47、
「私は長い間陛下を見てきましたが、家柄にも他人にも興味を持つことのなかったあの方が誰かに執着するのを見たのは初めてです。正直に言えば驚いています。それだけフリッカ様のことを大切に思っていらっしゃるのでしょうね」
そう言われても、どういう表情をしていいのか分からない。
慌ててお茶を飲んだらむせた。口から茶がデロリと零れた。
「しかし、今のままではフリッカ様の幸せにはつながらないと危惧しております。そして、私やフギン大家令……皇宮の高官たちがもっとも恐れているのは、フリッカ様を失った陛下ご自身もまた立ち直れないだろうということです」
それって、精神的に危うい子を見守る親みたいな心境じゃない?
45歳の子ども。やっかいね。でも……。
「ゲオルグって愛されているのね」
しみじみと呟く。
陰キャ傲岸不遜おじさんも話してみると案外かわいいからね。
ちょっとクセになるというか。
「皇宮の中には革命時から陛下に付き従っておられる方が多いですからね。特にフギン殿は、お2人が夫婦としてうまくやれるかどうかをソワソワしながら見守っておいでですよ」
フライアが口に手を当てて上品に笑った。
「キノコが?」
「ちょっと口うるさいかもしれませんが根は優しい方ですから」
もしかして、皇宮の人たちって私が思っている以上に私とゲオルグのことを気にしてくれているのかな。
「……私って、ゲオルグのことを何にも知らないのよ」
ヘイムダルから話を聞かされたときにも思ったことだった。
できるだけ平静に告げたつもりだったが、語尾が小さくなってしまう。
「ゲオルグの家のことも、お兄さんのことも。そしてゲオルグの周りにいる人たちのことも。彼がどんな気持ちで15年間を過ごしていたのかも」
15年間、と呟いたときにフライアがわずかに首を傾げた。でも何も聞こうとはしてこない。私も説明するつもりはなかった。
「そもそも……こんなに大切に思ってもらってたなんて知らなくて」
テューリンゲン公爵邸でゲオルグの気持ちは教えてもらっていたけど、彼の傍にいてその感情を受け止めるたびに驚いてしまう。
ゲオルグは私のことを好きすぎる。
彼は「身勝手」な小娘のどこにそこまで惚れているんだろう?
親よりも年上の彼に、今の私はどんなお返しができるのだろう?
知らないことが多いと、不安が募る。
前世だったら「ならば調べるわよ!」と突撃できただろうに、今はあまりにも制約が多い。
「フリッカ様にも、迷いがあるのですね」
「あるわ」
隠しても意味はない。
「私がゲオルグの傍にいたら、彼の迷惑になるんじゃないかって思ってる」
私の仮説では、私は世界樹<ポンプ>が生んだ記憶保持者だから。
まあ、あくまでも仮説ではあるけど。
でも虹の祭祀場で体感した出来事は私の考えを裏打ちするものだと思っている。
そしておそらく……ゲオルグも、それに気付いている。
だって彼はヤルンヴィットの古語が読めるはずだし。
だからあの部屋から私を遠ざけようとしているんじゃないかな。
フライアにはまだ論文のことは伏せているので、この考えは私の心の内に秘めておいた。
いずれにせよ前世の記憶を持つ人間なんて物騒なだけだしね。
「陛下もまた、古い血に呪われている身でありながら、古い血と戦うことを選んだ数奇な身の上の方です。生半可な覚悟で添い合えば、お2人とも苦難の道を歩むことになるでしょう」
フライアは意地悪で言っているのではない。それはこの前、ゲオルグにしがみついてでも私を守ろうとしてくれた彼女の言動が証明していた。
現に今のフライアはまるで娘を案じる母親のような視線を、私に向けている。
言ってみれば、私もゲオルグも、世界樹<ポンプ>に呪われた者同士。
世界樹を“神さま”と崇める国の皇帝様と、世界樹に消されそうになる私と。
そりゃあ前途多難ではあるわ。
でも、そうね。
私も覚悟を決めないといけないのよね。
「ねえ、フライア」
私はあえて前のめりになって、おどけてみせた。行儀悪く足もぶらつかせる。
逃げ出したくなる気持ちを叱咤するのにユーモアが効果的なのだと教えてくれたのは、北の国で私を育ててくれた人だ。
「ちょっとした悪だくみに付き合ってもらいたいのだけど、あなたは皇宮でどれくらい動ける立場なの?」
「これでも諜報としてはそれなりに帝国の役に立っております」
結構動けます、ってことね。大きく頷く。
「現在、皇宮のどこかに勾留されているエルム家ヴェーリル卿と話をする機会がほしいの」
「……それがフリッカ様のお心を定める一石になると?」
「ええ。ヴェーリルと話さなければ私の気持ちは決まらないと思う」
衣擦れの音。フライアが立ち上がった。長い指がすっと持ち上げられると、2名の侍女が素早く近寄ってきた。
「フリッカ様とヴェーリル卿の面会について、大家令につないでください」
侍女に命じるフライアの声を聞きながら、あのキノコが許してくれるだろうかと思いを馳せる。それを察したフライアが「大丈夫でしょう」と応じた。
「ヴェーリル卿の勾留についてもっとも懐疑的だったのは大家令殿です。フギン殿は公爵家の当主ですから、陛下とはまた違った視点から貴族たちの恐ろしさを知っているのだと思います」
そしてフライアの予想は的中した。
フギン大家令同席のもとで、ヴェーリルとの面会が許可されたのだ。