43、
フライアの仕切り直しによって、私は服を着た後で再びゲオルグと向き合った。体調のすぐれない私はベッドの上。部屋の隅にはフライアが控えている。
ゲオルグが私の手に自分のものを重ね、瞳を覗き込んできた。
彼の心配が痛いほどに伝わってきて、僅かに身じろぎしてしまう。
「君が意識を取り戻したと聞いて、慌てていた」
先ほどの乱入経緯を説明しているのだろう。言い訳として聞いておく。
「取り乱した私も悪かったわ。……あなたはきっと女性の体なんて見慣れているでしょうしね」
嫌味のつもりだったが、ゲオルグは眉を寄せただけだった。
いや否定しないの!?
「どうして地下へ行ったんだ」
「……グナーやヴェーリルから話は聞いたのではなくて?」
「もちろん聞いた。だが、部屋から出るなと言ったはずだ」
蓋をしていた罪悪感が溢れそうになる。私はゲオルグから視線を逸らした。
「キノコやヘイムダルからは言われたけれど、あなたの口からは聞いていない。それに皇宮の外に出るつもりはなかったわ」
夜になったらまた、ゲオルグが来てくれると思っていた。それまでには戻るつもりだった。ちょっとした外出のつもりだったのよ。
「だったら一日待てばよかっただろう。俺が指示すれば君に近衛兵を付けることくらい造作もない」
疲れているあなたにわがままなんて言えなかった……と叫びたい気持ちは抑えた。
「鉄の森の古語よ。国家学でも歴史学でも、未だ証拠として扱われていない古代文明の文字……そんなものが近くにあると知ってじっとしていられると思う?」
ゲオルグはため息を吐いて手で顔を覆う。
「だとしてもだ。君は舞踏会で襲われたばかり。皇妃になる女性のすることではないだろう。君の性分はよく分かっているつもりだが、多少の我慢は覚えてくれ」
我慢?
「我慢したら、あなたは本当に教えてくれた?」
「何をだ」
「あの部屋に書かれていることを、よ」
私の手に重ねられた彼の手は大きくてかさついている。15年前の彼の手はどんなだったかなと目を閉じたけど、思い出すことはできなかった。
「……だってゲオルグは、自分の家のことだって教えてくれないじゃない」
彼のことを疑っているわけではない。これから一緒に過ごす中で、いつか彼の気持ちの整理がついたときに話してくれればいいなと思っていた。これは本当だ。
でも先日、ミドガルズ祭祀の論文を書いていたときに気付いた。
ゲオルグは前世のときから、私をヤルンヴィットから遠ざけようとしていたのだと。
ヤルンヴィット家の人間だったゲオルグは、『偽りの創世神話』に書かれている以上のことを知っていたはず。
でも彼は私に何も告げなかった。
そう気付いたら、私は少し、寂しくなった。
「それについては俺も考えがあった」
ゲオルグが身を乗り出す。彼の吐息がかかるくらいに顔が近くて、大好きな黄色い目に私の横顔が映っているのが分かってしまう。
「家の名声を取り戻す妄念に取りつかれた父と兄は常軌を逸していた。あの家には古い血のためなら何をしてもいいという貴族が集まっていたんだ。関わり合いになれば君にも危険が及ぶ可能性があった」
「帝国貴族がバナヘイムの平民学生にまで害を及ぼすっていうの?」
「そうだ。だから俺は偽名で過ごした。そして現に、君は殺された」
それを言われるとぐうの音も出ない。
やっぱり、ゲオルグは私を殺した犯人を帝国の懐古主義派だと思っているのね。
確かに、これまでは私もそうかなと思っていたけど―――。
「俺と結婚すれば、君は少なからずヤルンヴィットと関わることになる。俺は家を捨ててバナヘイムに永住するつもりだったが、当分の間は俺の出自の話は伏せておこうと思っていた」
「……そうだったのね」
ゲオルグは私が思う以上に、私のことを考えてくれていた。
それなのに、純粋に喜ぶことができない自分のひねくれ根性が嫌になる。
ゲオルグの全てを知らずに傍にいたとして、私はあなたの支えになれるのかな。
フライアやヘイムダル、皇宮の人たちは、ゲオルグが何者か分かった上であなたを支えようとしている。
子供っぽい考えだとは承知しているけれど……なんだか、私一人だけ仲間外れって感じじゃない?
私が黙ると、ゲオルグも黙った。
思いに沈んでいる間も焦らずに見守ってくれる彼の姿勢はありがたかったが、同時に少し息苦しくも感じた。
考えても考えても、答えが見つからないのよね……。
ふと部屋の隅に視線を投げれば、シルクサテンのカーテンを背に立つフライアと目が合った。笑みは消しているものの、相変わらず凪いだ瞳をこちらに向けていた。
彼女もこういう気持ちを持ったことがあるのだろうか。
前世では論文と格闘してばかりで、あまり人との関わりに意識を向けてこなかった。
異性を好きになったのも、多分、ゲオルグが初めて。
だから、彼の言動や自分の気持ちに必要以上に振り回されている自覚はある。
フライアと話すことで苦しい思いをするかもしれないけど、それでも彼女と話をしてみたいという気持ちが生まれた。




