49、
「自分の目でたくさんの証拠を見て、たくさんの話を聞いて、考えて、そうして重ねた論拠の上に成り立つから論文には価値があるの」
人々は文字を生み出し、石や紙に記録をしてさまざまな情報を伝えようとした。
そうして生み出されたものを見聞きして集められたものが、また紙の上に集められ本ができた。本の中には詩や物語を綴ったものがある。絵を描いたものもある。
でも私が素敵だと思ったのは、多くの学者がたくさんの知識と戦いながら書き記した論文だった。
「君は強いね、フリッカ」
ヴェーリルが言った。その発言に何らかの含みがあるのか、それとも言葉通りに受け止めればいいのか。瞬時に判断がつかなかった私はとっさに返事ができなかった。
「帝国には過去を讃える者もいれば、今を見据えて進む人もいる。今上帝は当然後者だ。……一部の貴族には周知の事実だが、ヤルンヴィット家の次男である彼がね」
キノコが鋭く「口を慎め」と告げる。ヴェーリルは肩をすくめた。
「私は過去と現在に振り回されて自分を見失ってばかりだ。フリッカから論文の話を聞いたとき……君は私と同じなんじゃないかと思った」
合わせていた目が逸らされる。
彼は、肝心なところで目を逸らすのだと意外に思った。
「つまり、仲間なんじゃないかって」
ヴェーリルの言う仲間とは、「転生者」ではなくて「傷を舐め合うことのできる間柄」なのだと受け取った。
「でも違った。君は強い。私とは全然違う」
「そうかしら」
フライアに「迷いがある」と指摘されたばかりの私は首を傾げた。
現に今、迷っているからここに来たのだし。
「君はどんな結果になろうとも真実を知ろうとする。行動する勇気があるんだ。そんなもの、私にはないよ。本当のことを知るのはとても怖いことだからね」
「でも、知らないと次の行動につながらないわ」
「だからそうやって考えられるのが“強い”んだ」
しばし考えた後で、私は首を振った。
「……よく分からないわ。知らないと適切な行動が取れない。だから知りたい。当たり前のことじゃない?」
ヴェーリルは顎に手を当てて考える仕草を見せる。その後「なるほどね」と言って微笑んだ。
「陛下が君に惚れている理由が分かったよ」
予想外の発言に、目を瞬かせる。
「えっ」
「だからあれだけ執着していたのか」
「どどどういうことかしら」
「横取りしたら殺されるだろうな。凸凹コンビって気もするけど、お互い幸せになれるといいね」
全然分からん。
「あの」とか「うひえ」とか言葉に詰まっている私を横目に、ヴェーリルは窓際へと歩いていった。
「私の処遇はどうなるか分からないけど、もし殺されずにエルム領に帰れることになったなら」
彼はそこで言葉を切った。
「フリッカの論文を読ませてほしいな」
陽光差す窓を背にして、爽やかで、ちょっとだけうさんくさい微笑みが向けられた。帝国図書館で初めて会ったときの彼の表情を思い出す。
「過去に縛られない、君の論文を」
図書館で本の山にうずもれていた変な貴族。それが初対面でのヴェーリルの印象だった。
舞踏会では敵だと思った。今も本当の意味では、敵か味方か分からない。
彼の中にニブルヘイム人の記憶が残っているのだとすれば、私の存在を肯定的に捉えていないことだって考えられる。
でも、あのとき論文を褒めてもらった喜びを忘れることはない。転生してから初めて、私の論文に興味を持ってくれた人だから。
今度は私がツカツカと彼に歩み寄る。
窓際にいる彼の横に立って、言ってやった。
「ヴェーリル・フォン・エルム卿。あなたに査読をお願いしたいのよ」
査読とは、完成前の論文の内容を第三者がチェックする行為のこと。通常はその分野で信頼できる学者や評論家に行ってもらう。
「あなたに読んでもらいたいの」
「私にかい?」
まるで気が抜けたような彼の表情が幼く見えて、ちょっと吹き出してしまった。
「そんなことを約束したら君の旦那様が怒り出すんじゃないかな」
「私がゲオルグと結婚することと、論文出版をすることは両立するわ。どちらも私の自由意志の上に成り立つものであって、犠牲にするつもりはないの」
論文を出す夢のためにゲオルグの力を借りたい。
でも、ヴェーリルの協力だって得たいのよ。
それだけ挑戦的な夢なんだから、多くの人に助けてもらわないと実現しない。
「私は必ず帝国で論文を出版するわ。だからそのときが来たら、私の出版を手伝ってください」
「何をしている」
私とヴェーリルが話している中、これ以上ないほど乱暴にドアが開けられた。
不機嫌最高潮の登場人物は、振り向くまでもなく誰なのかが分かる。軍演習から帰ってきたゲオルグだ。
外出用の外套を羽織った彼は、背後にヘイムダルともう一人の近衛特兵、そして帝国軍最強と謳われる総司令官・エッシェンバッハ大公を連れていた。
そうそうたる顔ぶれの迫力はすさまじく、さすがのヴェーリルも顔を引きつらせている。
「なぜ君がこの男と話しているんだ」
「陛下、お話を」
キノコはゲオルグの醸し出す絶対零度の空気にも屈しなかった。が、ゲオルグのほうがキノコを無視して私のほうに直進してくる。
「エルム家には国家反逆の疑いがかかっているんだぞ。いくら君でもやっていいことと悪いことがある」
「今回の面会は短時間だし、権限を持つフライアとフギン大家令も同席しているわ」
ヴェーリルやフライア、そしてキノコと話して吹っ切れた私は、ゲオルグに面と向かって意見をすることができた。
「ゲオルグ、ちゃんと周囲の人たちの意見を聴いてちょうだい。国家反逆の証拠は固まったの? こんなやり方はあなたらしくないわ」
「君は政治に口出しをする必要はない」
――また?
そうやっていつもいつも決めつけて。
「あのね」
今度ばかりは私もキレた。
「皇妃になるからっていろいろとそれっぽい立場を要求しておいて、いざとなったら口を出すなってとんだダブスタなのよ!」
もういいや。
黙っているのは私の性に合わない。
「あなたが好きな私って何!? 隣でおしとやかにしてろっての!? そんなの私じゃないでしょ!」
「そんなことは言ってないだろう」
ゲオルグも負けじと言い返す。火柱になっている私とは対照的に見えるが、彼は彼でかなりヒートアップしている。
「俺は身勝手な言動を慎めと言っているんだ」
「身勝手じゃない私ってよく分からない! そもそも私って身勝手な人間でしょ!」
「結婚が控えている身で男に会うな」
「世の中の半分は男性なんですけど!」
周囲は驚きと恐怖で固まり、私たちの言い合いを注視している。
その中でフライアと軍総司令官のエッシェンバッハ大公だけが「恋ですね」「若いですな」などと和やかなムードで見守っていた。




