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そして話題は虹の祭祀場に移った。
「あの部屋は何なの? あんなに毒々しい部屋が婚礼の場だとは思えないわ」
「夫婦の契りを交わす場所だ」
「えっ」
「俺も祭祀には興味がなかったから詳しくは知らなかったが……あの部屋の雰囲気のせいなのか顔料特有の成分なのか知らないが、人を興奮させる作用があるらしい」
「興奮ですと」
「全ての生物を生み出した世界樹に見守られながら尊い儀式を行うと、そういうことだ」
尊い儀式……。
そういえば祭祀担当の髭爺が「虹の祭祀場にこもって身を清め」って言ってた気がする。そういうこと?
「後宮が祭祀場の隣にあるのも、皇帝と皇妃の儀式をいつでも支えられるようにするためなのですよ」
ゲオルグの説明に続き、にっこりとしたフライアが付け加えた。
私は真っ赤になって言葉を失う。
「君はそういうことに耐性がないから地下に行くと聞いて慌てた。そうしたら案の定倒れていて……」
ゲオルグは憐れむような眼差しを向けてきた。
もしかして私、「恥ずかしくて倒れた」と思われてる?
「違うのか」
「違うに決まってるでしょうが!」
確認したら案の定だった。
ここは体面を保つためにもプンスカしていいところだわ。
「……確かに、あのときの君は尋常な様子ではなかった」
恥ずかしさと怒りを静め、私は現状の認識を要約してゲオルグに伝えた。
帝国の祭祀が世界樹を“神さま”のように扱っていて、不思議に思ったこと。
世界樹信仰と懐古主義派に何か関連があるような気がして、その手がかりを掴むために地下の祭祀場に向かったこと。
祭祀場の壁に描かれた文字に触れたら、急に気分が悪くなったこと。
――ゲオルグの支えになりたくて地下に急いだことは、格好悪いので言わないでおく。
以上をまとめ終え、私は改めてゲオルグに頼み込んだ。
「あの部屋の文字を調べたいの。きっとあなたの役にも立てるわ」
「………あの文字に意味はない」
何だろう。ゲオルグの歯切れが悪くなった気がする。
「担当者にも聞いた。さっき言ったように顔料の精神的な作用があるから儀式の部屋に選んだだけで、壁の文字は祭祀とは一切関係がない」
「私はそんなことはないと思う」
「皇宮ができた当初からある部屋を再利用しただけだ」
嘘だ。そう思った。
根拠はないのだけど、あの古語には絶対に何かある。
「あれはヤルンヴィットの文字よね?」
ゲオルグは何も答えなかった。
「なんて書いてあるの? 私は途中で意識を失ってしまったから読めていないの」
「あの古語を解読できる人間はいない。何が書いてあるかも分かっていない」
「……でも、ゲオルグには読めるんじゃないの?」
これは半ば確信犯的な問いだった。
前世でヤルンヴィットの石碑解読を手伝ってくれたのは、彼だから。
でも、やはり彼は答えてくれなかった。
「ねえ、ゲオルグ……」
「フリッカ、いい加減にしろ」
急に鋭い声で名前を呼ばれて、私は目を瞬かせた。
「部屋を抜け出して倒れた挙句、まだそんなことを言っているのか。身勝手だと思わないのか」
身勝手?
そんなふうに言われるとは思わなかったので私もカッとなったが、それよりもゲオルグが怒っているのを見て全身が冷えた。
「お、怒らないでよ……」
「君が学問や論文にかける情熱は理解しているつもりだが、まずは身の安全が第一だろう。結婚を控える身なのだから少しは俺の言うことも聞け」
まただ。
彼は私のことを思って言ってくれているはずなのに、その言葉に壁を感じてしまう。
「違うの。あの古語に触れたとき、私は―――」
『記憶保持者のようです』
私が転生者だということを、あの古語の向こう側にいた誰かは知っていた。
体がバラバラにされて消されるかと思った。
自分の存在が見透かされている恐怖。本能に基づいていて、抗えない。
この恐怖を、どうしてもゲオルグに分かってほしかった。
「あのね、私は1000年前の街並みを見たのよ。それで世界樹<ポンプ>の中に引きずりこまれて」
「街並み……? 君は何を言っているんだ」
ゲオルグの表情がいっそう険しくなる。まだ混乱していると思われたのかもしれない。
もし自分が説明される側だったとして、あの現象を信用しろというほうが難しいのは分かる。
そうは言っても、どう伝えればいいのか―――……。
そうだ、ヴェーリル!
「ねえ、ヴェーリルはどこ? 彼と話がしたい」
「………ヴェーリル?」
そのときの私は油断していて、ゲオルグの変化を見逃した。
「ヴェーリルは私を助けようとしてくれたの。彼なら、今回の現象について助言をくれるかもしれない」
「よりによってエルム家三男か。舞踏会でのあいつの不審な行為を忘れたのか」
「でも彼は軍事府会議で自分の疑惑を晴らすと言っていたわ」
「ああ、そうだ。君が眠っている間にあいつの尋問を行った。結果的にあの男の証拠が採用され、エルム領に隠れている過激派アジトの場所も分かった」
そうだったんだ。
じゃあ彼は、私やゲオルグの敵ではないということね。
「だが、あくまでも現時点での話だ。エルム家の貴族はしたたかだからな。今は信憑性のある情報を提供しておいて、進行した軍を罠に嵌める可能性だってある。今、あの男の情報が本当かどうかを確かめるためにヘイムダルを含めた諜報部員をエルム領に派遣している」
警戒心の強い見解だとは思う一方、未だ敵の多い帝国の現状を考えれば納得できる。
私はゲオルグの考えには肯定的なつもりだったけど、彼は異なる受け取り方をしたようだ。
「ならなおさら、私が話せば分かることもあると思うわ。ヴェーリルは今どこにいるの?」
急に椅子が蹴り倒された。
ゲオルグが蹴ったのだ。
立ち上がった彼に腕を掴まれて、私は顔をしかめた。
「ゲオルグ? どうしたの? ……手を離して。い、痛いわ」
「今すぐ行くんだろう。あの男のところへ」
いつも優しかった彼の瞳が冷たい。
言動は朴念仁でも、彼が私にこんな態度を取ったことはなかった。