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59、 出版室

 皇宮左城塔2階。

 大階段を曲がってすぐそこにある部屋は、皇宮各府から集められた不要な蔵書が積み上げられ、倉庫と化していた。


 ここが、新たな行政府外局「出版室」の部屋となる。


 出版室の室長は、皇妃である私。

 そして補佐が、新たに皇宮に出仕することになったエルム公爵家三男のヴェーリルだ。そのほか行政府各官の役人が3人ほどかき集められた。


 未だ(ほこり)が積もる室内で、私は腰に手を当てて大仰な挨拶をかましていた。


「さまざまな情報に触れ、自ら考えることで人は育ちます。その土壌が言論です。言論を育てるのは、書物です」


 出版室のメンバーが、私の話に聞き入る。


「育った人が国を支え、国家の質を高めます。帝国は陛下の力によって導かれていますが、国民自らが考え歩むようにならなければ本当の国力はつきません。そういう意味では、出版の文化を根付かせることは陛下の支えにもなるのです」


 人前で話すことは好き。大学時代の言論大会を思い出すもの。

 あのころは会場を沸かせることもあった。


 とはいえそれはあくまでもバナヘイムでのこと。

 ここは帝国であり、役人たちの表情もいまいちピンときていない様子だった。


 ヴェーリルだけが腕を組んで面白そうに眺めてる。


 前途多難な出発ね。でも、ハードルが高いほうが面白くなるのも事実。

 ここから論文出版まで、駆け抜けてやるわ。



「―――というわけで、まずは部屋を片付けましょう」


「ただの片付けに皇妃様のお手を煩わせるわけには」という声も聞こえてきたが、ここには5人しかしないのだ。皇妃も公爵家もあったものではない。


 今だけは身分の壁を取っ払って、積み上げられた蔵書や埃との格闘に集中した。


 ◇


「頑張っているな」


 聞きなれたバリトンボイスが部屋に響くと同時に、私以外の人間が一声に跪いた。

 ヘイムダルを連れたゲオルグが様子を見に来たのだ。


「ゲオルグ!」


 私は夫に抱きついた。ヴェーリルが口笛を吹いた瞬間に丸眼鏡の奥がギラリと光った気がしたけど、黄色い瞳はすぐ私に向けられた。


「フリッカ。出版室への講師招聘(しょうへい)の件なんだが」

「ええ、バナヘイムから呼んでもらえるって話だったわね」


 わざわざゲオルグが足を運んでくれたからには何かあるのだと思っていたが、彼の嬉しそうな様子からするになかなかのニュースに違いなかった。


「喜べ。すごい人が来たぞ」


 首を傾げて次の言葉を待ったが、それよりも先に、彼の後ろから姿を現した人物を見て、私は飛び上がることになった。


 ひょっこりと顔を出したのは、赤茶色の髪の男性。ステファーノ・コロンナ元バナヘイム軍大将。私の前世のパパだった。


「パパ」

「やあ、フリッカ。来ちゃったよ」


 私はゲオルグから手を離すと、今度はパパに抱きついた。


「また帝国に来てくれたの?」

「そりゃあ、愛する娘に会いたいからね」

「嬉しいわ!いつまで滞在するの? 今日は一緒にディナーを……」

「フリッカ。先生は帝国出版室の顧問を引き受けてくださったんだ」

「パパが!?」


 ゲオルグの発言に、私は叫んだ。

 嬉しいことが重なった私の頭は今にも爆発しそう。


「バナヘイムもそう簡単には先生を手放しはしないから、期間限定だがな。都市連邦の英雄が帝国の言論出版を導いてくれるのならこんなに力強いことはない」

「ゲオルグ、本心で言っていないだろう」


 パパは微笑みながらも研ぎ澄まされた言葉の刃物でゲオルグを刺した。


「皇帝様の魂胆は、最近冷え切っていたバナヘイムとの国交を活発化させたいのと、自分の意に反する言論が起こった場合の検閲システムを効率的に構築したい、の2点だ。違うかい?」

「先ほどの言葉の通りですよ」


 パパの辛口は相変わらずだった。そして今、私の目の前で腹黒同士の探り合いが始まっている。幸せいっぱいだった私は水を差された心地だ。


「しかしバナヘイムでも長官の言動や議会政治に関する恐怖論証は統制していますよね? その手法はぜひとも帝国にも取り入れたいなと思っていますよ」

「過激な言動を野放しにしないだけだ。君の考えている検閲とは違うんだよ」


 パパはそこまで言うと、困り眉で私を見つめた。


「こういう皇帝様のいる国で、どこまで公益性のある言論出版ができるのかという見定めも必要だ。帝政下での出版というのは難しい舵取りを迫られることもある。フリッカ、君にはそれを最後までやってのける覚悟はあるかい?」


 表現は穏やかだけど、パパの言葉には遠慮がない。


 帝国とバナヘイム。

 私とゲオルグ。


 立場が違う人たちの力を束ね、それでもひとつのゴールを目指して進んでいかなければならない。


「もちろん。そのために私はここにいるんだもの」


 殺されたって諦めなかったのだ。

 絶対に論文を出版する。その気持ちが変わることはない。


 帝国で出版を可能にしてみせる。


 私の言葉を聞くと、パパは嬉しそうな笑顔になった。

 子供の頃にしてくれたみたいに、私の頭を撫でる。


「決して諦めないのが僕の娘の魅力だな」


 バナヘイムの英雄はゲオルグを振り返り、次いでヴェーリルの顔を見た。


「では不肖ながら僕が帝国出版室の顧問を務めさせていただくよ。それと、フリッカの論文の監督もね」

「ありがとう、パパ!」

「ゲオルグと……ヴェーリル君? だったかな。娘に不埒な真似をしたら刺すよ」

「えっ、私ですか」

「先生待ってください。俺はフリッカの夫ですが」


 嬉しくも不安だった出版室の開設。

 心強い仲間を得て、初日をスタートすることができた。


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