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64、

「眠れないのか」


 マントを脱いだゲオルグが問いかけてきた。寝台の隅っこで無意識に足をぶらつかせていた私はハッとなる。


 さっきまでお茶をしていたヴェーリルの言葉がひっかかり、どこかぼんやりしてしまっていたらしい。

 ゲオルグが寝台に入るのを待っていたのだが、上の空になっているのを指摘されてしまった。


「ううん、ハネムーンを思い出していただけよ」

「本当か」

「本当よ。またいつかゲオルグと旅行に行けたらいいなあって」


 ヴェーリルは先ほど帰国の途に着いた。


 出版室の仕事を担う一方、彼はエルム領の動向を探る間諜の任務を命じられている。皇宮に戻ってくるのは一ヶ月ほど先だった。


『囮の件、君に強制したいわけじゃないよ。あくまでもそういう選択肢もあるっていう助言さ』


 そう言って、さきほどの会話は終わったのだった。


 言われたときは不快だった。

 ゲオルグを囮にするなんて考えたくもない。

 絶対に本人に言うつもりはなかった。


 ゲオルグには謙虚さもなければ博愛精神もないが、私に対してだけは行き過ぎた優しさを見せることがある。ヴェーリルの話を伝えた場合、ひょっとすると承諾するかもしれないのが恐ろしい。


 論文出版は何としても達成したいが、だからといってゲオルグを傷つけることはあってはならない。


「先ほどまでヴェーリルと話していたようだな」


 バレてる。

 背中に汗が流れた。


「皇宮での行動が隠せると思うなよ」

「いや、別に隠していたわけではないけど」

「何を話していた」


 ゲオルグが隣に座った。

 低い声で詰めるたびに、じりじりとにじり寄ってくる。


「論文のことよ」

「具体的には?」

「……パパに改善点を指摘されたの。それをどうやったら解決できるかって相談に乗ってもらっていたのよ」

「それだけか。不義はないんだな」

「あるわけないでしょ!」

「妬けるな」


 さらに怒られるかと縮こまっていたら、予想外に気の抜けた笑い声が返ってきた。


「出版室に彼を配属すると決めたときから予想できたが、君の論文が完成するまで毎日これが繰り返されるのか」

「ゲオルグ?」

「君と君の同僚の仕事ぶりを聞くのが嫌だと言っている」


 ゲオルグが肩をすくめる。なんというか、拗ねているような印象だった。


「でも、論文に熱中しているフリッカはいつにも増して魅力的だ。あまり束縛すると君に愛想を尽かされてしまう」

「そんなことはないわよ」


 ゲオルグを嫌いになるなんて考えられない。


「私こそ浅はかだったわ。グナーがいたとはいっても、あなたに心配させてしまったらダメよね。次からは執務室でのみ話すようにするわ」

「前にも言ったが、彼はあくまでも泳がせている段階にすぎない。真に信用できるのはコロンナ先生だけだ。本当に相談したいことがあるなら、俺かコロンナ先生に言ってくれ」

「うん。そうするね」

「ここ最近、過激派がまた動き出すような噂が届いている。ヘイムダルは出版室の仕事で出国してしまうから、君の護衛にはバルドルを付けることにした」

「ああ、バルドル……」


 くぐもった声が漏れた。


 巨大な鉄球を背負った近衛の巨漢、バルドル。実は先代の第二王子で、今は私とゲオルグの養子になっている。


 自分よりも年上の男性に「母上」と言われるとどういう表情をしていいのか戸惑う。


 第一印象が最悪だったので印象も複雑なのだが、帝国最強と謳われる軍総司令官のエッシェンバッハ大公の直弟子らしく、とてもとても強いと聞かされた。


「あまり根を詰めると翌日に響く。君は論文となると寝食を忘れて熱中する傾向があるから、気を付けてくれ」

「ゲオルグに言われたくないわ。あなたこそ忙し過ぎよ。最近は公務も減らしているみたいだけど」

「俺が『退位をしたい』と言ったものだからフギンが気を回したらしいぞ。馬鹿な官僚の尻ぬぐいも以前よりは減っているが、今度は働き者の大家令が倒れるともっぱらの評判だ」


 あのキノコも真面目すぎるのよね。

 お堅い帝国大臣に同情する。


「とにかくゲオルグ、無理はしないでね。長生きするって約束したでしょ」

「君が来てからは頭痛も減っているんだ。そんなに心配するな」


 ゲオルグは丸眼鏡を外すと寝台のわきの机に置いた。


 次いでベルを鳴らせば、皇族の世話周りを担当する大室官(たいしつかん)の家令たちが入室してくる。ドアの前で揃って跪いた彼らのうち、中央の一人が口上を述べる。


「我らが大帝国、偉大なる皇帝陛下に申し上げます。明日のご公務都合を披露いたします」


「続きを」


「早朝の刻に軍事会議、次いで街人刑罰に対する異議を集計した大法官(たいほうかん)の報告がございます。昼をまたぎまして、ギンコ伯爵家、ゾンネンブルーメ侯爵家当主の代替わり挨拶、そしてフェーレ騎士男爵家当主の騎士叙任式および帝国軍後方参謀補佐就任式がございます。さらに経済国家グルヴェイグの資本家連盟当主である食糧商カロルスフェルト家当主マーク氏から穀物課税の新方式の提案がございまして、大納官(たいのうかん)同席のもと会談の予定でございます」

「分かった」


 ゲオルグの明日の予定を、家令が一息で告げた。

 これで公務を減らした後だって言うのだからたまらない。


 彼が皇帝に就任してから私と出会うまでの7年間に、過労死しなくて本当によかった。


「皇妃殿下におかれましては、ギンコ伯爵家当主夫人との会食の予定がございます」

「会食?」


 皇妃になったのだからいつかは公務が入るとは思っていたけれど、さっそく会食の予定があるとは。

 ゲオルグが面倒くさそうにため息を吐く。


「ギンコ伯爵家はエルム公爵家の身内とも言える家柄だ。今回の会食は、エルム公爵家当主ソルバルド氏が捻じ込んできたもので、ようは俺がヴェーリルを勾留した失態を逆手に取られたんだ」


 ソルバルド氏。

 それがヴェーリルのお父さんなのね。


 ゲオルグが手を上げれば、家令たちは部屋を見回り始める。複数ある部屋の灯りを速やかに消し、一礼した後にドアの外に消えていった。


「君には迷惑をかけるが」

「それくらいなんてことないわ! 皇妃として初めての対外的な公務ね、任せてちょうだい」


 私は胸を張った。

 ゲオルグに尽くしてもらっているだけでは申し訳がない。

 私だってやれることをやってみせるわ。


 明日への決意を新たにしたところで、一日が終了した。


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