らこそが新時代の神となるべきところを、あの古い科学者どもが否定するから無用な争いが生まれるのだ』
『もはや新たな大陸の作成など必要ない。我らがこの盤面を制圧すれば良い。超大陸下の熱動力を使ってあやつらを滅ぼすべきだ』
50人会議の人型が騒ぎ出す。
彼らにとってニブルヘイムがどれだけ憎い存在なのかがひしひしと伝わってきた。
「利害は一致したな。俺は1000年後の一族末裔として、熱動力移送吸引機器<ポンプ>の起動を許可する。貴殿らの意向を伺おう」
『合意』
『合意』
『合意』
『合意』
『合意』
50人が一斉に「合意」と発言する。それは何とも不気味な光景だった。
だが、そのうち最奥に座る一人が手を上げてゲオルグに意見を述べた。
「その欠陥<バグ>は捨てていけ」
発言したのは人間だった。
茶色い髪の毛と黄色い目。ゲオルグとそっくりな目つきの悪さ。
きっと、彼が1000年前のヤルンヴィット一族だ。
「そいつは、私たちがニブルヘイムのソースコードに新たなコードを追加した際に生まれた欠陥<バグ>だ。向こうにはその存在は知られていないが、そもそもプロトタイプである記憶保持の人型はニブルヘイムが生み出した兵器。いつあいつらの武器になるかも分からん。抹消作業を行う」
「ならん」
ゲオルグが一歩前に出て、低い声を議場に響かせた。
その語勢には、他の人型をも黙らせる迫力がある。
「彼女は私の伴侶であり、一族の後継を生む女性だ。俺以外に生き残りのいない世界で彼女を殺せば血は途絶える。それでもいいのか?」
「人間という生き物は、男女がつがえばだれでも後継を成せるのが利点だ」
ヤルンヴィットの男性が首を傾げる。なぜ特定の相手とのみ子を成そうとするのかを本気で理解していない様子だった。
「俺は彼女以外とつがう気はない。それに」
ヤルンヴィットの男性とゲオルグ、双方の黄色い瞳がお互いを見据えた。
「1000年後の世界では熱動力移送吸引機器<ポンプ>は大陸下に落とされ、ヤルンヴィット神興国の存在もニブルヘイムによって隠匿された。彼女は学説によってそれを再び世界に明示した画期的な学者だ」
「学者? 欠陥<バグ>ごときがか」
「フリッカが欠陥<バグ>だろうと 欠陥<バグ>でなかろうと彼女の価値に変わりはないし、彼女の唱えた説の価値も変わることはない。ヤルンヴィットにとって利があるものを、むざむざ手放すというのか」
ゲオルグの言葉に心が揺さぶられた。
ゲオルグは、私自身を見てくれている。それがとても嬉しい。
ヤルンヴィットの男性が考えるそぶりを見せる。ゲオルグの発言が彼の決断に迷いを生じさせたのだ。
よし、ここで一発かましてやるわ。
「ハリージャが言った通り、ニブルヘイムは熱動力移送吸引機器<ポンプ>の存在を自分たち以外が利用することのないように、あなたたちの存在を含めて大陸の人々から隠すことにしました」
今度は私が声を張り上げた。
隣にいるゲオルグが見守っているのが分かる。
「その結果、ポンプを世界樹と偽ることにしました。世界樹が全ての生命を生み出したとする創世神話を作り、流布し、ヤルンヴィット神興国の跡地には自分たちの傀儡国家を作りだしたのです」
『愚かな、樹から生命が生まれるはずがない』
『進化論すら封じたと? ニブルヘイムは気が狂ったのか』
『自分たちの行為によって荒廃が進んだ大地も捨ててきたんだ。汚い事実は全て無かったことにするつもりなのだろうな』
進化論って何だろう。
50人会議のざわめきの中には気になる単語がいくつもある。
だが、今は発言を止めるわけにはいかない。
「私は、現在の技術と学術によって以上の仮説を証明するつもりです。あなたたちの敵になることはありません」