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今日のディナーは私とゲオルグ、パパ、ヴェーリルとキノコの計5人で開催された。
入口の脇にヘイムダルが、ゲオルグの背後にはバルドルが立っている。
長テーブルには豚肉のロースト、野菜とキノコのスープ、色とりどりの果物やチーズが並ぶ。上座に座る私とゲオルグに対し、一杯目の葡萄酒を飲み干したパパがご機嫌な様子で話しかけた。
「最近は小難しい顔をしたバナヘイムの役人とばかり飲んでいたから、今日のディナーは本当に楽しいよ。ありがとう」
「パパとまたご飯が食べられるなんて、私うれしくて」
「僕もだよ。愛しい娘」
「フリッカ、泣くか食べるかどちらかにしろ」
ゲオルグがたしなめる。
だが、私の背中を撫でる彼の手は優しかった。そっけない発言ではあっても、その裏にあるのはたっぷりの愛情。それが私の夫なのだ。
「でも、その割に論文に対しては辛口な提言をいただいたけども」
ヴェーリルが苦笑した。
その通りだったので、私も視線が泳ぐ。
昼間の出版室でのやりとりのことだ。
パパが論文出版を許可する条件として出したのは3つ。
1つ、私の身の安全を図ること。
出版室のトップは皇妃である私自身であり、殺されてしまえばこの動きも頓挫する。
水泡に帰す前に、しかるべき措置を取ることが全てにおいて最優先する。
2つ、論文のスポンサーを探すこと。
公平性を期すためにも、出版に当たっては国の金を使うわけにはいかない。貴族でも資本家でも構わないので、私の論文に魅力を感じて出版を支援してくれる人を探す必要がある。
そして3つ目。
創世神話こそが「正しい」とする側の意見を掲載すること。
私の論文の目的は「創世神話が嘘」だと証明すること。でも、それはあくまでも仮説なのだ。論文は双方の意見を掲載してこそ、読者にその評価を委ねることができる。
「フリッカの論文には『創世神話が嘘だ』とする推論を重ねてある。それだけでも確かに価値があるのけれど、この論文は思想の宣伝ではないのだろう? 『読者に判断を委ねたい』狙いがあるのならば、ちゃんともう一方の証言も書くべきだ」
パパはそう締めくくった。
どれも難しい。
とりわけ最後は難しく感じる。
これって、ニブルヘイム人にヒアリングをしろってことじゃないの?
「ううーん。確かにたくさん宿題をもらったわね」
やりとりを振り返り、私は頭を掻く。
学者の先輩にもらった指摘はどれも的確だった。私なんてまだまだ脇が甘い。
これからどうにかして3つの課題を解決していかないと。
論文のブラッシュアップも重要だけど、出版室のトップとして新たな部署の舵取りも任されている。こちらも疎かにするわけにはいかない。
私は会話の頃合いを見計らって隣に座る夫に話しかけた。
「あのね、ゲオルグ。出版室専門の図書室を作りたいの。各国の事情を知るためにも一定の蔵書数が必要だわ」
「フギン、手配を」
「皇宮の蔵書を整理した上で、帝国図書館とも連携します」
「あとはバナヘイム大学とグルヴェイグの資本家連盟から出版文化に関する資料を取り寄せたいの。具体的には印刷技法、言論統制、北方の伝令方法あたりね」
「それは内政にも役立ちそうだ。ヘイムダル」
「御意。行政府の役人および遊軍数名をお貸しください。明日までに任務の割り振りを行います」
私からゲオルグに依頼を行い、皇帝が各配下に命じる。
独裁だからこそできるスピード采配とも言えた。
「それと、」
ロースト肉を飲み込んでから私は言った。
「帝国はこれまで写本が主だったけれど、バナヘイムのような活版印刷所があったほうがいいわ。これは出版だけに限らず、皇宮が各領地に伝令通達を行う際の効率化にもつながるし、国力増強の側面もある」
ゲオルグは葡萄酒を飲んでいるので返事をしない。
だが、その頭の中でいろいろと試行錯誤しているのが伝わってくる。
「グルヴェイグの書物商に独占契約の話をもっていけば安く作れると思うわ。バナヘイムの出版社に制約付きで、帝国における書物流通権を与えてもいいと思うけど」
「書物商か。武器商や食糧商に比べれば小さい資本家だが、それなりの独自流通網を確保していたはずだ」
「エインヘリヤルやニーベルンゲンといった宗教色の濃い国々とも商売をしているんだから、いざというときに文化的側面からアプローチする手段としても使えるわよ」
「確かに、揉めた場合の融和政策として残しておくのは我が国にとっても有益だ」
「ふふふ。継続的な付き合いをちらつかせれば、金銭面でもこちらに優位な交渉ができる」
「君が好むやり方だな。おかげさまで帝国軍の鐙も予算の2割減で確保することができた」
ふんぞり返った皇帝様は満足げだった。
鐙ね。
まだ私が転生したフリッカだと正体を告げる前、ゲオルグが私のドレスを公費で賄うと言い出したので「金はもっと大事なものに使え」と脅した。
その際に提示したのが鐙だったのだ。
「フギン。行政府の役人に試算をさせろ。3日以内だ」
「承知しました」
ヴェーリルとパパが微笑みながら上座を見守る。
「似た者同士ってこのことか」
「新婚って感じがするねえ。幸せそうで何よりだ」
私はいつものようにゲオルグと話していただけだったのだけど、はたから見るとそういうふうに受け取られるのだと気付いて頬が染まる。
はにかんで下を向いていると、ゲオルグが軽く笑った。
「俺の妻は大陸で一番頭が良いのだから当然だな」
頭頂部から湯気が出た。




