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57、 子供

 歌劇のシーンをテーマにした幻想的な絵画が壁一面に並べられている大広間。

 ここは、フリズス城に招かれた歌人たちがその美声を披露するための部屋だったそうだ。


 シャンデリアのろうそくが一斉にゆらめく光景は荘厳だった。その下で踊るのはたった一組。私とゲオルグのためだけに、皇宮から呼ばれた一流の楽器奏者たちが音色を奏でている。


「ダンスは嫌だと言っていなかったか」


 ゲオルグは理解に苦しむ、といった様子で首をかしげる。

 一方で、彼の足さばきには迷いがなく、音楽に合わせて流れるようなステップを披露していた。


 私はそんな彼の手を取り、一歩を踏み出した。


「大勢の前で踊るのが嫌なだけよ」


 舞踏会のときは緊張で何がなんだか分からなかった。

 だから「もう一度、ゲオルグと踊りたい」と伝えた。


 恥を忍んで上目遣いでそう告げたとき、ゲオルグは「ふうん」と言っただけ。


 彼はダンスが嫌いだと言っていたし、その反応を見る限り無理かなと諦めていたのだが、夕食前になって「広間へ行くぞ」と誘われた。


 あのときとは違って二人ともラフな格好だけど、素敵な音楽に合わせて踊るのはやっぱり楽しい。

 

 ゲオルグの先導のおかげで、苦手なステップも難なく踏むことができた。ゲオルグって何でも器用にこなせるのがすごいわ。


 音楽のペースがゆったりになる。ゲオルグが話しかけてきた。


「ハネムーンは楽しめているか」

「ええ。最高よ。一瞬一瞬が楽しいわ」

「よかった」

「ゲオルグは?」

「楽しいに決まっている。君が隣にいるのだから」


 またそういうことを言う。

 言葉も好意も、彼にもらってばかり。


「ねえ、ゲオルグは何か欲しいものはない? して欲しいことでもいいわ」

「欲しいもの? 特にはないが」

「何かあるでしょう。 疲れているなら肩マッサージだってしてあげるわよ」


 ゲオルグが苦笑する。

 手を引かれ、彼の腕の中に閉じ込められた。


「強いて言えば長生きがしたい」

「おじいちゃんみたいなことを言うのね」

「俺はフリッカよりもずっと年上だ。きっと君より先に死ぬ。――大切な人に置いて行かれるのは、しんどいぞ」


 私は目を見開く。


 音楽のテンポが代わり、楽器が強く鳴らされると私とゲオルグは再びステップを踏み出した。


 ゲオルグは、置いて行かれる私の身を案じているのだ。

 もっと自分勝手な欲求を突きつけてほしいのに、そんなことを言われたら何も言えなくなってしまう。


「少し前までは早く死にたいと思っていたのにな。人というのは傲慢だ」


 ゲオルグの言葉が、頭の中に何度も響く。


 それなりに重い意味を持つそれを受け止めた私は、胸のつかえが取れたようにあの問いを発することができた。



「ゲオルグは、子供が欲しい?」



 人は亡くなる。好きな相手の血を残したいから子を成すのだろう。

 私だってパパとママが愛し合ったから生まれてきた。


 人がそういう気持ちを持つのは理解できる。だから聞いた。

 もしかしたらゲオルグもそう思っているのかもしれない、って。



「欲しくない」



 きっぱりと否定された。

 しかも、その声色には怒りがこもっている。


「フリッカ、そうやって変なところで俺を(おもんぱか)るのはよせ。君だって欲しくないくせに」


 バレてる。

 ゲオルグの言う通り、今は子供のことなんて考えられない。


 彼との子供について思いを馳せるとき、甘い気持ちになることも事実。


 その一方、出版室の立ち上げも迫っていて、帝国の言論出版事情も変えていかなければならない時期でもある。

 自分の論文も完成させたいし、ゲオルグとももっとデートしたい。


 つまり、今の私は自分の人生を楽しむのに必死なわけで。


「いつか君がそういう気持ちになったら話をしよう。俺はそれでいい」

「でもでも、皇妃になったからには世継ぎを産まないと……」

「それについては問題ない」


 ゲオルグが大きく手を上げた。

 演奏がピタリとストップする。


 次いで「内密の話がある。退出していろ」と彼が命じれば、奏者たちが一礼をして出て行った。


「バルドル、入ってこい」


 代わって近衛特兵(ロイヤル・ガード)の鉄球野郎が姿を現した。相変わらず外套で顔を隠したままだ。


「顔を」

「御意」


 灰色のフードの下から覗いたのは、明るく淡い黄色の金髪。スイセンの色合いに似ていた。その髪が腰ほどにまで伸びている。


 見事な長髪を飾る後頭部の髪飾りと、裾に向かってヒダが広がる白のローブ。彫刻のように整った顔。

 「綺麗ね」と声をかけたいところだが、相手があの鉄球野郎なので対応に困る。


 そして世継ぎの話をしていたのに、こいつが出てきた意味も分からない。


 色白の肌に生える太眉がなんとも象徴的な鉄球男は、その場に跪くと鳥がさえずるような声で口上を述べた。


「我が愛しい母上。ご挨拶が遅れたことをご容赦いただきたい」

「えっ。 母上って、私?」


 きょろきょろしたけど、当然ながら女性は私しかいない。


「バルドルは先帝ミッドガルド10世の子息で、当時の皇位継承権は第二位だった。革命時に先帝を裏切り、俺の側に付いたんだ」


「鉄球男って王子様だったの!?」


「俺は形式上、先帝の養子になっている。対外的に公表はしていないが、その際にバルドルも俺の養子にした」


「鉄球男が息子」


「私は美しい方が好きなのです。傲慢で冷酷、それでいてしっかりと現実を見据える陛下の美しいお姿に一目惚れをし、家族を(しい)することを決意いたしました」


 バルドルがうっとりとした口調で告げる。

 いやこいつ絶対ヤバいやつじゃない?


「そして母上の気性の荒さ……。他の女性にはない暴力性を感じてゾクゾクしてしまう」

「バルドル。フリッカに変質的な言動をするなよ。殺すぞ」


 ゲオルグが私に視線を戻した。


「ちょっと変な奴だが忠誠心はずば抜けている。皇位は彼に譲るつもりだから世継ぎについては心配しなくていい。フギンたちはうるさく言うだろうが気にするな」

「う、うん」


 ずっと悩んでいた世継ぎの不安は解消されたけど、突如息子――それも鉄球を背負った年上の筋骨隆々男――を持った私は、素直に喜んでいいのかどうか悩んだ。



「俺はもっと純粋な意味で君と過ごしたい。もちろん、君が嫌じゃない範囲でだ」


 そう言うとゲオルグは再び奏者たちを部屋に呼び戻した。


 音楽が再開される。

 二人のステップの合間。


 私は恥ずかしさを振り切り、笑顔で彼を見上げた。


「ゲオルグ、ありがとう」

「何だ、改まって」


 飄々とした素振りで誤魔化してるけど、いつも私のことを一番に考えてくれる愛情の重い夫が好き。


 彼と一緒にいられる時間は有限。

 今を堪能しなくちゃね。


「大好きよ」


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― 新着の感想 ―
前話逃げ出した方とは思えない! これさては、内心はともかく、今まではラブくなると致すことになると抑えていらっしゃいましたね……? あるいは、好奇心をそそるものが旦那しかいなくて落ち着いたか……。
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